■ バブルダイバー DIVE:06 幕間劇(インターバル) 上

「お嬢ちゃんと何かあったかい?」
 こんごうの女性陣最年長である褐色美女の眼力は鋭い。隠しているつもりでいても、十八の小僧の小賢しい演技など容易く見破ってしまう。
 実際、その一言だけでテツローは心臓が飛び上がったような気がした。
 雨は上がり、空は青色を見せている。ドーリンとテツローは甲板に出ていた。テツローはTシャツにワークパンツという軽装で少し伸びすぎた感のある黒髪をなびかせているし、ドーリンはタンクトップにホットパンツという肌も露わな格好だ。頭には三姉妹の誰かから借りてきたのか、三角形の菅笠を被っている。
「……まあ、ちょっとね」
「あんたらが坊や(リトル)なのは知ってるさ。ガキの喧嘩に口挟む気はないけどね。長引きゃこっちだって不愉快さ」
 ドーリンが言っているのはテツローと三姉妹の末っ子、ナイのことだ。
 喧嘩、とテツローは必ずしも思っていないが、ナイと諍いを起こしたのはシュワルツェンとの一件が片付いて、それぞれが与えられた持ち場に戻ろうとしたときだ。
「そこのプリティガール。一緒に格納庫へ行かないか」
 そこまではまだよかった。そのあとの一言がまずかったのだ。きっと。
「たまにはお姉ちゃんを見習って、さ」
 表情が凍り付き、目つきが険しくなるのが見て取れた。それから大声でテツローにはわからない、おそらく彼女の母国語で何かを叫び。
 それからどこかへと駆け出してしまった。
 狭い船の中だ。探せばすぐに見つけられるだろう。
 だが今はそれをしない方がいい。テツローはそんな気がした。
「だってさ……」
 小声で、口をもごもごさせながら、目を合わせないようにして喋る。マニだって、アワだって、辛いのにがんばってるんだ。アイツだけ何もしないでいるのは、よくないじゃないか。
 シュワルツェンとの一件で、マニとアワは今までにない大仕事をこなした。こんごうの乗組員(クルー)で荒事がこなせるのは龍(ロン)とドーリン、そして艇長(ボス)のトーゴーだけだ。白兵戦となったら、この三名が出張らなければならない。
 今回トーゴーのいない操縦室(デッキ)の留守を預かったのが、マニだった。テツローやドーリンが着繰身(シェラフ)に乗り込んで動けない状況で、その役目を果たせるのは彼女しかいなかった。
 そして囮に使ったあおなぎの、龍(ロン)の身代わりにその操縦席に座していたのは、何とアワだった。
 役目を与えられて、アワは髪型を変えた。お下げ髪を解き、着繰身(シェラフ)の狭い操縦席で邪魔にならないよう、引っ詰め髪にしたのだ。小さいことだが、テツローにはそれがアワの決意表明に見えた。この世界で生きていく、ということへの。
「あれは確かに、マニのときを思い出すね」
 ドーリンが苦笑する。龍(ロン)に連れられて三姉妹がこんごうにやって来たとき。長女のマニは腰の辺りまで髪を長く伸ばしていた。
 こんごうで世話になると決断したとき。マニはその髪を切り落とした。新しい生き方を受け入れる決意の表れだったのだ。あれだって、きっと。
 懐刀を持ったマニの立ち姿と、甲板に広がった髪の輝きを、テツローは今でも覚えている。
 それなのに、あのモジャモジャ頭ときたら。
「でもアンタだって、船に来たときはあんなだったじゃないか」
「そうだったかな……」
 テツローは遠く水平線を見つめていた。三年前のことを思い出していた。

 大津波が地表を襲っていたとき、テツローは海面より五十メートル下がったところに建設された海底シェルターにいた。
 偶然ではない。テツローは一週間も前から、着繰身(シェラフ)の前身である二足歩行重機の運動データを採るため、総勢四十名の仲間たちとそこに詰めていた。
 テツローの父は機械工学の研究者(プロフェッサー)だった。家には小さなガレージがあり、そこには用途のわからない機械やその部品と思われる物体が、整理もそこそこに積み上げられていた。自然、幼いテツローもそれらに馴染むようになり、長じてからはそれらの仕組みを学んだり、動かし方を知ることに興味を持った。
