水深二十五メートル、暗緑色の海中を、三つの光が漂っていた。
こんごうから吐き出された着繰身(シェラフ)たちが、等距離を保って進んでいく。通常の潜行に比べると、やや速めの進行速度だ。時折アイライトが動き、上下左右に光の帯が動く。帯が下方向を照らしたとき、視界に岩肌らしきものが映る。鋭角を多く持つそれは、この場所がまだ、長くの間海水に浸され、潮流に洗われた場所ではないことを示している。尖った岩石は複雑な地形を生み出し、海水と、そこに含まれる漂流物(デブリ)の流れを目まぐるしく変化させる。流れに乗り、速度を得た漂流物(デブリ)は、時に十ミリ厚の鋼板を変形させることもある。着繰身(シェラフ)を纏った潜行者(ダイバー)にとっても、油断のならない地帯だ。
「この辺りは、すぐ下が地表か」
黒い着繰身(シェラフ)の腹中で、テツローは唸る。
「さっきの場所は、深度があったのにな。こんなに無茶苦茶なのは、初めてだ」
「ソナーを聞き漏らすんじゃないよ。一つ間違えりゃ、飛び出た岩に衝突して、海の藻屑だ。一瞬の遅れが、命取りになる。恐ろしいことさ、まったく」
「姉御。アワも聞いてるんだから」
「お客さんじゃないんだ。気を遣うこたぁないさ」
「そうです。大丈夫です、私」
テツローの一つ後ろ、白色の機体から、気丈な答えが返ってきた。
そう。今回しらなみに乗り込んでいるのは。三姉妹の次女、アワだ。
「本来なら、もう少し楽なところから馴らしてやりたかったけどね。そうもいかないのがこの稼業だ」
「そいつも含めて、学んでおくべきってことかい?」
「男の多くがダメなところはね。女を美化するところさ。男が知らないだろうと思っててもね。学んでいるさ、大抵はね。そうだろう、アワ」
「はい。経験豊富になれて、嬉しいです」
言ってくれるじゃないの、とドーリンの笑い声が通信機から響く。初々しさだけは忘れないでいて欲しいものだ、とテツローは胸の内だけで呟く。例えそれが、演技であっても。
尖る先端を誇示していた岩壁が、急激に視界から消えた。また深さが増したのだ。
「そろそろじゃないか、姉御」
先頭を行くテツローが、真っ先に気付いた。
「ここで別れよう。しっかりやりなよ」
「姉御こそ」
最後尾の着繰身(シェラフ)が光源を上下に振る。それを合図に、二機と一機が、進路を分けた。
スクリューから吐き出される泡の曳航線が遠ざかっていく。くろしおと、その後ろを等間隔でついていくしらなみを見送って、ドーリンは速度を上げた。
しらなみより数段明敏な反応で加速を得た機体は、一年以上慣熟させたかのようにドーリンの動きに馴染む。こんごうの主任整備士(メカニック)に驚かされるのは、こういうときだ。
世界でも最上位(トップクラス)の開発者たちと暮らしを共にしてきたテツローは、己の技術を過小評価する嫌いがある。だがあいつは、技師として一番大事なものを持っている。ドーリンはそう思う。
実際に使う者が、扱い易いように。その機械がどういう目的で使われるのか、忘れないように。
手先の技術よりももっと前段階の、だが何よりも大切なことだ。
こんごうが得た四機目の着繰身(シェラフ)、しゃっこう。鹵獲した単眼機(キュクロプス)を基に改修を施し仕上げた、ドーリンの新しい愛機だ。
細身だが内部出力の高いキュクロプスの特色を活かし、大容量のハイドロジェットと、しらなみに装備されているものより一回り大きいスクリューが四基、後背部に装着されている。外見だけを見れば、背中に大きなお椀を四つ背負ったような格好で、何とも鈍重な印象を受ける。だがこれらをフル稼働させることにより、実際には他の三機とは比べ物にならない運動性能、瞬間速力の向上が図られている。
装甲板も、高張力鋼ではあるが、しらなみの二倍、厚みがあるものが用いられている。APS(水中アサルトライフル)の弾丸程度なら、真正面から直撃しようと通しもしないだろう。
何より特徴的なのは、大型スクリューの上から突き出た、左右の四角く、細長い鰭(フィン)だ。頭部より上に突き出たそれは、明らかに軽快な動作を阻害しているように見受けられる。だが、製作者であるテツローの言によれば、角度から大きさまですべて、海中での動作を考えてその鰭(フィン)は配備されているのだそうだ。
