■ バブルダイバー DIVE:09 鱗模様の街(インスマウス)

 大通り(メインストリート)は喧噪に溢れていた。
 浅瀬から切り出した岩盤やコンクリート塊を繋ぎ合わせ、申し訳程度に整地された地表にはトタンやビニールシートや、ごく希に金属を屋根にした露天が軒を並べている。列は二本つくられ、二十メートルほどの空間がそのまま大通り(メインストリート)になっていた。
 いわゆる店舗を構えている者はいない。建築物として許容されているのはいくつかの公共施設と、街を管理している三つの機関に属する施設だけだ。
 過去、土地の価値が高騰し、誰もが土地を持つことが難しい時代はいくらでもあった。しかし、現在ほどに土地が貴重なものとなった時代は、なかっただろう。星全体を見渡しても、土地が存在するのはこの小島とその周辺だけなのだから。
 新たな世界にも新たな秩序と、それに伴う格差が少しずつ顔を見せ始めている。その表情がどのようなものになるのかは、まだ誰もわからない。
 でこぼこ道の上を、今では滅多に見られない電導二輪車(エレキバイク)が走っている。平面二人掛け(フルフラット・ツーシーター)の、黒(ブラック)と緑(グリーン)の二色(ツートン)に彩色された車体には、遠目にもわかる傷が全体に散らばり、あたかもそれがデザインの一部であるかのように馴染んでいる。相当な年代物であることが見て取れた。
 シートに跨っているのは青年だ。もとは短かったであろうものが少し伸びすぎたという感の黒髪が風に凪がれている。柔らかそうな開襟シャツにワークパンツを穿き、腰からはスパナが一本、鎖で吊されている。いつもの眼鏡の代わりに、大きな防風ゴーグル。
 二輪車(バイク)は重しつき(タンデム)だった。青年の腰に細い腕が回されている。青年の後ろに座っているのは少女で、全身白一色の衣装を身につけている。詰め襟の、大陸風の盛装(ドレス)に似ているが、下衣はパンツだった。青年によく似たボサボサ頭が、こちらも風に乱されている。
 二輪車(バイク)の後方左右の牽引台(ハードポイント)にはこれでもかとばかり小箱(トランク)や毛布が括り付けられている。重量過剰に見えるが、発動機(モーター)を増設し、その他握り手(ハンドル)から車輪(タイヤ)まで運転手(ライダー)によって手を入れられた相棒は見た目以上の性能(スペック)を保持していた。
 しかし、と電導二輪車(エレキバイク)の製作者でもあり、今は運転手であるテツローは思う。年頃の男として、こういう場合は背中に柔らかな感触というものを期待していいものだと思ったのだが、その部位から伝わってくるのは想像よりも硬質な感触だった。長女次女と、末っ子の発育具合には、どうやら大きな隔たりがあるようだ。
「大きな帽子のお嬢さん(マイ・フェア・レディ)にはちょっと早いか」
 小さな呟きは風に掻き消されて、後部座席には聞こえない。ともかくも夢に描いていた情景(シチュエイション)の一つを成し遂げて、テツローはそこそこ満足だった。
 段差だらけの地面を噛み、騒音を立てながら裏通りを抜けてゆく。二輪車の発動機(モーター)音自体は極力抑えられている。本来は静かで清浄(クリーン)な乗り物なのだ。
 一つの施設の前で送電を止めた。石材と木材で組み上げられた建築物が不安定な地盤の上に佇んでいる。地震が来ればひとたまりもないだろう。だがこれでも、この街においては贅沢なことなのだ。
 牽引台から荷物を一つずつ外し、地面に置く。二輪車から降りたナイが無言で小箱(トランク)を抱えた。この娘にしては大きな進歩だ。
 テツローも片手に小箱(トランク)、もう片手に毛布に包まれたものを持って、施設の出入り口らしき空洞を潜った。
「テツローか」
 聞き覚えのある声が響いた。
「主任、久しぶり」
 建物の中は乱雑だった。床一面に何やらよくわからない金属部品が散らばっている。壁に添って大きなものが積み上げられ、そこを山頂として裾野に広がるように小さな部品が大海原をつくっていた。建物奥側に小さな金属部品を無理矢理溶接して固めたようなテーブルが設えており、その奥に初老の男がこれも金属部品を組み合わせてつくられた椅子に腰掛けている。半分白髪の下にある顔立ちは、テツローやトーゴーのそれに似たものだった。
