継ぎ接ぎの街(インスマウス)の港は大きい。
最高峰といわれていた山脈の、僅かに残された登頂部を利用して建設された街は面積にして二十万平方メートル。大きめの島国といったところだろうか。その北岸七十キロメートルが港湾施設になっている。
潜行者たちが操る艦艇の多くは千五百トンから二千トン級。こんごうもこの等級に入る。津波の後に残った船舶で最も多かったのがこの大きさだ。また、海中から引き揚げる際にも、これくらいのまでの大きさが限界だった。それが現在の技術水準だった。
巨大港の三番デッキにこんごうは錨泊していた。テツローたちがこんごうの全景を見られる機会はそうはない。自分たちが乗り込んでいるのだから当然だ。その姿はなかなかに雄大で、テツローはいつも惹きつけられる。
そのこんごうに珍しい光景があった。いつもは部屋に閉じ籠もりっぱなしのお医者先生(ドク)が、甲板に出て、トーゴーと話し込んでいる。アンダーシャツの上に汚れた白衣、丸いサングラス、頭の上には麦藁帽と、いつものごとく統一感のない出で立ちだ。遠目にも十分怪しい、と改めてテツローは思った。
電導二輪車(エレキバイク)を横付けする。トーゴーもすぐに気付いた。
「遅かったな、お二人さん」
「……どういうこと?」
トーゴーが甲板の奥に右手で合図する。見覚えのある顔が隣に並んだ。
「やあ」
女だった。だが、知っていなければ一目でそうだとは気付けなかっただろう。ナイ以上に乱れて爆発した巻き髪の下から日焼けと油で真っ黒になった顔が覗いている。顔と同様に油にまみれている、オーバーオールの隆起した胸元だけが、女であることを主張していた。
「確か箱舟(ノア)の……」
「アマツカ。アンタらが出た後に追いかけたんやけど。こっちの方が早かったみたいやね」
トーゴーの言は、つまりはそういう意味らしい。気付いたナイがテツローの背中で恥ずかしそうに縮こまった。
正統派(オックスブリッジ)が主流の二足歩行重機開発スタッフ陣の中においてアマツカの訛りは異質だった。だからテツローも意識に、というか耳に残っている。それに、大陸系と北方系と、角度によって印象の変わる、明らかに二つ以上の血が混じっていると思われる顔立ち。アマツカという女性の背景の複雑さを想像させた。
当の本人はというとそんなことを気にするわけではなく。今でも方言(スラング)だらけの言葉を使い続けている。言葉なんか通じればええねん、というのが彼女の持論、だそうだ。
テツローはコンテナに二輪車を収納すると、架橋された屑鉄製の階段(タラップ)をナイと共に上がった。甲板には三つの影。
「……で?」
「時間がないから大筋だけ。箱舟(ウチ)の船が海賊に襲われてるねん。それで、助けてくれる船を募ってる。ミスター・トーゴー、快く承知してくれてな。今から一緒に出発するところや」
テツローはトーゴーを見る。トーゴーは小さく頷いた。
「他人事じゃねえからな。叩けるんなら、早いうちに叩いておいた方がいい」
「休暇(バカンス)は?」
「積み荷に、テツロー博士ご希望の品が含まれているらしい。沈んだら長い休暇(バカンス)が楽しめますぜ、博士(プロフェッサー)」
「……世知辛いなあ」
テツローの肩をお医者先生(ドク)が叩いた。
「中身が変わるだけよ。この世で生きること、これすべてが休暇(バカンス)ね」
「……修行じゃなかったっけ? 哲学者様(シッダールタ)の教えでは」
「一度に修行と休暇(バカンス)。これが何と言ったか……そう、一石二鳥(ダブル・スタンダード)ね」
快楽主義者(ドク)にとってはそうなんだろう。
「じゃあまた後で」
アマツカが階段(タラップ)を駆け下りていく。テツローは後ろ姿を見送ってから、お医者先生(ドク)の方を向いた。
「……で。何で引き籠もり(ドク)が外に?」
「今回三隻で連携するらしくてねェ。色々試せそうだから」
楽しそうな笑みを浮かべているのを見て、テツローは溜息をついた。お医者先生(ドク)の技術はテツローも認めるところだが、いつも実験的なことに手を出すので、安定性に乏しい。こういう表情をしているときは、特に危険だ。
「今度は何を」
「後のお楽しみね」
手をひらひら振ると、船底に続く扉へと歩いていった。
「こちらもせいぜい楽しむとするか」
「どうやって?」
「心の持ちよう次第さ」
テツローも、トーゴーと連れ立って歩き出した。その後をナイが小走りで追いかけてきた。
十五分後には三隻の艦艇が舳先を並べていた。
こんごうを中心に、右側に箱舟(ノア)の印章(マーキング)が施された輸送船、左側にこんごうより一回り小さい高速艇が併走している。高速艇は切り込み隊長(ストライクヘッド)という名の潜行者集団(ダイバーチーム)だった。
