■ 果断剣 海鳴り


 いつものように釣りに出た阿照銀平(あでりぎんぺい)は、奇妙なものを見つけた。
 銀平が住む小屋は、海岸沿いの浜にある。家とは表し難い。竹や板切れを繋ぎ合わせて建てられたそれは人の住まいというよりは臨時につくられた見世物小屋のように見える。そこに長年、人が住んでいる場所とは想像しがたい。
 だが、銀平が小屋に住みはじめて、十年が経とうとしている。その掘っ立て小屋に、銀平はただひとりで暮らしていた。
 海に釣りに出るのは銀平の日課である。継ぎだらけの野良着の帯に、柄糸の解れた脇差を挟み、魚篭と竿を持って、磯へと向かう。磯の岩場につくと早速釣り糸を垂らし、魚釣りをはじめる。
 銀平は頻繁に場所を移す。釣りはのんびり辛抱強く一箇所に腰を落ち着けてするものだと思われているが、長年釣りに親しんでいる銀平の考えは少し違う。確かに魚の群れに当たってからの後は、辛抱との勝負であるのは間違いではないと思う。だがしかし、魚の居場所を見つけるまで、つまり獲物の居所を突き止めるまでは、一箇所に止まらず、獲物を求めて彷徨い続けるべきだ、というのが銀平の考えであった。獲物のおらぬ場所で弓を構えて待っていても、それは無駄というものである。猟であろうが、漁であろうが。その点に関しては変わらぬ、と銀平は思っている。
 そんなわけで、その日も銀平は魚群を求めて、岩場をあちらこちらへと動き回っていた。
 妙な色のものが蠢いている、とはじめは思った。見たこともない生き物が、岩と岩の間に挟まって、もがいている。白と紺の体毛に、黄色いくちばしを持った、何とも派手派手しい生き物だった。
 人でいえば手に当たる部分に、鯨のような鰭が生えている。いったいこれは何なのだ、と思った。
 動物のありようにさほど詳しくはない銀平ではあるが、海に棲むものたちがいわゆる擬態というか、総じて見つかりにくい色合いのからだを持っていることには気付いている。鰭を見る限り海のもののようではあるのだが、だとすればこれほど目立つ身体はしておらぬだろう、とも思った。
 外見を観察する限り、爪や牙のようなものは持ち合わせていない。それほど危険な生き物ではなかろう、と結論付けた。
 生き物の背中を押しつつ、岩に挟まった鰭を抜き、持ち上げる。思ったより重みがあったが、銀平の鍛えられた肉体はそれを軽々と岩の上に引っ張り上げた。
 生き物は小さく鳴き声をあげると、銀平に身体をすり寄せてくる。害意はないようであった。
 果たしてこいつは食えるのか。銀平がまず考えたのはそれである。自分で食う以上の釣果があった際、銀平はそれら余分な獲物を近隣の荷売り屋や棒手振りのもとに持ち込み、銭に替えている。食えるのであれば、誰かが買ってくれるかもしれなかった。
 まじまじと眺める。白地と紺地と黄色という色合いも相まってさほど美味そうには見えない。銀平がそうして観察している間も、生き物は逃げ出しもせず大人しくしている。まったくもって奇妙な生き物であった。
 銀平は釣りを再開した。銭になるかわからぬ奇妙な生き物よりも、大事なのは今日の食い扶持である。今のところ逃げ去る気配はないようであるし、いなくなったらなったで別に構わないと思っていた。
 当たりがないと見切っては、銀平は場所を移る。そのたびに、生き物はよちよちとついてきた。そうして時折海に飛び込む。そのままいなくなるかと思ったが、暫くすると銀平のいる岩場に戻ってきて、身体をすり寄せてくる。どうやら銀平を仲間か何かと勘違いしているようでもあった。
 日が水平線の向こう側から完全に顔を出し、海面より離れようとするのを見て、銀平は釣竿を引き上げた。荷売り屋や棒手振りたちが動きはじめる頃合である。魚篭の中には四尾の青魚が泳いでいる。小さいの二尾を自分のものとし、残りの二尾は売りさばくつもりである。銀平は魚の種類にはさほど詳しくないし、頓着しない。飯支度は、大抵焼くだけである。
 竿を置いて、浜を離れる。遠く見える隙羅山(ひまらやま)の方角へ一里ほど歩けば、近隣の集落へたどり着く。ついてくる生き物の歩みに合わせていつもより時をかけ、集落へ向かった。
 集落中央に立った市で顔見知りの荷売り屋を見つけ、魚を売りつける。ついでに生き物も押し付けてみたが、そちらはやはり断られた。
