水平線よりやや手前。緑色の海上を蛇行する黒い攻撃艇の周囲に水柱が乱立し、速度を緩めたのを見て、トーゴーは反射的に舵輪を叩いた。
「大当たり(ラッキーストライク)」
双眼鏡を覗き込み、マニとナイに二つ三つ指示を出す。姉妹が計器盤に齧り付くのを横目に、傍らの通信器を取り上げた。
「狩りの時間だ、海龍(シードラゴン)」
ただそれだけの短い通信。返答はない。
答えは、行動で返ってくる。いつだってそうだ。
こんごうの甲板に着座し、長大な海流の息吹(ドラゴンブレス)を構えた青い外装の着繰身(シェラフ)、あおなぎの全身が、小刻みに振動する。巨大な薬莢が甲板を跳ね、海へと飛ぶ。
撃ち出された二十五ミリ弾は違うことなくクラーケンの艦橋に吸い込まれ、防弾仕様のガラスを破砕貫通する。
遅れて銃声。
二つ。三つ。熱された空薬莢が、甲板でビートを刻む。鉄鼓(タム)が鳴る毎に、クラーケンの艦橋は、遠目にも判るほどに、歪み、変形してゆく。
航行はすでに停止している。おそらくもう、動けないはずだ。だが。
計器盤のソナーがピンを跳ね上げる。通信器に叫んだ。
「龍(ロン)。魚雷来るぞ! 二対!」
ピンは四本。二基二対、計四基のマイクロ魚雷が、こんごうに向かってくる。
大きく左に舵を切る。馴染んだ船は、トーゴーの思う角度に舳先を向ける。
一対はかわせる。もう一対はどうか。
甲板のあおなぎが立ち上がった。海流の息吹(ドラゴンブレス)を持ち上げ、甲板の縁に降ろす。銃口は、海中を向いていた。
轟音が二発。視界を覆うように、水柱が上がった。
「やってくれるぜ。うちの狙撃手は」
こんごうの後部でも、水柱が上がる。際どいところで外せたようだ。
ここまでは、上手くいっている。嵌り過ぎている、といっていいくらいだ。すべてが、予定していた通りに進んでいる。
準備は抜かりなく整えた。運も、手伝っているだろう。だが、それだけではないとトーゴーは見ている。
海賊たちに関する情報を、集められるだけ集めた。それらを整理し、分析するうちに、ある一点が気になった。
彼らは儲け話(ビジネス)に関して、非常に敏感だ。いったいどこから、と思うような潜行者(ダイバー)たちの活動に目をつけ、襲撃している例もある。
にも関わらず。いざ行動を起こすと、それは刹那的で、場当たり的で、一貫性が感じられない。
ただ思いつくままに襲っている。そうとしか思えなかった。
馬鹿ではない。喧嘩の仕方も心得ている。一度矛を交えて、それはわかっている。計画を練り、策謀を巡らす頭は持っているはずだ。なのに、なぜ。
色々な理由を考えてみた。その中で、最も納得できそうな理屈は。
彼らは死に場所を探しているのではないか。そんな推測だった。
意識的にせよ、無意識なものにせよ。彼らは生き永らえることを求めてはいない。ただ目についたものから獲物を選び、腹が減ったから襲う。それ以外のことは、己の生き死にであっても些末なこと。そのような価値観で動いているとするならば、海賊たちの行動原理も、僅かながら理解できるように思う。
事実がどうなのか。知る術はない。だが、もしそうならば。
死に場所を与えてやろう、と、トーゴーは思う。
どうでもいいことだ。冷たく聞こえるかもしれないが、彼にとってはそうなのだ。
古の聖母(マザー・テレサ)なら、彼らにだって手を差し伸べるのかもしれない。だが、トーゴーの両手に抱えられるものは、それほど多くはない。
引き上げられそうなら、手を伸ばす。それも、気が向いたら。
「で、気付けば結構大所帯になっちまったがな」
「何のお話ですか?」
「犬猫を拾うときは、先のことまでよく考えろって話さ。船をあちらに付けるぞ。辺りに注意しててくれ」
双眼鏡を首から外し、マニに手渡す。マニは頷いて受け取ると、目に当てて周囲を哨戒し始めた。