 義務教育が終わると祖国を飛び出し、父親のコネで外国の工科学校に潜り込んだ。その年、テツローは単身で、父親から譲り受けた電導二輪車(エレキバイク)の修復(レストア)をやり遂げた。
 学校に通って半年で、テツローは自分が研究者(プロフェッサー)よりは技術者(エンジニア)に向いていることを悟った。知識量や理解力において、他の学生たちと比べそれほど劣っているわけではない。だが少年は研究者(プロフェッサー)における最も重要な要素である発想力の点において、彼らの水準に追いつけないことを悟った。そして研究機材の修理や改良においては、テツローの右に出るものはそれほど多くないということも。
 初年生に対する二足歩行重機海底運行データ採集の参加募集を知ると、喜び勇んで飛びついた。自分自身で研究を行うことはすでに諦めていた。ここでの経験と実績を持って祖国へ帰り、国の技術研究機関へ就職する。そのつもりだった。父たちが開発した最新技術に現場で触れ、実用化できるように手を施す。そんな夢を描いた。
 もちろんその夢は、叶うことはなくなったが。
 移民船団の出立は近付いていたが、だからこそテツローたちは多忙だった。二足歩行重機の力は未開の星でこそ発揮される。出発の直前までに一バイトでも精細なデータを採取し、船団のデータベースに送り込むことが、テツローたちの任務だったのだ。
 前日は徹夜だった。採集が一段落し、データを送り込み、部屋にいた全員で歓声を上げてから、中央ホールに緊急設置された大型のヴィジモ二ターに集まった。船団が打ち上げられる、その歴史的瞬間に皆立ち会いたかった。
 三時間後に、歴史的瞬間は映し出された。それは栄光へと続く歴史ではなく、崩壊へと続くものであった。
 巨大艦隊が爆発し、撮影者もろとも地域一帯を吹き飛ばした最後の映像を目の当たりにした参加者(メンバー)たちは皆、高水準の研究者(プロフェッサー)であり、技術者(エンジニア)であり、海の専門家たちだった。
 次に何が来るのか。その場にいた全員が理解していた。
 津波が来るぞ。ケーブル切断しろ。隔壁のロックは。データのバックアップ、忘れるな。
 怒号が飛び交った。テツローも駆け出した。身体は動いたが、頭の中は真っ白だった。
 本当の意味で現状を認識したのは、大きな揺れが来た瞬間だった。
 津波(ゴッドブレス)が七千立方フィートのシェルターを押し流した。
 テツローは隔壁に叩きつけられた。幸い頭は打たなかったが、ぶつけた左肩から電流が走るように全身に痛みが広がってくる。何とか動く右手で隔壁のハンドルを握りしめた。そして目を閉じ、嵐が過ぎ去るのを待った。
 身体が上下左右に、幾度となく激しく揺さぶられた。
 どれほどの時間が経過したのだろう。テツローが目を覚ましたとき、揺れは収まっていた。
 床には薄く水が溜まっていた。テツローのパンツと靴は水浸しだった。テツローは水たまりから眼鏡を探し、拾い上げた。壊れてはいなかった。プラスチックレンズは思っている以上に頑丈だ。
 立ち上がると左肩と右腕、両脚の太股と尻が痛んだ。打撲と筋肉疲労が一挙に襲いかかってくる。へたり込みたくなったが、今は動かねばならないときだった。
 パンツを絞ってから、テツローは歩き出した。
 ともかくも、テツローは生き残ったのだ。

 海上基地との連絡は取れなかった。シェルター各所の水漏れを修理し、休息をとった後テツローたちは会議室に集い今後の行動を話し合った。
 シェルター内には半年間を過ごせるだけの備蓄物資があった。今すぐ困窮することはないが、この先どうするのかは早急に考えねばならない。考えることはまた、足下から押し寄せてくる不安や絶望を紛らわせる効能があることを、メンバーたちは知っていた。
「基地は沈んだと考えるべきだろう。助けは来ない。我々は自力でここから脱出する必要がある」
 リーダー格のジュリアという女性が断言した。三十五歳という若さであったが数学的能力に優れ、シェルター内における管理(マネジメント)の全権を握っていた。