 初老の男はアオキだった。テツローが海底シェルターにいたとき、技術主任を務めていた。今は方舟(ノア)にいる。この建物はノアの施設だった。
 テーブルの上にテツローが荷物を載せる。ナイもそれに倣った。
「欲しいものがあるんだけど」
 ワークパンツのポケットを探り、紙片を取り出すと、アオキに渡した。受け取ったアオキは目を細めて文字を読んでいる。テツローはトランクを、中身がアオキに見えるように開いた。一つには様々な金属部品や電子部品が詰められている。もう一つに詰まっているのは旧時代の硬貨だ。
「着繰身(シェラフ)でも引き揚げたのか? 豪勢なモンだな」
「まあね。こいつで足りるかい?」
「製作(つく)っているモンは概して己の製作物の売り値を知らない。いい見本だな」
「……わかってるよ。言ってみただけだ」
 この街での売買は基本的に物々交換だ。旧世界の貨幣は当然通用しないし、新たな貨幣体系も制定されていない。今のところその必要がないし、そのような意思統一が図れる現状でもないからだ。モノを持っている同士が、それぞれの持ち物に価値を付けて交換する。そんな原始的だが本質的な流通だけが繋がり(コミュニティ)を形成していた。
 テツローは毛布に包んであった最後の包みを開いた。
「ほう。マイクロ魚雷か」
「船の方にも幾らかある。六本まで出せる。後はガラス。四立方くらい」
「よかろう。船の方まで届けてやる。そのとき交換でいただこう」
「ありがとう。助かる」
 こうして引き揚げたモノと必要なモノを交換して生計を立てるのが、テツローたち潜行者(ダイバー)の生業だ。手伝いにナイをつけたのは、トーゴーが、ドーリンが、テツローが、これをナイに見せたかったからだ。
「主任。聞きたいことがあるんだけど」
 空いたトランクの中に毛布を詰め込みながらアオキの背中に声をかけた。アオキは振り向きもせず、部品を分別してはあちらの箱、こちらの箱へと放り込んでいく。
「そいつは別料金だぜ」
「技術者より商売人の方が合ってたんだよな。主任って」
「実家は酒屋だった」
「ミハエルのことなんだけど」
「シュワルツェンに拾われたってのは本当らしいぜ」
「この前ヤツらと一悶着あったんだ」
「ほう。で、見たのか?」
「いや」
 遠くの小箱にシュート回転で部品を投げ入れてから、アオキは振り向いた。
「テツロー。ジェフリーとバラードには悪いが、もう忘れろ。見つけたからってどうなる。時間の無駄だ」
「事実なら、商売敵だ。見過ごせない」
 テツローはアオキの目をまっすぐ見据えた。アオキはお手上げのポーズを取る。
「わかった。また情報が入ったら教える。お前さんも何か知ったら伝えろ」
「オーケー」
 ナイに帰ろうか、と声をかけてトランクを持った。ナイはアオキに頭を下げてからもう一つのトランクを抱える。
 出入り口を潜るときに背中に声がかかった。
「テツロー」
 振り向くと、神妙な顔つきのアオキがいた。
「近頃、海賊が出るらしい」
「……海賊?」
「笑い話(ジョーク)じゃないぜ。実際、幾つもの船(チーム)がやられている。潜行者(ダイバー)の危険が、また一つ増えたってわけだ」
「百が百一になったところでそれほど変わらないけどね」
「十進数(ジョギング)だと思っていたら二進数(メートル・トラック)だったということもある。艦首に二頭の海豹(シール)がそいつらの旗印(エンブレム)らしい。見かけたら気をつけることだ」
「お代は?」
「サービスしておく。お得意さまがいなくなっちゃ困るからな」
「やっぱり商売人が向いているよ、主任」
「テツロー」
 アオキの表情が変わっていた。
「今の生活は、楽しいか?」
 テツローは唾を飲み込んでから、答えた。
「それなりに」
 アオキが微笑んだ。
「生きろよ。ここに残らなかった、そいつがお前さんの義務だ」
「ありがとう。また来る」
 テツローは出入り口を潜った。ナイがもう一度頭を下げてから、その背中を追いかけてきた。

   
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(C)Chabayashi Shouichi 2008.