低速に保って、慎重に距離を詰める。相手方に動きはない。完全に戦力を削いだのであれば問題はないが、奥の手を隠していれば、大変なことになる。
喫水線が下がっているから、浸水しているのは間違いない。魚雷はもう撃てないし、着繰身(シェラフ)も出せない。考えられるのは、機銃での反撃くらいだが。
「艇長(ボス)。ソナーがおかしいの」
ナイが計器を覗き込みながら、トーゴーを呼んだ。
マニが後ろへ行く。ナイは身体をずらして、音を変換した波形を示した。
「たぶんあっちの船から出たものだと思うけど。しらなみに似てる」
「しらなみ? でも、あっちからだと方向がおかしいんじゃ……」
嫌な予感が掠めた。
「しらなみと似た材質、似た形だったら、波形も近くなるネ? 艇長(ボス)、似たようなもの知らないか?」
知っていた。
「試作型重機(ペンギン・ダイバー)だ。距離は」
「もう近くまで来てる」
まずい、と思ったと同時に、衝撃が来た。
叫んだ。
「先生(ドク)、ナイ、マニ! ぎんれいへ行け! 早く! 乗り込んでくるぞ!」
腰から拳銃を引き抜き、安全装置を解除する。後を見ず、扉から飛び出した。
浸水が始まる前に射出していたのか。おそらく、魚雷を隠れ蓑にしていたのだろう。あの状況の中では、こんごうの設備での発見は難しい。
艦橋から中央甲板に出て、真っ先に周囲を確認する。後方だと当たりを付けた。
遮蔽物に身を隠しながら前進する。
いた。影が二つ。おそらく接舷させた着繰身(シェラフ)から、巻き上げ機(ウインチ)付きのロープを使って乗艦したのだろう。見事な手際だ。
走りながら、二発撃った。影がそれぞれ別方向に散る。
「まずいな」
乗り込んでくるのは単独だと思っていた。実験機として製作されたあの機体は、搭乗空間が広めに設計されている。そこに無理矢理詰め込んできたのだろう。ご苦労様、と言ってやりたいところだが、そうもいかない。
二対一では分が悪い。片方に、マニたちを追われるのも恐ろしかった。
いや、と首を振る。あの姉妹はもう、拾ったばかりの頃の箱入り娘ではない。最低限身を守る術と、判断能力は、備えている。
先生(ドク)については、諦めている。何事にも、手遅れということはある。姉妹にお守りを任せるしかない。
身を隠している鋼管に弾が跳ねた。拳銃弾だろう、と音から判断する。牽制で二発、撃ち返した。
「降伏しねえか。この状況で争っても、仕方ないだろう」
大声を張り上げた。場所はどうせ知られている。問題はない。それよりも、相手の反応を見たかった。
無言。
母船が沈みかけている今。彼らが欲しているのは、この船だ。潜行者や海賊にとって、船を失うのは、家を失うのに等しい。奪わぬ限り、彼らに帰る場所はない。
理解しているなら。取引には応じない。死に物狂いで来る。そういうことだ。そしてどうやら、これはそういう相手であるらしい。
気の重いことだ、とトーゴーは思った。
相手が動いた気配はない。時間は稼げた。マニたちは、ぎんれいに辿り着いただろう。あとは、己の心配をするだけでいい。
銃声が二発。弾が再び至近で跳ねる。
違和感。発砲するタイミングではない。どうして撃った。
前方を観察したまま、少しずつ後退し、場所を移す。このままこの場所にいては危険だ、と勘が告げていた。
視界の端に影を捉えた。
銃口を向ける。頭部を剃り上げた大男が死角になる位置に立っていた。
筋肉質の身体を丸め、いつでも飛びかかれる姿勢をとっている。右手には、長い針のような得物を逆手に構えていた。
「その顔、どこかで見たことあるな」
脳内の紳士録を素早く繰る。該当があった。
「通称バイアン。暗殺が専門の元殺し屋。そうだろう」
返答はない。もとより期待していなかった。
「殺し屋が海賊の真似事か? まあ、仕方がないか。こんな世界じゃあ、仕事を依頼しに来るやつもいないだろうからな」
大男は無表情で、微動だにしない。
