大陸と、その背中に積み上げられていた文明という名の砂山が、波にさらわれ姿を隠してから幾分かの時間が過ぎた。
時間は生き残った者たちに少しばかりの、だが遊び盛りの子どもたちにとっては重要な新しい砂山を築く猶予を与えた。そしてそれは、父や母の背中がまだ、完全には水中に没していなかったために可能であった、ともいえた。
最後まで残るのは最も高い場所である、と世界の仕組みを多少なりとも知っている者は考える。だが実際には、予測を裏切るような事態が持ち上がるのもまた、仕組みの一部であるといえるかもしれない。それが幸運なものであれ、不幸なものであれ。
地殻が受けた衝撃による新たな火山活動。生命のしがみ付く球体の、若干の歪み。重力、引力、その他力場の因果関係。潮流同士のぶつかり合い。
ともかくも、そのような要素によって浮き出た地表というのが、幾分かの時間を用いて発見されていた。
箱舟(ノア)と大学(ミスカトニック)の合同調査により、この一年で発見された島は五つに上った。どれも五十平方メートル以下の、小島と呼ぶにも憚られる突き出し(スモール・ギフト)だったが、将来的に新たな子どもをつくるには問題がないし、前仕事(ブロウ・ジョブ)をしっかりやってやればモノの役に立つだろう、というのが発見者たちの意見だった。
そして当然のことだが、我々によって発見されていない処女地(ヴァージニア)は、まだまだこの海のどこかに存在するだろう、というのが大方の意見であり、希望であった。
楼閣都市(アクアポリス)から距離にして約五百キロメートルの場所に、それはあった。
面積にして約二千平方メートル。機関が発見したものより遙かに大きなそれは、岩壁の表層に、過去の名残の鉄骨やコンクリート片が飛び出している。大岩の中央には穿たれたような横穴が延びている。
穴の奥には、黒色の船体が停泊していた。船首に見えるのは、双頭の海豹(ダブルシール)のマーキング。元シュワルツェン所持の探査攻撃艇、クラーケンに違いなかった。
横穴からはさらに幾つかの、小さな横穴が延びている。そのうちの一つ。岩壁を乱暴に補強して造成された一室に、四つの影。部屋の中央に木箱が据えられ、縄で縛られた大陸系の男が座らされている。その男を、髭面の大男、坊主頭の男、そして、漆黒のスリップドレスを纏った、金髪の女が取り囲んでいた。
女の右手に握られた鉄棒(スクリューシャフト)からは赤黒い血が垂れている。それが誰のものであるかは、一目瞭然だった。
「……で、こいつの話をどう思う? 熊(ベーレン)」
「軽口屋(ワイズラッカー)の話を信じちゃいけねえと、相場は決まっていますぜ、艇長(ボス)」
そのやりとりに、血塗れの男が叫ぶ。
「嘘じゃないネ! 情報屋の李(リー)は、嘘つかないヨ!」
女が形のよい顎に手をやる。
「最近こちらも仕事がやりにくくなったのは、確かだ。だがねェ」
李(リー)の髪の毛を引っ張り上げる。李(リー)は小さく呻いた。
「懸賞の手回しをしたのがトーゴー。そして、こっちの船集めも、依頼者がミスター・トーゴーってのは、どういうことだい?」
女の顔は笑っている。が、その瞳を見れば、心の内が表情通りでないことはすぐに読み取れるだろう。それを生業として生き抜いてきた李(リー)ならば、特に。
強欲(グリード)が李(リー)から入手したのは、大規模な培養農業地帯(クローニングプラント)の発見と、その引き上げ(サルベージ)を箱舟(ノア)がこんごうに依頼したという情報だ。だが、その繋がりに作為的なものを感じ取った海豹は、李(リー)を誘拐し、深い情報を引き出そうと考えた。それが、現在の状況に至った経緯だ。
取引相手を誤った、と百戦錬磨の情報屋が気付いたのは、坊主頭の腕が首に回り、締め落とされる直前のことだった。
「だから! アンタらの件で、こんごうには優先的に箱舟(ノア)から仕事や物資が回るようになってるネ! だから今回の大仕事も、こんごうが仕切ってるのヨ! それだけのことね! あのときこんごうと一緒に護衛に回ったストライクヘッドも参加してる! おかしいところないネ!」
「裏付けはそれだけかい?」
「実際に街で仲間を募ってるネ! どうやって嘘の情報流すっていうのヨ!」
坊主頭が女に耳打ちする。
「……なるほど、確からしいな」
女はようやく髪を手放した。男の身体が二つ折りになる。
「バイアン。他に情報は?」
「何も。ですがあのトーゴーのことです。大掛かりな罠を仕掛けてもおかしくはない」
「俺たちが決着をつけたがっていることには、あちらさんも気付いているはずです。何らかの手を打ってこない方がおかしい」
男たちは頷き合う。女だけは鉄棒を肩に担ぎ上げ、絶えぬ笑みを浮かべていた。
「心躍る想像だねェ、バイアン。熊(ベーレン)。罠があるなら、噛み破るまでだ。違うかい?」
「へい」
髪を掻き上げる。宙に煌めく光に呼応して、肉感的な肢体から殺気が立ち上るのが、李(リー)には見えた、ような気がした。
「ヤツらの血で書いてやるさ。手が届くぞ(タッチャブル)、ってな」
牙を剥いた海豹が、凶器を振りかぶった。
(C)Chabayashi Shouichi 2010.