■ バブルダイバー 1st EPILOGUE

 海面は穏やかだった。
 テツローはくろしおを揚艇させる。エネルギーは尽きる寸前だった。格納庫(ドック)から射出された牽引ワイヤーを接続し、通信盤前のマニにその旨を告げる。ついでに軽口を一つ二つ。きっとたおやかな顔は眉根が寄っているだろう。
 ウインチが巻かれ、海上へと揚がる。サブ動力を切り、排水。今では慣れたルーチンワークだ。
 くろしおをしらなみの隣りに降着させ、ハッチを開けると、全員が出迎えてくれていた。
 先に揚艇していたしらなみの操縦者、ドーリン。女性にしては高い身長と褐色の肌、ブルネットの髪。切れ長の色気溢れる瞳と大きな盛り上がりを形成した女性らしい陰影(シルエット)が印象的だ。
 その隣りにあおなぎの操縦者、龍(ロン)。本人申告では三十五歳。身長はメンバーの中で最も高い。おそらく二メートルに近いだろう。そして、メンバーで最も痩せて見えた。しかしテツローは、その身体には十分以上の筋肉が乗せられていることを知っている。
 龍(ロン)というのは本名ではない。最初に会ったときに、そう呼んでくれと本人が言った。それが通り名なのだという。
 龍(ロン)はいつも長袖の服を着用している。その下には右腕に昇り龍、左腕に降り龍の入れ墨があるからだ。世界がこうなる前も、いわゆるカタギでない仕事に就いていたのは間違いない。銃の扱い一つを見ても、そう推察できた。
 マニ、アワ、ナイの三姉妹は龍(ロン)が連れてきた。髪型と身長は違うが、同じ形と色の民族服を身につけている。この三人はいつも大抵この民族服だ。あまり馴染みはないが、テツロー個人は結構好みだった。
 長髪のマニ、おさげ髪のアワ、ボサボサ頭のナイがテツローを見る視線は微妙に違う。特に最近、なぜだかマニには避けられているような気もする。
 三人娘はまだこの船に来て日が浅い。潜行者(ダイバー)の生活にもまだまだ慣れているとは言い難かった。今のところ、長女のマニを除いては、よくいって無駄飯ぐらい、といった案配だ。
 隣りに医者先生(ドク)も来ていた。これは珍しいことだ。いつもの色眼鏡を架けてにやにや笑っている。格好もいつものTシャツの上に一張羅の白衣。テツローとそう変わらない歳のはずなのに老成した表情と物腰をしている。どこから見ても怪しいことこの上ない。
 本名は何だったか。一度聞いたことがあったが、それはまったく聞き覚えのない言語で、その上長ったらしかったため忘れてしまった。このお医者先生は通信機器の専門家(ドク)でもあったので、いつの間にかみんな『ドク』の呼び名で統一されてしまった。
 そして皆より一歩前に。テツローと同民族であることを示す肌の色をした艇長、ミスター=トーゴーが、これまた苦み走った笑顔で迎えてくれた。
 ドーリン、龍(ロン)、マニ、アワ、ナイ、医者先生(ドク)、トーゴー。そして、テツロー。
 これが三機の着繰身(シェラフ)を擁する海洋探査艇『こんごう』の全スタッフだった。
「よう、テツロー。災難だったな」
「どうなってんだ、艇長(ボス)。情報では農場だったはずが、商業施設になっているし。それにあそこは……間違いなく邪神の棲家(ル=リエー)だった」
「そのようだな」
 トーゴーの顔から笑みが消える。
「情報はお前も知っている、李(リー)のところから買った。出所は確かだし、李(リー)には今のところ俺たちを裏切って得をする要素はない。そこで、クイズだ」
 白人のような大きなジェスチャーで、全員に問いかけるようにトーゴーは言った。
「いったいどうしてこんなことになったのか?」
「李(リー)に嘘の情報を流したヤツらがいる。そいつらは何らかの理由で、俺たちをここに足止めしたかった。あわよくば壊滅的な打撃を受けて、当分活動できないように。それが狙いだ」
「グッド。今日も冴えてるな、テツロー」
「白ブタ(ホワイト)どもの考えそうなことだ」
「こんな世の中だ。人種差別はよくないな、テツロー」
「みんなが仲良くすれば、それでハッピーかい?」
「どこかの児童基金はそんなことを言っていたな」
 テツローはドーリンの隣りに並んだ。全員の中央にトーゴーが移動する。
「ドクに周辺の通信を調べて貰った。ここから二十キロ。俺たちの縄張りだな。その場所でどこかの誰かさんが活動している形跡があるらしい」
 トーゴーが再び人の悪い笑みを浮かべた。
「どうする?」
 答えは決まっていた。
 ドーリンが拳と掌を打ち合わせる。龍(ロン)は無言であおなぎへと歩み出した。ドクも三人娘の肩を抱いて、操縦室(デッキ)へ向かう。
 テツローはトーゴーと目を合わせ、こちらも笑みを浮かべた。
「こんな時代だからこそ」
「仁義(ルール)は大切だ」

 地表が海の底に沈んだ世界。多くの生命は厄災と共に霧散し、ヒトも例外ではなかった。
 しかしそれでもヒトは滅びなかった。その数を大きく減らしたものの、絶望に包まれたその世界でも、生を享受する一部が存在していた。
 彼らのさらに一部は僅かに残された陸上にしがみつき、残りは海の上で生きることを選んだ。彼らの生き方は大きな変貌を余儀なくされた。
 だがそんな中でも。そんな世界でも。
 ヒト同士は意思の疎通を欠き、争いを忘れず、互いに小さな集合をつくり、それらは泡のようにくっつきあったり、衝突しあったりして、あちらへ、こちらへと彷徨っていた。
 それはこんごうの搭乗員(クルー)と、その周辺とて例外ではない。
 彼らは、バブルダイバー。
 泡の世界を生きる者たちだ。


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