■ バブルダイバー DIVE:01 ダゴン襲来(ダゴン・アタックス)

 不純物を多く交えた海水の見通しはすこぶる悪い。深緑色の海は水深二十メートルにしてすでに黒以外の色彩を奪い、着繰身(シェラフ)のアイライトだけを頼りに潜行することになる。
 闇に完全に溶け込んだ一番機くろしおは、メインカメラとアイライトをせわしなく動かし、用心深く潜っていく。
 テツローの搭乗するくろしおの全高は約八・五メートル。搭乗者の約五倍の大きさに当たる。ずんぐりとした円筒形の胴体に、短い手足がついている。頭部は円盤形で、大きなメインカメラとアイライトが特徴的だ。水中での動作を考慮して、フォルムには徹底して曲線が用いられている。
 装甲板はチタンと高張力鋼、そしてタングステンの複合合金。二層の気密機構を備えている。潜ったことはないが、理論的には水深一千メートルまでの潜行が可能だとされている。着繰身(シェラフ)の中ではかなりの高級品といえるだろう。
 ただしこれほど贅沢につくられているのはくろしおだけで、後に続くしらなみは通常の高張力鋼を用いている。
 その用途から、着繰身(シェラフ)の両腕は作業用のマニュピレータになっているのが常だが、くろしおの左腕は掘削用のドリルアームに換装されている。半年ほど前潜行中に左腕部を破損したが、以後新しいマニュピレータや修理用の資材をテツローたちは発見できていなかった。そこで仕方なくドリルに換装したのであるが、これがなかなか使い勝手がよい。背嚢(バックパック)に収納する道具(ツール)が一つ減らせるし、しらなみとのツーマンセルで動く限りは、片腕でもそれほどの不便はなかったのだ。
 以来、くろしおの左腕はドリルのままだ。
「姉御。しらなみのカメラに何か映ってる?」
「アンタの背中以外は、そちらと一緒さ」
 しらなみは全高約八メートル。くろしおに比べるとやや小柄で痩身だが、そのぶん小回りは利く。メインカメラには三板式の大型が採用されている。腹部には簡易修理キットを装備しており、先行するくろしおのサポートを主目的として設計されている機体だ。
 二機はさらに深く潜行する。ハイドロジェットとスクリューを駆使し、姿勢を制御したまま降りていく様は、操縦士たちの熟練を示すものだ。注水ポンプがイオンバッテリーに送水するモーター音が機内に響く。水はバッテリー内で分解され、水素を腰部の発動機(ジェネレータ)に、半分の量の酸素を操縦席に供給する。
 水深百七十メートル。十五億立方キロの海水が装甲板をノックしはじめる。
「イスト・ヒロシマ!」
「……何だい、それ」
「ビンゴ! ってことさ」
「アンタ、たまにわからないこと言うね」
「秘密を着飾って魅力的になるの(ウーマン・ウーマン)は女性だけの特権じゃないってね」
「鏡なら辺り一面にあるよ」
「磨かなきゃ使えないのが残念だ」
「女の特権だってそうさ」
 くろしおのカメラが、暗闇の中に僅かな輪郭を捉えはじめた。失われた世界の遺産。その残滓。
「こいつは……商業施設っぽいなぁ。トーゴーの話じゃ、農場のはずだが」
「情報が古かったんじゃないかい? 農地が商業施設に作り替えられるってことは、結構頻繁にあっただろう」
「それは聞いたことがある」
 手近な建造物と思わしきものに降着する。それは明らかに二階層以上のビルディングの形をしており、平面的な建造物の多い農場の雰囲気はない。運営していた企業のものと思しき看板が、最上部付近に見られた。
「とりあえず回ってみるか」
 目当てのものが見つかればよし。そうでなければ、何か役立ちそうなものを発見して持ち帰る。それが潜行者(ダイバー)の日々の糧だ。
 アスファルトの海底を二足で歩む。潜水艇では真似できないことだ。資源の引き上げ(サルベージ)は、着繰身(シェラフ)があってこそ効率的に行える。着繰身(シェラフ)がなければ、新世界の復興はもう五年は遅れているだろう。
 ソナーが後方で金属音を探知する。おそらくしらなみが降着したのだろう。ちょっと離れすぎかと思い、テツローは速度を落とした。
「……おやおや」
 ドーリンも予想と大きく食い違っていたようだ。
「テツロー。どこだい」
「十二メートル前方。少し先行しすぎたかな。待つよ」
「男を待たせるのは好きじゃないんだ。入れそうかい」
「今入り口を探している。……あった」
 その昔出入り口であったろうと思われるガラス扉が発見できた。着繰身(シェラフ)の大きさではもちろん入れないが、幸いにも入り口側一階は全面ガラス張りの構造になっていた。
 操縦席左側のスイッチを軽く弾く。モーター音が轟き、左腕のドリルが回転をはじめた。
「優しくしてやりたいところだが、勘弁な。なに、痛いのは最初だけさ……」
