■ バブルダイバー DIVE:11 双頭の海豹(ダブルシール)

 整頓された操縦室だった。
 広くはない空間に様々な機材が押し込まれている。だがそれは整然かつ機能的に配置されており、最小限の人数で最大の性能を引き出せるように組み上げられている。
 以前までの持ち主であれば、確かにそうだった。
 どんな潜行者集団でも羨む最高精度の深度計の上に、無造作に腰掛けている影。丸みを帯びた尻から艶めかしい曲線を保持して二本の脚が伸びている。脹ら脛から下は、身に着けている黒いスリップドレスには馴染まない、軍用の編み上げ長靴が爪先までを覆っている。
 女の唇には擦り傷だらけのハモニカが当てられていた。激しい旋律。だが聞く者によっては、その中に哀しみの色を見出すかもしれない。
 音が止む。ドレスの女は腰を滑らせて床に降り立った。室内にいた三人の男たちが、誰からともなくゆっくりと拍手をする。
「昨日今日の腕前じゃないですな。どこで習ったんで?」
「十字路(クロスロード)で悪魔(ブルーズ)に出くわしただけさ。今となっちゃ懐かしいオモチャだ」
 白い指の先で楽器が回る。一回転毎に女の目が据わっていくのが男たちには見て取れた。
「どう見る、熊(ベーレン)」
「黒か赤のパンプスの方が好みですな」
「下の息子(アンダーソン)にゃ聞いてねえ。思ったとおりを言ってみな」
 熊(ベーレン)と呼ばれた髭面の大男が顎に手を当て、考える素振りを見せる。
「オレなら方舟を盾にして、高速艇で横撃を掛けますね」
「連携は」
「即席部隊じゃ無理でしょうよ」
 熊(ベーレン)の隣りに座っている栗色髪の青年が答える。女も口の端を引き上げた。
「バイアン」
「へい」
 計器盤の前に座っている坊主頭が返事をした。
「アタシと新入りで雑魚どもを潰す。テメェと熊は獲物をとっ捕まえろ。逃がすんじゃねえぞ」
「了解しました、艇長(ボス)」
 短い金髪(ショートブロンド)を掻き上げて、女は栗色の髪に流し目を送った。掌から古びたハモニカが飛び、青年が空中で捕まえる。
「そいつは暫く預けておいてやる。テメェの価値がそのオンボロ以下だったときは……わかってんな」
 殺気を抑えた声が低音で響く。青年はハモニカを大事に仕舞い込むと、ゆっくり立ち上がった。
「魚類型変異種(ディープワンズ)の餌にされないよう、努力しますよ」
 酷薄な笑みを浮かべて、シュワルツェンの生き残りは格納庫へと降りていった。

