もはや涸れ果てたと思っていた涙が黒ずんだ血の汚れに滴り落ちた。
彼女の手元に戻ってきたのは彼の剣一本だけ。今度帰ったら神の前で誓おうと言っていたのに。部下だったという兵士は最後まで彼女と目を合わせなかった。遠い戦地に彼は眠っている。かの地は寒いだろう。踏み固められた地面は冷たく花も咲かないだろう。
鬱々と日々を過ごしていると彼女の元に一人の男が現れた。全身黒一色のローブ。深く被った頭巾の奥の顔は老人にも若者にも見えた。男は乾いた声で、自分の手伝いをしてくれるのなら散った恋人を彼女の元へ帰してやろうと言った。
自分は戦いで落ちた魂を集めている。お前には肉体のかわりに次の日人が死ぬであろう場所を見通す力をやろう。その力をもって私を導いておくれ。ただし涙を流してはいけない。無残に散った命を悼む涙を流してはいけない。百の無念な魂を集めたらお前に肉体と恋人をかえしてやろう。
彼女は影になった。影になって戦地を渡り歩いた。隣国との戦は長く、血の流されぬ日、剣戟の音が響かぬ日は無い。容易いことだとはじめは思った。そこかしこに死の匂いがたちこめている。
だが、翌日そこで繰り広げられる死の光景を見通す度に彼女の目から涙が溢れる。半ば透き通った影となった彼女の目から実体の無い涙が。無理矢理長槍を握らされた青年が降り来る矢を受けて倒れる姿。盾に立派な紋章をつけた騎士が引きずり落とされる姿。あのひともこんなふうに死んでいったのだろうか。言葉少なに剣を手渡された日、扉から吹きこんだ木枯らしを思い出す。あまりに呆気なく命を落とす兵士達。彼らが残したであろう家族に、恋人に、果たされぬ約束に思いを馳せ彼女は涙を流さずにはいられない。
声無き慟哭が、風に消える涙がかつて緑の野であった荒野に流れる。弔いの歌がなんになろう。祈りがなんの救いになろう。勝ち鬨の響く傍らには必ず冷たい骸があり、帰らぬ笑顔を空しく待つ胸の痛みがある。彼女の涙は尽きることがない。
涙より軽い理由で人々は争い、形の無い名誉を追い求めて血を流す。飛び交う矢と駆け抜ける蹄の音。火花を散らす剣。踏み散らされた農地と沢山の命。
諍いの種もまた尽きることなく、男達は血を流し女達は涙を流す。
彼女は今日も戦場をさまよい、すすり泣きながら明日の死を告げる。
泣き女の影は増え続ける。