「……アンタもそういう冗談(ジョーク)が好きになったね」
「姉御のせいだぜ。責任取ってくれ」
「十年経ってトーゴーの物真似が似合うようになったらね」
 ドリルをガラスに叩きつける。装甲板と同じく、チタンとタングステンで練鍛された掘削用ドリルは硬質ガラスを易々と貫き、大穴を穿った。
 ドリルを左右に動かし、穴を広げてゆく。外側ではさぞ大きな破壊音が響き渡っていることだろう。
「出入り口確保。侵入するぜ」
 ガラス扉の横手に開けた穴から、くろしおは施設内に潜り込んだ。
 予想どおりというか何というか。内部はやはり多数の購買層を想定したマーケットの様相を呈している。顔には出さないが、心の内の落胆は大きい。この手の商業施設の探索は実入りが少ないことが、過去の経験からテツローにはわかっていた。
 入り口側のカウンターが並んだ場所へ、くろしおを移動させる。バックパックの最上部を開くと、その中へおもむろに、カウンター上の金属ボックスを放り込んだ。レジスターと呼ばれる店舗用の計算機だ。内部にはコンピュータ部品が詰まっているし、外箱は大抵鉄かアルミ製だから部材として再利用できる。そして中に詰まっている旧世界の貨幣も、時には役立つこともあった。
 カウンターを移動し、それぞれに一つずつ据えられているレジスターを次々と放り込む。全部で八台あり、これはなかなかの収穫といえた。
 次に陳列棚へ移り、しばらく吟味をする。缶詰の棚の前で立ち止まり、しばらく考えたあと、再び左腕のドリルを発動したテツローは、缶詰棚左右の棚を破砕した。
「この大きさと重量だと、一棚が限界だな」
 切り離され、独立した缶詰棚を持ち上げ中身をバックパックへ流し込む。その後スチール製と思われる棚自身も無理矢理バックパックへ詰め込んだ。
「ま、こんなもんだろ」
 バックパックを密閉し、排水する。スクリューを軽く回転させ、出入り口へと機を運ぶ。
 近付くにつれ、通信機から雑音が漏れ出してくる。俺は少し速度を上げ、出入り口を潜った。
 やや鮮明になったドーリンの声が飛び出す。
「……こえるかい、テツロー。返事しな!」
「こちらテツロー。感度良好。どうした姉御」
「ソナーに反応。どうやら先客がいるようだよ。物資は?」
「とりあえず目についたものを掻き集めてきた。……それ、持っていくのかい?」
「手ぶらで帰るわけにゃいかないだろ」
 しらなみは、商業施設のガラス扉を左小脇に抱えていた。くろしおが内部を物色している間に取り外したらしい。
「方角は」
「九時。ちょうどあの建造物の向こう側……うおっと!」
 地が震えた。その地響きは、何か大きなものが地の上を滑り、蠢くような。
「こいつはでかいぞ……」
「テツロー、撤収するよ!」
 ハイドロジェットを最大出力に上げ、しらなみが上昇する。くろしおも後に続いた。
 百七十、百六十九……。二機の着繰身(シェラフ)が海底を離れる。その底を埋めるように、黒い物体が、ぬるりと。
 姿形(フォルム)は、魚のように見えた。だがしかし。
 着繰身(シェラフ)の全長は搭乗者の約五倍。海の底をたゆたう物体は、その着繰身(シェラフ)の全長を凌駕していた。
 アイライトの光を受けて輝く鱗。そして上に向けて開いた口腔には。
 鋭い牙が覗いていた。
「……魚類型変異種(ディープワンズ)か?」
「いや、こいつは……。海洋哺乳類型変異種(ダゴン)だ」

 すべてが海に沈んだ世界。沈んだものたちは海にとって決して有益なものばかりではなかった。いや、表現に正確を期すならば、それらの半分。いや、七割以上が、星と、海と、そしてそこに棲まいし生物たちにとって大いに有害なものだった。
 失われたヒトの数。それの百倍、千倍、万倍の海洋生物が永久に姿を消した。
 生き残った少数のものたちも、無事ではなかった。汚染された世界で生きていくために、残されたものたちは変貌を余儀なくされた。生き方を変えねばならなかったのは、ヒトだけではなかったのだ。
 中には、獰猛で、凶暴で、それはまるで、この新たな世界を否定し、世界そのものを噛み千切り、摺り潰してしまうような。
 そんな生物に変化したものもいた。
 泡の底へと潜る潜行者(ダイバー)たち。だが泡の底には、地上にいては知り得ない暗黒が広がっている。邪神が蔓延る地獄(アビス)が広がっている。
 そんな地獄の泡の底へ、命を賭して潜る者たちがいる。
 地獄は正に今、彼らに向けてその口を開いていた。

   
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(C)Chabayashi Shouichi 2007.