「その代わり、地上じゃ一歩も動けないけどな」
重量的にも、しらなみやあおなぎの二倍近くに膨らんでいる。あおなぎのように甲板上を歩かせることはできない。そういうことだ。
だが、構わない。この機体は、ただ一つの目的に特化されて、組み上げられたのだから。
探査攻撃艇(クラーケン)と、そしてあの黒い悪魔(デビル)とやり合う。ただそれだけのために、このしゃっこうはつくられたのだ。
「さて、はじめようかね」
深紅色に塗られた機体を、大きく左右に振る。感度は良好。
「あたしたちゃ、深海を知る者(バブルダイバー)だ。それらしく、やらせてもらうよ」
笑みを浮かべて、ソナーが告げる目標へと、機首を向けた。
さらに五メートル下降した暗い海の中。しらなみはつかず離れず、くろしおの後を追ってきた。
地形は相変わらず複雑だ。並の初心者なら、付き従うだけでも一苦労だろう。
「上手いもんだな、アワ」
通信帯は開いたままにしていた。そろそろ黙った方がいいのはわかっていたが、後ろの機が気になっていた。
「練習したもの。私は大丈夫だよ、テツロー。いつもどおりにしていて」
「わかってるんだけど、つい、な」
だが、その上達具合に驚いていたのも事実だった。もともと性に合っていた、というのもあるのだろう。それでも、生半可な努力ではなかったはずだ。
ナイは俺のことより、姉のことをもっと心配するべきだったろう。先ほどのナイを思い出し、少し腹が立った。帰ったら一言申してやる。そう心に決めた。
「テツロー、集中」
進路が少し左にずれていた。慌てて機体を戻す。
「ふらついているのは海の上だけじゃないのね」
「物言いが、お姉さんに似てきたな。アワ」
「姉妹ですもの」
「そろそろだぜ。気合い入れよう」
「ええ」
ソナーに硬質の反響音。聞き覚えがあった。身体が震えた。
三度目の正直。母国の格言にそんなのもあった。逆の意味を表すようなのもあったかもしれないが、今は思い出さなくていいだろう。
「決着をつけようぜ。ミハイル」
くろしおの機体を左右に振り、速度を上げた。
「接敵(エンゲージ)したみたいだヨ」
前回まったく役に立たなかった衛星モニターを覗き込みながら、先生(ドク)が告げた。
操縦室(デッキ)には四名の男女が詰めていた。中央のテーブルに、色眼鏡に白衣という、いつもの出で立ちの先生(ドク)がいる。その向かいに艇長(ボス)であるトーゴーが銜え煙草で腰掛けている。マニとナイの姉妹は、普段よりやや青白い顔で、先生(ドク)の後ろからモニターを覗き込んでいた。
「それじゃあ、こちらも火を入れるか」
トーゴーはテーブルから立ち上がり、繰蛇桿へ取り付く。マニとナイも無言で計器盤の前に陣取る。
隣に立った長女を横目で眺めて、声を掛けた。
「不安かい?」
「姉(シスター)の仕事は、祈ることですから」
「違いない」
でも肩の力はもう少し抜いた方がいいな、と二度ほど叩いてみせる。昔、セクハラという言葉があったことをご存知ですか? そういう主観的な文言は知らないな。艇長(ボス)は女性の身体を、簡単に触り過ぎです、この前だって。終わったら聞くよ、改善するかどうかはわからんがね。もう。
煙を大きく吐き出す。
「今日はもう一仕事してもらわなきゃいけねえ。けどな。危なくなったら先生(ドク)と一緒にぎんれいへ行くんだ。いいな」
視線が絡む。厳しい目だった。長女と末っ子は、頷きを返した。トーゴーも笑みを返して、通信機を取り上げる。寡黙な相棒にも、挨拶をしておく必要があった。
「よう、龍(ロン)。そちらも良好かい?」
「……今日は、暑いな」
それだけが返ってきた。問題ない、ということだろう。
通信機を置く。充分だった。
「それじゃあ、出発するか。パーティー会場に、な」
元駆逐艦のエンジンが唸る。慣れ親しんだ、心地よい振動。
狼煙は上がった。潜行者(ダイバー)と海賊(パイレーツ)。生き残りを賭けた喧嘩が、今、始まった。
(C)Chabayashi Shouichi 2010.