■ バブルダイバー 2nd EPILOGUE

「死ぬかと思った」
 最後に曳き揚げられたテツローがハッチを開いてからの第一声がそれだった。
 トーゴーと龍(ロン)が大粒の雨に打たれながらシュワルツェンを制圧していた頃、テツローのくろしおは深度五十メートルの海中で残った一機の単眼巨人アルゲスと対峙していた。
 正面からぶつかるには運動性能が違いすぎる。何よりも敵はマイクロ魚雷を余していて、いくら頑丈なくろしおといえどそれを喰らえば一瞬で廃材(ジャンク)にされてしまう。
 テツローは考えた。くろしおがあの高性能機に勝るモノは何か。一つだけあった。潜行深度だ。高深度になれば、アルゲスはその運動性を十分に発揮できない。対するくろしおはここからさらに百メートル潜ったところで大した支障はない。単眼巨人(キュクロプス)が危険を冒して追ってくる可能性は低いとテツローは判断した。
 くろしおは深く、静かに潜行する。ソナーも、ライトも使わない。まだまだ乏しい経験と勘だけに頼った潜水(ダイブ)だ。
 暗闇の中を真黒の機体が沈んでいく。テツローは着繰身(シェラフ)ごと海の底に飲み込まれていくような、そんな感覚に捕らわれた。
 三十メートルで汗が冷たくなった。五十メートルで指先が震えだした。
 八十メートルで音を上げた。
「姉御が知ったら嫌味の一つ……いや、二十かな」
 くろしおを前進させる。アルゲスの背後に回って上昇する。そうすれば不意をつけると考えた。
 だが。ソナーもなく。ライトもなく。
 その状態での移動であったため、距離感を見失った。
 浮上したのは、アルゲスの真正面だった。
「俺も驚いたが、あっちも驚いたんじゃないかな」
 まさか真正面に現れるとは、思ってもいなかっただろう。そのまま暫く固まったように向き合っていた。
 魚雷管は開かれていた。やられると思った。
 海上の探査攻撃艇から通信が入ったのは、そんなタイミングだった。

「まあ、そんな事情だ」
 こんごうの操縦室(デッキ)で説明を終えたトーゴーは、煙草(シガー)に火を点けた。
「石油とは、これまた驚いたねェ」
 先生(ドク)がわざとらしく驚いてみせる。
「しかしこんな近くにあるのに、見つけられなかったなんて……」
「旧時代の遺物を見つけるのは、懐古主義者の方が上手いんだろうさ」
「姉御。それを言ったら、俺たちがやってることは全部過去を掘り返すことだぜ」
「昔はよかった。そんな言葉を吐いて、めそめそしているんじゃなけりゃいいのさ」
 乗組員(メンバー)全員が操縦室(デッキ)に集まっていた。トーゴーと龍(ロン)は風呂(バス)を使ってリラックスしているし、ドーリンとテツローはドライスーツから軽装に着替えている。マニが全員に海藻茶を給仕していた。
 テツローは頭をさすりながら聞いている。海でのことを渋々ドーリンに話したら、本気で殴られた。海の中とベッドの上を一緒に考えるんじゃないよ。早いから回数で勝負なんてわけにはいかないんだよ。言いたいことはよくわかるが、その例えはどうだろう。
 偶然が幸運を運んでくるのは、大抵それなりの努力をしたあとだ。テツローは少なくとも正面対決をしようとは思っていなかった。トーゴーたちが本部を制圧するのを待った。着繰身(アルゲス)を牽制することも忘れなかった。だから、間に合った。
 ドーリンもそれはわかっていたから、長々とは叱らなかったのだ。
「ともかくそんなわけだからな。次の潜行(ダイブ)は長期戦になる。当然、今ある装備だけじゃ不充分だ。だが、幸運なことに」
 トーゴーが言葉を切り、皮肉な笑みを浮かべた。
「黒船(シュワルツェン)が、想像以上の贈り物(プレゼント)をくれた」
 やっほう、とテツローが叫んだ。先生(ドク)とドーリンが、つられて龍(ロン)とマニが手を叩く。アワとナイは訳がわからずにその盛り上がりを眺めていた。
 シュワルツェンから奪った物資は膨大な量だった。武装解除させるため、銃器、弾薬、装備の類はすべて没収し、こんごうに積み替えた。特に、マイクロ魚雷が二十発も手に入ったことは、ドーリンとテツローを大いに喜ばせた。
 そして何よりも、ドーリンが捕獲した新しい着繰身(シェラフ)。単眼巨人(キュクロプス)が小破の状態で手元に残った。これが大きかった。
 こんごうの活動範囲は、飛躍的に大きくなる。テツローはそんな予感がした。
「まあもちろん色々手は加えなきゃ使えねえし、これだけすべてを積んでもいられねぇ。船と着繰身(シェラフ)の整備も必要だ。そこで」
 煙が操縦室(デッキ)を舞う。全員が次の一言に注目していた。
「一度、陸に揚がる」
「休暇(バカンス)だ!」
 再び歓声が上がった。全員の表情が、心なしか輝いて見える。
 マニ、アワ、ナイの三姉妹も、今度は喜びを分かち合っていた。その中でも特にマニの表情が、テツローには一層輝いて見えた。その横顔を、気付かれないように盗み見ていた。
 嵐は過ぎ去ろうとしていた。こんごうは街へと向けて、舵を切った。
 世界に残された、数少ない街の一つへ。