「本職相手に喧嘩するつもりはねえ。ここらで手打ちにしないか? ん?」
左腕を僅かずつ下ろす。右の長靴(ブーツ)に小型のナイフが仕込んである。格闘戦になれば、拳銃では不利だ。その前に、手にしておきたかった。
甲板が爆ぜた。もう一方からの援護射撃だ。
それを合図に、バイアンが飛び掛ってきた。
胴体を狙って撃つ。手応えがあった。だが、男の突進は止まらない。
銃を捨て、長靴に手を伸ばす。
掌に、焼付く痛みが走った。右手が、脹脛に、針状の得物で縫い止められている。
読まれていた。左肩から男にぶつかり、倒れ込む。
力任せに、針を引き抜いた。
脇腹に激痛。別の針が、体内に埋め込まれていた。
男が針を握ったまま、手首を返す。
絶えられず、叫び声を上げた。
意識が朦朧とする。左手に、引き抜いた敵の得物があった。
何も考えず、目の前の顔に突き立てた。
悲鳴はなかった。
男の力が緩んだのを確認して、突き飛ばす。甲板を転がった。立ち上がろうとしたが、脚に力が入らない。
視界に靄がかかっている。大男が、見下ろしていた。顔中が髭で覆われている。さっきの男の相棒だろう。拳銃が、トーゴーに向けられていた。大口径の、殺傷力の高いものだ。この距離から撃たれれば、顔面は弾け飛ぶだろう。
銃声。
潰れたのは。トーゴーの頭ではなく、髭男の方だった。
船首の方向から。見慣れた長身が、狙撃銃を構えて走って来るのを。その後ろから、白い民族服を纏った少女たちが、汚れた白衣を引っ掛けたサングラスの青年を引っ張って来るのを。
見たような。そんな気がした。
テツローが瞼を持ち上げると、目の前に二つの顔があった。
「よかった。気が付いた」
眼鏡をかけた右側が、そんなことを言う。泣き顔の左側が、胸に飛び込んできた。両手で抱き留める。
首を動かして辺りを見る。くろしおの搭乗席だった。どうやらこの姉妹が、外側から気密扉を開けてくれたらしい。ナイはいつもの民族服だが、アワはまだ、白いドライスーツ姿のままだ。
「ここは、こんごうか? アワ」
「ええ。私が運んできた。大変だったんだから」
「いい経験ができたじゃないか」
「逆の方が嬉しかったけど」
「次があったら、そうしよう」
ナイの頭を撫でながら。そんな会話が、どこか懐かしいような気がする。
「アワは無事だったんだな。よかった。他のみんなは? 海賊どもは、どうなった」
ナイが顔を上げた。
「艇長(ボス)が、大変なの」
少女を抱いたまま、立ち上がった。バランスを崩したのか、意図的にそうしたのか。判別がつかないような体勢で、くろしおから転がり出る。
「艇長(ボス)は」
「操縦室(デッキ)に」
立ち上がり、ついでにナイを引き起こしてから、早足で歩を進める。姉妹が後に続いた。
「何があった」
「海賊たちが乗り込んで来て。艇長(ボス)が応戦して、やっつけたんだけど。そのときに大怪我をして」
「他の皆は、無事なんだな」
次女が頷く。そういえば、くろしおの隣に、搭乗口が開けられたままのしゃっこうが鎮座していた。流し見ただけだが、搭乗部や機関部に大きな損傷はなさそうだった。ならば、姉御も何とか生きて帰ったのだろう。
「先生(ドク)が診てるのか?」
「うん。でも、街の方が設備がいいって言うから。姉さんと龍(ロン)さんの操縦で、今街に向かってる」
「そうか」
嫌な予感がした。かなり重傷なんじゃないか。そう思った。
階段を昇る。その先が操縦室(デッキ)だ。
扉を開け、飛び込んだ。
龍(ロン)が舵輪を握っている。計器盤の前には、マニが座っていた。そして、中央に横たえられている身体と、その傍で動き回っている先生(ドク)。テーブルの椅子には、下着だけの格好で、頭部と両腕に包帯を巻いたドーリンが腰掛けている。左腕の方には、血が滲んでいる。目が合うと、顔をしかめながら軽く手を挙げた。
「よお。お互い、無事で何よりだ」
「無事じゃないだろ、どう見ても」
