■ バブルダイバー DIVE:03 大返し(タクティカル・ビジネス)

 水平線から立ちこめる暗雲が青の空を染めつつある。潮風は強さを増し、ウミネコの鳴き声は消えて牽引ウインチを回すような音が遠くで、また近くで聞こえるようになった。
 海は時化はじめていた。
 海洋探査艇こんごうは全長約百メートル。どこかの軍隊で使われていた駆逐艦を改修したもので構造は堅牢だが、それでも嵐の海を渡るには不安が残る。艇下に広がる暗黒の海も、それは以前の海ではなかった。
 巨大輸送船(タンカー)であれ、航空母艦であれ。ヒトは結局、座礁と無縁の船を造り上げることは敵わなかった。
 テツローは格納庫(ドック)にいた。
 三機の着繰身(シェラフ)がハングアップされているこんごうの格納庫(ドック)は広い。船体後部の約半分のスペースがすべて格納庫(ドック)兼整備工廠に充てられていた。
 格納庫(ドック)にはテツローの他にドーリン、龍(ロン)、そして三人娘の次女アワがいた。
 時折金属音やモーター音が鳴り響く。テツローはドーリンと軽口を叩きながら。龍(ロン)は黙々と。アワは海藻茶を給仕しながら、時折テツローの手元を覗き込む。いつもの格納庫(ドック)の光景だった。
 上は黒のTシャツ一枚で、深緑のパンツを穿いている。足下は硬質の、履き古された長靴(ロングブーツ)が船上を動き回りやすいように脹ら脛部分を締め上げている。
 全体的に痩身だが、肩や二の腕、太股には筋肉が盛り上がりを形成しているのが見て取れる。黒い相貌の上、額に乗せられている銀縁(シルバーフレーム)の眼鏡を除けば、それなりの海の男の姿に見えた。
「様子はどうだい、テツロー」
「くろしおは丈夫だな。あれだけぶつけられたのに、びくともしてない」
「その装甲は替えが利かないからね。大事にしなよ」
「してるさ。レディを扱うように、この通り」
「……あたしやナイはレディじゃないの?」
「危ないぞ、アワ。もうちょっと離れてろ」
 海洋哺乳類型変異種(ダゴン)に擦られた傷は大したものではなかった。くろしおの装甲は高張力鋼にチタン、タングステンを複合させた高級合金で、多少の衝撃や刺突はものともしない。もしも攻撃を受けたのがしらなみやあおなぎであったなら、大きな被害になっていたに違いない。
「バラストやバランサーは?」
「問題ない。右のスクリューがちょっと怪しいのと……あとは発動機だな」
「手伝おうかい?」
「いや、たぶんこっちの方が早い」
 慣れた手つきで部品をバラし、清掃、調整をかけて組み上げる。そのスピードはドーリンや龍(ロン)のそれを凌駕している。長い時間をかけて磨かれた熟練の腕であるのが、素人のアワにもわかった。
「アワ。天気はどうだ?」
「悪くなってる。時化てくるんじゃないかって艇長が」
「じゃあ、到着も少し遅れそうだな」
 スクリューを手早く片付けたテツローが腰部のカバーを開いた。発動機の調整に取りかかる気だ。ドーリンが大げさに驚いた仕草を見せる。
「間に合うのかい?」
「間に合わせるのが職人の腕ってね」
「早いのは嫌われるよ」
「俺の彼女(マイガール)はそっちの方がお好みなのさ。アワ、こっちはまだダメだ」
 テツローが掌を振ってアワを追い払う。アワは頷いてしらなみの方へと小走りで移動した。後ろでお下げが揺れる。
 こんごうに来たばかりの頃。三姉妹は環境の変化についていけず、茫然自失の状態が続いていた。
 世界への絶望。未来への不安。身近なヒトビトを失った哀しみ。新しい家族(メンバー)たちへの不信感。三名の胸中には、様々な感情が渦巻いていたに違いない。
 真っ先に立ち直ったのが長女のマニだった。新たな環境の中で、自分に何ができるか。それを考えはじめた。
 料理番を引き受け。通信助手を引き受け。そして、船上における一輪の花であることを引き受け。命を長らえた世界に溶け込もうと、努力を続けていた。
 それを見て立ち直る意思を持ったのが、次女のアワだ。自分にいったい何ができるのか。アワは今、それを一所懸命模索している。着繰身(シェラフ)の整備にも興味を持ったようで、近頃は頻繁に格納庫(ドック)に姿を見せた。
 末娘のナイは、未だ陰鬱とした時を過ごしている。ようにテツローには見える。
「何とかしたいとは、思っているんだろうけどな」
「何の話だい?」
「こっちの話」
「海の上であっちもこっちもあるものかね」
「姉御も言ってたじゃないか。男と女の間には高い山があるって」
「ちょっと違うね。深い谷さ」
 繋ぎに窮屈そうに押し込められたそれを、わざわざ寄せて上げてみせる。見なくてもわかる。アワはきっと真っ赤になっている。
 これくらいにしておこうと思い、軽口の矛先を収めた。
 格納庫(ドック)に降りてくる沓音が響いた。噂をすれば何とやら。テツローの胸中だけだが。
「みんな、操縦室(デッキ)に集合」
 伝令に顔を見せたのはナイだった。
「時化が本格的になる前に打ち合わせをしときたいって」
「了解」
「あいよ」
 三者三様に工具を手早く片付け、立ち上がった。