テツローはお医者先生(ドク)と一緒に機関室にいた。整備の済んでいないくろしおとしらなみは出撃できない。あおなぎ一機が甲板に降着し、海流の息吹(ドラゴンブレス)を構えている。今回はもちろん装弾してあるし、正規の搭乗者(パイロット)が乗り込んでいる。
だからテツローの仕事は、お医者先生(ドク)の手伝いだった。鼻歌混じりで配電盤を弄るお医者先生(ドク)の隣で、ハンダゴテとニッパーを握っていた。
「これでどうだろうねェ」
ひびの入った十四インチの液晶画面に白黒の砂嵐が映る。暫くすると青一色に変化した。
「映像化(モニタリング)できるの? どうやって?」
お医者先生(ドク)は真上を指さした。
「神の目、まだ生きてるよ。監視者(ウォッチャーズ)がいないだけね」
「でもあっちは」
言いかけて、止めた。ストライクヘッドはともかく、箱舟(ノア)は技術者集団なのだ。
「一隻だけでも通信できれば、便利でしョ」
「肝心なときに切れなきゃね」
「それも神の思し召し」
画面が切り替わった。女が映っている。日焼けした肌はそのままだが、汚れは洗い落とされ、唇には薄く紅(ルージュ)が引かれている。どうやら生来のものらしい巻き髪は纏められ、高い位置から後ろへ垂らされている。オーバーオールが迷彩服に変わっていたが、その姿はどこから見ても女の姿だった。
「……化けるねえ」
「ヤマトナデシコ。七変化よ」
「ナデシコの血は入ってません。たぶん。どこで覚えて来るんだよそういうの。それよりあちらさん、カメラに気付いてないみたいだけど」
「そりゃそうね。知らせてないもの」
「……これ、盗撮?」
「全長一センチの最高級品。最後の一つね。こういうの好きでしョ、覗き屋さん(トム)」
「時と場合と相手による! 何でいつも、こういうトコに無駄な機材と情熱を……」
「私に技術があって、ココに道具もある。つまり、神の思し召しヨ」
「一度その神様に会わせてくれ、お医者先生(ドク)。直接文句を言ってやる」
鼻歌混じりに作業を続ける変質者(ドク)に背を向け、テツローは液晶と通信機を抱え込んだ。とにかく終わってから事情を説明して、機材を回収しないと。
「ハロー。聞こえてる?」
画面の向こうに変化があった。
「やあ、テツロー。通信状況は良好。あんたんとこ、凄い人材抱えてるなあ」
「色々な意味でね」
「ストライクヘッドとも連絡は取れてる。防御力の高いうちらが前面に立つから、打撃力の高いこんごうと機動力のあるストライクヘッドで、うちの輸送船と海賊の船を引き離して欲しいねん」
「横撃すればいいんだな」
「そうやね。着繰身(シェラフ)が出てくる前に片付けたい」
「同感だ。通信終了(オーヴァー)」
画面の向こうでアマツカがあちらこちらへ指示を飛ばす。その姿は勇ましいが、本意ではないだろう。これまでとは違う新しい世界を。箱舟(ノア)にいつものたちは皆、そういった想いを胸に秘めて、持てる力のすべてを復興のために注いでいる。
進む道を違えはしても、テツローだって胸に秘めているの想いは同じだ。
機関室の扉が乱暴に開けられた。褐色肌の女闘士が短機関銃を提げた格好で、荒々しく踏み込んでくる。
「影が見えた。海賊船に見覚えがある。あれは……クラーケンだ」
お医者先生(ドク)がキーボードを軽やかに叩く。液晶画面が切り替わった。こんごう、箱舟(ノア)、ストライクヘッドの真上からの船影。映像が上方にスライドしていく。その先に映る、新たな二隻の船影。
衛星の目を傍受(ハッキング)した映像は荒く不鮮明だ。だがそれでも、テツローとドーリンにははっきりわかった。潜行者集団(シュワルツェン)がどういう運命を辿ったかを。
「くろしおとしらなみを出すよ。整備がどうとか言っている場合じゃない。全力でかからなきゃ、こっちがやられる」
テツローは頷いた。
「お医者先生(ドク)、ちょっと行ってくる」
「あい。がんばってね」
右手で液晶を受け取り、空いた左手を空中で握ったり開いたりしていた。
後ろで機関室の扉が閉まる。テツローはアマツカの姿を思い浮かべていた。
可愛い巻き毛ちゃん(クドリャフカ)を吼え猛る者(ライカ)に変えてしまうような。そんなことがない世界をつくろうとしているんじゃないのか。間違いを二度と起こさない。生き残った者たちは、そう心に誓ったんじゃないのか。
「早いとこ片をつけよう、姉御」
「当然だろ。休暇(バカンス)が待っているんだ」
言わなくてもわかる。こんごうにいる者。箱舟(ノア)にいる者。おそらくストライクヘッドの乗員(メンバー)だって。
これは、新しい世界をつくるための戦いだ。その第一歩だ。
ドライスーツを着込んだドーリンとテツローが、並んで格納庫へ向かって歩いて行く。影だけが、決意を秘めた背中を追いかけてゆく。
(C)Chabayashi Shouichi 2009.