どうして僕がこんなことしなくちゃいけないんだ。
今日一日でその言葉を何回呟いたことだろう。太陽がそろそろ沈みかける時刻だった。
明日は学校の新入生歓迎会。うちの部長の「立て看板を作ろう」という一声で、僕たちは立て看板を作らされることになった。
最初のうちこそ皆、楽しそうに作っていたのだが、なにぶんこういう工作、そして仕上げの彩色というのは単純作業だ。そのうち一人消え、二人消え。残った奴らも塾があるだとか何だとかでいつの間にかいなくなった。そして当の部長も、僕に仕事を押しつけて彼女と一緒に帰ってしまったのだ。
僕だってこんなことやりたくない。どれだけそう叫ぼうと思ったことか。が、元来気弱な僕には、できない相談だった。
春とはいっても夕方の風はまだ冷たく、鼻水をすすりながら僕は世の中の理不尽さを噛みしめていた。
嫌な仕事を押しつけられる人間。そういう人間はなぜか決まっているのだ。そして僕は見かけから性格から、まさにそういう人種の一人であり、なおかつ現在クラブ内では一番の下っ端だった。
「精が出るね」
ため息をつきながら絵筆に赤絵の具を乗せ力任せにぐりぐり動かしていると、急に声がかかった。
見上げると、校長先生がいた。
「明日のために作っているんだろう? 間に合うのかい?」
彩色の終わっていないほとんど木目のままの看板を眺めながら、校長先生は尋ねてきた。
「さあ……でも、やるだけやってみます」
僕は答えた。そう答えるしかなかった。今のままでは、間に合う保証はない。が、僕はやるしかないのだ。そういう性格の人間なのだ、僕は。
僕の中でこの看板を完成させることは、すでに強迫観念になっていた。中途半端でやめられない。これも仕事を押しつけられやすい人間の性格傾向なのかもしれない。
校長先生は去っていった。僕はまた、筆を動かし始めた。
が。
「あれ?」
新たに絵の具を絞り出そうとして、気がついた。中身がない。そういえば先ほど、思いっきり絞り出したような記憶がある。
改めて、チューブをぐるぐる巻きにして思いっきり絞るが、出てきたのはほんのわずかばかりの量。本当になくなったらしい。
「あちゃあ……」
僕は空を見上げた。すでに夕方も終わりかけている。文房具屋はどこも閉まっているだろう。明日買うにしても、文房具屋が開く時間より、新入生歓迎会が始まるほうが早い。手の打ちようがなかった。
「万事休すか……」
半分方木目を残した立て看板を睨み付け、僕は歯噛みした。
僕は周りを見回した。
何か、何か替わりになるようなものはないのか。必死で何かを探すが、そんなものが簡単に見つかるわけがない。あちらこちらをうろうろした後、僕はまたもとの場所へ戻ってきた。
「ふう……」
やるせない思いでいっぱいになった。完成させられない。では、ここまでの僕一人の苦労は何なんだ?
そこまで思って、ふと気付いた。
そもそも、何で僕は一人で、こんなことを必死でやっているんだ? 誰かもう一人でもいれば、そしてそいつが絵の具を持っていれば、これは完成したんじゃないか。だいたい、一番下っ端が雑用をやらなきゃいけないって理屈がおかしい。これだって、クラブ活動の一環なんだろ? こういうのだって本来は先輩が率先してやるべきなんじゃないのか? 全員でやった方が効率がいいことまで、自分が楽するために誰かに押しつけてはいやしないか? その年功序列は本当に正しいのか? やる人間にやらせておけばいいという思想は正しいのか? それが今の世の中なのか? ちくしょう。僕一人に全部押しつけやがって……。
看板を睨み付けながら、僕は内なる怒りをふつふつと燃やす。目の前で看板がぐるぐる回る。目の前が、絵の具の色一色に染まった。
そこで、僕はふと気付いた。あるじゃないか。絵の具の替わりが。
僕は急いで道具を片づけ、帰る支度をした。
次の日。
僕は立て看板を見上げて、一人にやついていた。
「無事完成したようだね、おめでとう」
昨日の校長先生が、近寄って声をかけてくれる。
「いやあ、何とかなりましたよ。途中で絵の具が切れて、どうしようかと思いましたけどね」
「そうかそうか。まあ、こういうことにハプニングはつきものだよ。うむ。しかしいい色合いだねえ。立て看板にしては赤色がちょっと黒っぽすぎるが」
「塗ったときは、もう少し鮮やかだったんですけどね」
なるほどなるほど、と校長先生は首を振っていた。
「ところで、君のクラブの子たちはどうしたのかね?」
「みんな疲れちゃったようで、休憩中です」
「そうかい。ん? どうしたんだい、そのナイフは?」
机の上のナイフを指さして、校長先生は言った。僕はここぞとばかり満面の笑みを浮かべて一言。
「気にしないでください。ただの画材ですから」