 こんごうの航路とは別の海。黒色の艦艇が滑るように進んでいた。重厚で存在感のある大型艇だが、どこか落ちぶれて見える、そんな雰囲気を纏っていた。
 機銃の載せられていない銃架。高すぎる喫水線。そういったものが雰囲気をつくりだしているのかもしれなかった。
 その艦艇を遠くから観察している船があった。
 こんごうよりもさらに小さな小型艇。快速艇に区分される艦艇に近い流線型の形状をしている。船首には二頭の海豹(シール)を意匠化したマーキングが施されている。
 操縦室(デッキ)には三つの影があった。
「まさかこんごうが出歯って来るとはねぇ。仕事が手早いじゃないの、トーゴー」
 口を開いたのは、女だった。配電盤の上に腰掛け、中央に配置された汚い丸テーブルにだらしなく脚を乗せている。脚は白く、筋肉の上に柔らかな肉が被せられた、男の九割方が一度は賞味してみたいと思わせる曲線を形造っている。
 格好が奇妙だった。女が着ているのは黒のドレス。スリップドレスと呼ばれる、薄い生地の、肩口の露出した衣装だ。海の上には、特に戦闘艇の操縦室(デッキ)にはそぐわない。
 肩口の下には、上半分が晒された豊かな双丘が広がっている。いや、豊かな、という表現では充分ではない。それは希に見る質量を持つ膨らみで、こんごう一豊満な肉体を持つドーリンのそれをも遙かに上回っている。まったく別の生き物が胸部にくっついている。見ようによってはそのようにも見えた。
 部品(パーツ)の何もかもが鋭角的な小顔の上に、短髪のブロンドが乗っている。顔だけ見れば内向的な、冷たい印象を受ける女性といった趣だが、佇まいや一つ一つの所作に抑えられた凶暴さが滲んでいた。
 豊かすぎる胸の上では、双眼鏡が揺れている。
「鉄血宰相(シュワルツェン)も手痛くやられたモンですなぁ。ところで下着が見えますぜ、艇長(ボス)」
「見えねえよ。穿いてねぇんだから」
「ご相伴に預かってよろしいんで?」
「今すぐ魚類型変異種(ディープワンズ)の餌になりたけりゃな」
 怖ぇ怖ぇと残った男同士が笑い合う。
「で、どうします? 艇長(ボス)」
「決まってるだろ、バイアン。鴉(フランツ=カフカ)を準備しな。あたしが出る」
「しかし艇長(ボス)。シュワルツェンはもう残りカスですぜ。奪るモノなんて、もう船くらいしかねぇ」
「だったら奪るんだよ、それを」
「……民族主義者(シュワルツェン)は、艇長(ボス)と同族だったはずですが」
「鉤十字(ハーケンクロイツ)に興味はないね。バイアン、熊(ベーレン)、あたしらの組織(チーム)名を言ってみな」
 女に睨まれ、バイアン、熊(ベーレン)と呼ばれた男たちは背筋を伸ばした。
「強欲(グリード)です、艇長(ボス)」


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