 ほぼ全員が彼女に同意した。地上にいったいどれほどのヒトが残っているかわからない。最悪の場合、全滅している可能性だってあった。
「こいつが方舟ってわけか。じゃあ、いったいどいつが救世主(メシア)だい?」
「長官じゃないか。計画を思いついたのは」
「ほう。で、その救世主様は?」
「宇宙船見学さ」
「なるほど。預言者は世界が変わる前には天に召されるものだな」
「そんな場所まで視察(サイトシーイング)する予定は組み込まれていなかっただろうがね」
 不安を隠すためか、普段以上の軽口が飛び交う。わかっていても止められないのだ。誰も。
「不毛な会話はそれくらいに。今は、これからどうするべきかを考える必要がある」
 ジュリアの言葉に何人かは肩を竦め、何人かは降参のポーズをしてみせた。
「海上に戻るには?」
「連絡艇は生きている。それに、着繰身(シェラフ)だって使えるだろう。いい実践機会だ」
 誰かの問いにアオキ技術主任が淀みなく答える。二足歩行重機を着繰身(シェラフ)と呼びはじめたのは主任だった。山登りが趣味だったのだ。仕事で潜水艇ばかりつくっていることの反動だったのかもしれない。
「しかし今海上に戻ったところでどうする? 生き残りがいたとしても、非常に混乱した状態にあるだろう」
「そうだな。おそらく物資も不足しているだろう。ここから物資を持っていけば、それを巡っての争いに発展するかもしれない」
「しかしながら、我々が物資を抱えて戻れば、生き残りのうちの幾人かは助けられるのではないか?」
「その場は助けられたとして、その後はどうする。我々も一緒に困窮するだけだぞ」
 アオキ技術主任が頭を掻いた。
「仮定の話をしていても仕方あるまい。まずは上の状況を知ることが先決だ。先遣隊を組織しよう。そして、海上基地との連絡網を復帰させる」
「アオキの意見に私も同意だ」
 ジュリアが声高に賛成の意を表した。反対の言葉は上がらなかった。
 一週間かけて先遣隊が組織された。時間が掛かったのは、何といっても着繰身(シェラフ)がまだまだ手の掛かる、不完全な装備だからだ。それに、地上ではどんな危険があるかわからない。もしかすると、爆発の影響で地上の環境自体が大きく変化している可能性もある。様々な計測機器が水や食糧や土木機器と共に積み込まれた。
 テツローは着繰身(シェラフ)の繰船技師として先遣隊に加わった。
 ゆっくりと上昇する連絡艇の脇に貼り付いて、ペンギンのような姿の二足重機がカメラやワイヤーを出し入れする。作業をしているのはテツローだ。腕部は鰓(フィン)状で、マニュピレータは腹部から突き出されていた。検査機器のすべてが異常値を返してくるのを、テツローは陰鬱な表情で眺めていた。
 海上基地は失われていた。
「予測のうちの、下から二番目に最悪な状況だな」
 基地があるべき地点には何もなかった。せめて残骸だけでも見つかれば、何らかの情報が得られたのかもしれない。だがそこには、何もなかった。おそらく基地は、丸ごと流されたのだ。それだけ大きな津波が海上を襲ったのだろう。
「大気の状況は?」
「こちらも異常値ばかりだ。出られないことはないだろうが、お薦めはしないな」
「磁気雲はいつ晴れる」
 上に向けたカメラを覗きながら、操縦士のミハエルが問う。
「そうだな。短く見積もっても三十日」
「長いな……」
 ミハエルがテツローの方を向いた。
「ここに探査基地をつくれるか? 簡単なものでいいんだが」
「主任と相談してみないとわからないけど……可能だとは思う」
「じゃあ、ブイだけ設置しておこう。ケーブルだけは引いてな」
 ミハエルの言葉にテツローは頷いた。
 シェルターに報告をし、許可を取り付けた。探査基地の建設がはじまった。
 トーゴーと、彼の乗った船に出逢ったのは、基地の出来上がりつつあった二ヶ月後のことだ。

   
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(C)Chabayashi Shouichi 2008.