「あら、茶林くん。」
原材料輸入禁止のため、販売中止直前の"馬車馬丼"を必死に掻き込んでいた俺の耳に、突然天使の声が響いた。
視線を上げる。端正な顔立ち、長身で華奢な割に、有るべきところにボリュームが乗っている、実に見事で完璧なOL風の美人が、真正面から俺を見据えていた。
最初、空耳だと思った。いま、この場所で、俺のHNを知る人物がいるはずは、無い。
「10万ヒット超えたのよね、茶林くんのHP。おめでとう。」
今度は、聞き違えじゃない。間違いなく、相手は俺のHNを知っていて、しかもHPのHIT件数まで知っている!
「・・・失礼ですが、人違いでは?」
突然の事態に、俺は慎重だった。詐欺まがいの犯罪が横行する世の中だ。安易に自分を証明するような真似はできない。
「あら? 惚けたってダメよ。茶林くん。」
通りかかった店員に「並盛、ツユナシで」とオーダーすると、彼女はキュートな笑顔を浮かべ、身を乗り出すようにして、
「茶林くんのことなら、わたし何でも知ってるのよ。」
甘い声で、そう囁いた。
「あなた、何者です?」
俺は、声を押し殺して聞いた。単なる悪戯ではあるまい。
ネット上に女性の知り合いは何人かいる。しかし、自分の顔を知る人間は、ごく限られている。その中の誰とも、彼女は似ていなかった。
「あら? ホントにわたしが分からない? いつも茶林くんのこと見てるのに。」
運ばれていた並盛に豪快に七味を振りかけ、彼女は美しいとさえ言える箸さばきで、みるみるドンブリの中身を減らしていく。
俺は、事態が飲み込めなかった。目の前の"馬車馬丼"も、飲み込めなかった。
驚異的な速度で並盛を綺麗に平らげ、お茶を喉に流し込むと、「お勘定、ここに置きますね。」 そう言って、彼女は席を立った。
「それじゃ、お先に。またね、茶林くん。」
最後まで、親しげで、知った風な物言いだった。
"馬車馬丼"大盛を半分以上残したまま、その場で雪祭りの氷像のごとく固まっていた俺の背後で、弁当購入待ちのオバさんが、小さな声で呟いた。
「・・・みんな知ってるのかねぇ。ここの"馬車馬丼"、例の検査に漏れた【感染肉】が原料だって。なんでも、人によっては【幻覚】や【妄想】を見たりするって。あたしゃ、頼まれたから仕方なく買いに来たけど・・・自分で食べる気はしないよ。」
俺は、生唾と一緒に、口の中に残っていた肉を、ゴクリと飲み込んだ―。
※本作品は、【ウイルス】チェック済みです。(黒)