「シュワルツェンの探査攻撃艇だね」
 先生(ドク)は断定した。通信盤の上には、使い方がまったく予想できないようなものを含めた様々な機材が広げられていた。
「絞れた通信帯域から考えて……ま、間違いないでしょ」
「色んな憶測とも符合する解答だな」
 操縦室(デッキ)に一筋の煙が漂う。艇長(ボス)、トーゴーが咥える煙草(シガー)からのものだ。
 農園も失われた今では、煙草は高級品の一つだ。おいそれと喫えるものではない。煙草を嗜好するのであればそれは、前世界とは違った部分で、その意味合いや、価値観や、資格(ルール)が必要となってくる。
 潜行者(チーム)を率いる艇長(ボス)が紫煙を燻らせる。それはその潜行者(チーム)の稼ぎがいい、つまり腕利き揃いであることをも意味している。だから潜行者(チーム)の艇長(ボス)には積極的に煙草を嗜好しようとする者が多いし、それがまた指標(ステータス)ともなるのだ。
 だがテツローらが長、キャプテン=トーゴーに言わせれば、
「世界が変わって色々なモノを我慢したが、これだけは我慢できなかった。それだけのこと」
 なのだそうだ。
 だが艇長(ボス)がその高級嗜好品を口にする資格があることは、潜行者(チーム)の全員が知っていた。
「シュワルツェンか。予想していたとはいえ、厄介な相手だな」
「遠回しに喧嘩を売って来るんだ。相当自信があるんだろうネェ」
「それよりも俺は、ヤツらが何をしているかの方が気になるね」
 シュワルツェンは、テツローたちと同じ潜行者集団(ダイバーチーム)の一つだ。名はそれなりに知られており、こんごうと同じく三機の着繰身(シェラフ)を擁している、というのがテツローの持っている情報だ。
 シュワルツェンには他のチームとは違った特色がある。それは徹底した白色至上主義、というよりも民族社会主義者の集団であるということだ。
 世界が変わり、細分化されていた大地そのものが失われたというのに、彼らは未だ自らの民族以外を認めない。根本のところで、自らの民族以外はどうなってもよいと思っている。そのことが原因での周囲とのトラブルが絶えない。そんな潜行者集団(チーム)であった。
 静かに聞いていたトーゴーが、口を開いた。
「ともかく、だ。ヤツらは損得抜きで動くヤツらじゃない。つまりこいつは」
 盛大に煙を吐き出す。
「俺たちにとっても、儲け話(ビジネス)だってことだ」
 トーゴーの左掌が、中央の机(デスク)を叩いた。
「総員戦闘配置。楽しいお祭り(パーティ)のはじまりだ」

   
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(C)Chabayashi Shouichi 2007.