それだけ返して、先生(ドク)の隣に行った。顔色が悪い。いつもの余裕が欠片もない。真剣な表情の先生(ドク)を見るのは、初めてかもしれなかった。
「容態は」
「よくない」
貴重な増血剤を注射器に押し込みながら、先生(ドク)が言う。
「内臓が潰れてる。けど、難しい治療じゃないんだ。なのに。輸血もない。替えの臓器もない。本当なら簡単に治せるのに。今じゃ、どうしようもない」
流麗な標準語だった。それが余計に、先生(ドク)の必死さを表しているように思えた。
「艇長(ボス)」
横にされている、トーゴーに呼びかけた。閉じられていた目が、薄く開いた。
「……お互い、無事で何よりだ」
「無事じゃないだろ、どう見ても」
同じ台詞を繰り返すと、微かに笑みを浮かべた。それから、ポケットを探り。
「テツロー」
煙草の箱を、膝立ちのテツローの前に置いた。
「これは」
煙草を置いた手が伸びて、テツローの腕を掴む。
「もう、隠れて吸わなくても、いいぜ」
笑みを浮かべたまま、トーゴーは言った。
引っ張られた手の、指先が箱に触れる。躊躇った。だが、意を決して。
箱を掴み、握り締めた。
「それでいい」
掠れた声だった。
「もう喋らなくていい」
「喋らせろよ。こんな時くらい」
「普段から喋ってるだろ。余計なことばかり」
「そいつは価値観の相違だな」
二つ咳をして、目を閉じた。
「本当はな。歴史学者になりたかったんだ。俺は」
いつもは豊かな声量で話すトーゴーだ。だが今その唇から洩れるそれは、か細く小さい。
「信じられないだろう。笑うかい」
「いや」
見えるよう、大きく首を振る。
「学者とは程遠い仕事をしていたがな。歳を取ったら田舎に引っ込んで、ゆっくり実地調査(フィールドワーク)でもしようかって。そう思っていた。思っていたんだ。なのにどうだ。たった一日。たった一瞬で、世界の形が変わっちまった。呆れるしかなかったね。自分の馬鹿さ加減にも、腹が立った。何の根拠もなく、信じていたんだぜ? 明日も明後日も、同じ世界が、ずっと続いていくに違いないって、な。なのに、現実はこの有様だ」
煙草を一本、引き抜いて差し出す。だが、トーゴーは目で拒否した。
「今から学者になろうったってな。こんな世界じゃままならねえ。俺たちが今までに一つ一つ積み上げてきた遺産。歴史そのもの。それをな。全部、失くしちまった。根こそぎ全部だ。わかるか?」
テツローは頷いた。
「だから俺はな。積み上げたかったのさ。新しい石を。小さなものでもいい。一つだけでもいい。自分の手で、積み上げたかったのさ。じゃあそいつは、どこにある、って考えた。答えは決まっている。海の底さ」
「それで潜行者(ダイバー)に」
「それほど単純じゃねえけどな。理由の一つではあるかもしれねえな」
「わかるよ」
どうだか、という声は、ほとんど聞き取れなかった。
「一つでも。俺は、一つだけでも、積み上げることができたのかねぇ」
「そいつは、自分で見届けりゃいい」
「……手厳しいな、相変わらず」
トーゴーは、誰と喋っているのだろう。テツローとではない。それだけは、わかった。
「ちょっと休むわ。着いたら、起こしてくれ」
テツローは首を動かして、操縦者を見た。
「龍(ロン)さん。急いでくれ」
わかっている。街に到着したって、設備が多少整っているだけでしかない。医者の腕は、街にいる者でも先生(ドク)とそう大差はない。それでどうなるものではない、と、テツローの中の理性的な部分が告げている。だが、言わずにいられなかった。
誰もが無言だった。船の駆動音だけが、いつも以上に耳障りに、操縦室(デッキ)内を支配していた。
叫びたくなった。大声を上げたくなった。
腕に、硬い指が触れた。唇が、微かに動いたように思えた。
蝋燭はもう、吹き消しちまったのさ。フレンド。
(C)Chabayashi Shouichi 2010.