 生きてきた時間はたった十八年だが、それでもテツローは、世の中がままならないものだということは知っている。トーゴーやドーリンや、龍(ロン)やアオキや、数々の修羅場を潜ってきた者たちと比べればそりゃあまだまだだろう。が、それでも、世の中が自分の思い通りになるものでないということは、それなりに、知っている。
 だから大切なのは予測することだ。どのようなことが起こるかを想定し、対応策を考えておくことだ。一つではない。大抵の場合、予測は複数必要だ。それで予測が外れるのは、経験が足りないことが、大きな理由であることが多い。
 テツローは己の経験の少なさを痛感していた。
「とはいえ、それにしたって限度があるよなあ……」
 ぼやいている場合ではないことはよくわかっているのだが、つい愚痴を洩らしてしまう。
 今、テツローはくろしおの搭乗席にいる。潜っているとは言えそうもない、深度七メートル付近をスクリューだけで航行している。
 そしてその眼前で、協力艦の切り込み隊長(ストライクヘッド)が今まさに叩き潰されているところだった。
 ストライクヘッドは総員五名の、こんごうと同規模の潜行者集団だ。経験や実績は充分で、着繰身(シェラフ)も二機配備している。
 だが敵は、着繰身(シェラフ)を出す前に艦艇に食いついた。予想を超える、凄まじい速力だった。
 あれが双頭の海豹(ダブルシール)。水面下を走る闇色の機体を、空恐ろしい気持ちで見ていた。
 言うまでもなく着繰身(シェラフ)は海中に潜るために開発された機械だ。形こそ四足歩行型を採っているが、それは潜水艇の一種の発展型(バリエーション)と考えていい。
 だが、目の前で暴れ回っているそれは、明らかに設計思想(コンセプト)が違っていた。あの着繰身(シェラフ)は、潜らない。水面の僅か下。まだ地上の空気が混じり合う領域を、滑るように泳ぐのだ。
 それは潜水艇ではなく、高速艇の動きだった。
 ストライクヘッドが艦首に備えた機銃を掃射する。時折浅い位置で爆発したマイクロ魚雷が水柱を立てる。闇色の着繰身(シェラフ)はそれらを難なく避け、肉薄しては一撃を加える。
 腕部に取り付けられた長大な高速回転刃(チェーンブレード)が火花を上げてストライクヘッドの船底を切り裂く。機関室はおそらく、すでに水で溢れているだろう。もう数度斬りつけられれば保たないはずだ。
「姉御」
「見えてるよ。厄介だね」
「潜水艇と高速艇がもしも格闘戦(ドッグファイト)をするとして、潜水艇に勝ち目があると思う?」
「チケットを買おうとも思わないね。こっちもお客さんだ」
 言葉と同時にくろしおのソナーにも反応があった。アイライトを最大にする。
「……単眼巨人(キュクロプス)?」
「予想はしてたけどね。こっちが足止めされてちゃ世話はない。手早く片付けるよ」
「了解」
 くろしおとしらなみが左右に散会する。単眼巨人(キュクロプス)も前進を止めて潜行を始めた。単眼巨人(キュクロプス)の腰辺りから光明(ライト)の当たる部分に小さな輝きの帯が伸びている。おそらく攪乱用の金属片だろうとテツローは見当を付けた。
 肩部に備え付けてあるマイクロ魚雷の発射管に注水する。しらなみとほぼ同時にくろしおからも魚雷が発射された。
 APS(水中アサルトライフル)を前方にスライドさせ、深度を上げる。魚雷を隠れ蓑にして、距離を詰める算段だ。当然相手もわかっているだろう。どう出るか。
 ソナーに新しい反応があった。マイクロ魚雷の反応だ。
「どんなお坊ちゃんが乗ってやがるんだ!」
 自分のことを棚に上げて、テツローが毒突く。だが正攻法で来られると一番困るのも事実だ。くろしおは頑丈なぶんだけ動きが鈍い。特にこの浅い深度では。
 重し(バラスト)を調節してさらに深度を上げる。スクリューの回転を上げ、ハイドロジェットを全開にする。
 一瞬の後の閃光。衝撃が操縦席を震わせる。
「テツロー!」
「破損個所、浸水なし! 問題なし!」
「大ありだ! 撃たせないよう牽制くらいしな!」
「男の一生は、いつだって危険と隣り合わせさ」
「そういう台詞は、男を見せてから言いな!」
 APSを連射しながら距離を詰める。モニター越しに赤い単眼が近付いてくる。
 単眼巨人(キュクロプス)が左腕の電撃銛(ショックアンカー)を突き出すのが見えた。APSを手放し、迷わずこちらも左手のスイッチを弾く。
 唸りを上げて、くろしおの穿孔腕(ドリルアーム)が回転を始めた。
 ドーリン機がAPSで援護する。被弾した単眼巨人(キュクロプス)は僅かに体勢を崩したが、構わず電撃銛(ショックアンカー)を射出した。
 飛び出した穂先がくろしおの胴体目掛け直進する。テツローは左腕を大きく伸ばすと、そのまま右側に機体を振り回した。
 くろしおの左腕が狙い違わず穂先を打ち据え、金属片を撒き散らしながらワイヤーを裁断する。テツローの祖国は、野球(ベースボール)の盛んな国だった。テツローも幼い頃は、公園で友人たちとバットを握ったものだ。
 ジェットとスクリューを酷使し、そのまま直進する。お互いに体勢を崩している。だが。
「逃がすかよ!」
 そのまま体当たりを敢行した。衝撃と共に、操縦席内に大音響が充満する。目の前が一瞬白く濁った。
 頭を二度振り、閉じていた目を開ける。計器のあちらこちらに赤い色(レッドマーク)が見える。後の整備のことを考え憂鬱になったが、背に腹は替えられない。
「姉御! 今のうちにストライクヘッドを!」
「よくやった首位打者(イチロー)! あとは任せな!」
 しらなみが最大速度で遠ざかっていく。くろしおに突撃された単眼巨人(キュクロプス)は、おそらくくろしお以上の被害が出ているはずだ。航行はともかく戦闘行動は難しいだろう。
 テツローは計器の摘みを調節し、通信域を大きく開いた。
「単眼巨人(キュクロプス)の搭乗者。聞こえてるか? 聞こえていたら返事しろ」
 気絶してなきゃいいけどな、と思いながら待っていると、すぐに答えがあった。
「……久しぶりだな、テツロー」
 聞き覚えのある声だった。
「……ミハエルか?」
「まだ生きていたとはな。驚きだ」
「そりゃこちらの台詞だ。よく生きていられたもんだよ、あんた」
 色々な意味でな、と言外に含ませて刺す。乾いた笑いが返ってきた。
「それはともかく。お前たちの負けだ。諦めろ、テツロー」
「それもこちらの台詞だ。数だってこっちの方が多い。船が無事なうちに、引き上げた方がいいんじゃないか?」
「数なんて意味ないさ。シュワルツェンにいた俺が言うんだ。聞く耳を持つべきだと思うがね」
「……本当にいたのか」
 どういう経緯で民族主義者たちの集団に潜り込んだのか問い質したかったが、今は他に尋ねるべきことがあった。
「それでどうなった。シュワルツェンは」
「船は奪われ、全員殺されたよ。俺以外」
 予想はしていたが、改めて聞かされるとなかなかに重い現実だった。その結果の一端をこんごうが担ったと言えなくもない。
 一瞬気が緩んだ。操縦席が下から突き上げられる。
 慌ててモニターに目をやる。単眼巨人(キュクロプス)がくろしおの、ヒトでいえば股間に当たる部分を蹴りつけ、その反動で機体を離したのだ。
「ミハイルッ!」
「今の艇長(ボス)は短気でな。ゆっくりお喋りしてる暇はないんだ。またな、テツロー」
 ジェットを噴射し、単眼巨人(キュクロプス)が離れていく。その背をテツローは奥歯を噛みしめて見送った。

   
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(C)Chabayashi Shouichi 2009.