水平線を境に世界が蒼と碧に分断されている。境界線付近には僅かに灰色の雲が堆積しているが、まずまずの快晴といってよかった。甲板に吹き付ける湿り気の少ない風も肌に快い。
広大な海は、相も変わらず深い緑色を湛えている。一瞬で変貌を遂げた世界は、在りし日に戻るのを拒絶するかのように、数年を経た今でも、そこに生きる者たちに冷たい一瞥しか投げ掛けない。
波音を掻き消していたエンジン音のリズムが変わる。身体に刻み込まれたの振動は、変化だけで、船の速度と、操舵手がどのような操船をしているかまでがわかる。わかるようになった、と言うべきか。
ちょっとは船に馴染んできたってことか。舳先に立っていた青年は、そう解釈することにした。黒色の、身体に貼り付くような潜水服(ドライスーツ)を着込み、上から古びたジャケットを羽織っている。痩身だが、程よく筋肉に覆われた身体が、スーツに起伏をつくっている。肌は焼け、鼻の上に掛かっている銀縁(シルバーフレーム)の眼鏡を除けば、立派な海の男だった。
「テツロー。もうすぐ到着だって姉さんが」
後ろから声をかけられ、振り向く。短い黒髪を掻きながら、そちらへ歩いていった。
白い肌に大きな瞳。立襟前合わせの、身体の線に貼り付くような衣装。裾は長いが腰骨にかかるくらいの深いスリットが側面に開けられている。下衣には上衣とは逆に直線的な裁断のパンツルック。いつもの民族衣装で、ナイが立っていた。最初に出会った頃に比べて、背も少し伸び、身体が丸みを帯びて、女らしくなった。何より、表情が明るくなった。昔は彼女の顔を見るだけで苛ついたものだが、今では彼女の笑顔に救われることが少なくない。
「今、行こうと思ってた」
ジャケットの胸ポケットから煙草の箱を取り出し、一本咥える。形見になったオイルライターで火を点けると、懐かしい匂いが漂った。
ナイと横に並んで、操縦室(デッキ)へ向かう。
「でもよかったの? 石油プラントの方を放っておいて。それに図書館って、探索してもあんまり儲からないって、ドーリンさんがぼやいてたけど」
「いいんだ」
ジャケットを脱いで、肩に掛ける。
「プラントの方は、くろしおの修理が終わらなけりゃ、どちらにしろ潜れないだろ。それに、決めたんだ」
空を見上げた。
「図書館、美術館、博物館。そういうのが見つかったら、真っ先に潜る。海の底に沈んだ、数々の石。その石を、拾い集めようって。拾い集めて、もう一度積み上げてみようって」
手にしていたオイルライターに視線を落す。
「そう、決めたんだ」
「うん」
笑みを浮かべ、彼女を見つめる。
「それに、せっかくアマツカが情報回してくれたんだしな」
末娘が、瞬く間に不機嫌になった。
「彼女、テツローに近付きすぎる」
「昔の誼と、ちょっとした恩返しさ。妬いてるのか」
「わざと妬かせているくせに」
「わかっているなら、いいじゃないか」
「よくない。意地悪」
扉を開け、操縦室(デッキ)に入る。入り口付近にいた三人娘の次女、アワに挨拶を返す。中央のテーブルでは先生(ドク)と龍(ロン)が、先生(ドク)の新しい玩具、海中カメラのモニタリングを試している。その奥の計器盤の前には、長女のマニ。舵輪を握っているのは、最年長のドーリンだ。
テツローはテーブルまで歩いた。
「調子はどう」
「もう少し光量が欲しいネ。これじゃあ踊り子さん、見えないヨ」
「発電設備が必要だな」
「大丈夫ネ。こんごうの駆動系に直結すれば充分な動力が」
「却下。衛星モニターのときも、同じ手法でオーバーヒートさせかけただろ」
「失敗をするから、学習する。そういうものネ」
「先生(ドク)以外はそうみたいだな」
装置を考えてみるよ。そう返して操舵手のもとへ行く。
「その席はどうだい、姉御」
「落ち着かないね。着繰身(シェラフ)を乗り回している方が気楽でいい」
「器用な自分を呪ってくれ。目当てのものは」
「おそらくこの辺りだろう。あとは、潜ってみなきゃ、わからないね。どうする?」
「もちろん、いつもどおりで」
「いいのかい? あたしが潜ってもいいんだよ」
「いや。このやり方で、行きたいんだ。姉御は、船を守っていてくれ」
「そいつが、新しいこんごうのやり方ってわけだね」
テツローは小さく頷いた。ジャケットを空いていた椅子に放る。
「紳士淑女の諸君(レディース・アンド・ジェントルメン)。開演だ。楽しい銀幕(シネマ)にしてやろう」
様々な声音。それらが揃って、一つになった。
「オーケー、艇長(ボス)」
俺たちは、生きていく。この世界で、生きていく。
俺たちは、バブルダイバー。
泡の世界を、生きる者たちだ。
- BUBBLEDIVER THE END -
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