 市の中を巡り、生き物を見せて回る。誰も彼もこの生き物を目にするのは初めてのようで、珍しそうに眺めたり撫で回したりはするが、交渉の段になると皆渋った。金を持っているお大尽なら物珍しさに買い上げてくれるやもしれぬが、生憎銀平の伝手のうちにはそういった顔はなかった。
 魚だけを売りさばき、生き物を連れて、銀平は集落を後にした。

 晩になっても、生き物は銀平のところにいた。銀平は生き物を、縄で縛りも何もしていない。生き物は大抵家のことや細々とした用事を片付ける銀平のそばを歩き回ったり、低い鳴き声を上げたりしている。時折海に入っていくのだが、いくらかするとやはり浜に戻ってきて、小屋まで帰ってくる。明らかに懐かれているふうであった。
 いつまでも生き物と呼ぶのも不便なので、自分の名から一字取ってギン、と名付けることにした。
 焼いた魚と漬物で、晩飯にする。ギンは海に入った際に獲物でも捕っているのか、腹を空かせている様子はなかった。
 物珍しいのか、火から離れたいのか、小屋の隅のほうを歩き回っている。
「しかし不細工だな、お前は」
 答えが返ってこないのを承知で、ギンに語りかける。
 鳥のようにも見えるが、どうやら飛べるようではない。魚ではないのは確かだが、身体の毛色は、よくよく考えてみれば鯨や鯱のようでもある。海のものであるのは間違いないようであった。
「まあ、得体が知れぬのは、わしと同じか」
 漁師でもないのに、このように浜に居を構えているものはいない。いや、漁師たちでも、もう少しましな住みかを持っている。人との付き合いを絶つように、岩場に隠れ住んでいるのは銀平ただひとりであろう。
 もちろん銀平とて、昔からこのような暮らしをしていたわけではない。銀平の生まれた阿照家は代々同心の家系で、長男であった銀平も父のあとを継ぎ、十八の歳に同心見習いとして十手を譲り受けた。
 五年ほどは平穏に役目をこなし、正式に町奉行所の同心となっていたが、二十四の歳にそれは起きた。
 その夏、銀平は春先から続いている辻斬り事件を探索していた。下手人が同じと思しき犠牲者は五人にのぼり、町にも不安が広がりはじめていた。
 銀平は連日、夜回りを続けていた。五件の事件をつき合わせているうち、銀平は奇妙なことに気付いていた。前の四件の犠牲者は町人であったが、五人目は侍であった。
 その前の四人も、はじめは夜鷹。その次が廻船問屋の手代。大工の左官、鳶と続く。
 回数を重ねるにつれ、力の強いもの、腕っぷしに自信のあるものを狙っている。腕試しを兼ねた試し斬り。そのように感じた。
 銀平は町内の刀屋を回り、夜鷹の少し前頃に新たに刀をあがなったものを尋ねた。そうして、下手人と思しき人物を特定した。
 それは何と、銀平の上役同心である桐崎真太郎(きりさきまたろう)であった。
 桐崎を密かに張った銀平は、数日後、夜出をした桐崎を追った。そして、町外れの堀端に身を隠した桐崎の前に、わざと姿を現したのである。
 頭巾をつけた桐崎は、暗闇でいきなり斬りかかってきた。抜き合わせた銀平は、不意を打った心積もりで隙だらけの桐崎を、胴薙ぎの一刀で仕留めた。
 翌日。銀平はすぐさま隠居届けを出してお役目を弟に譲り、出奔した。桐崎が辻斬りの下手人であると明らかになろうとも、上役を斬った銀平が、何の咎めもなく済むとは思われなかったのである。
 そうしてそれから、生きているのやら死んでいるのやら、己でもよくわからぬ日々が過ぎ、今の銀平があった。
 なぜあれほど急いで事を運んだのか。今の銀平にはよくわかる。何もかもが、嫌になったのだ。
 きっかけは、下手人が上役であったことかもしれぬ。だが、おそらくそれ以前から、すべてを放り出したい、という思いは澱のように積もっていたのであろう。銀平が一人で事を運んだのは、与力に調べの中身を報告しても握りつぶされるであろうと考えたからだし、すぐに出奔を決めたのも、奉行所はおそらく真実を明らかにするよりも体面を保つことを大事とするだろうと考えられたからである。つまり、銀平を取り巻いていたのはそういうものどもであった。
 銀平の足元で、ギンがげげっと声を上げる。銀平はその背を撫でてやった。
「群れを離れて、ひとりで生きていきたくなるときもあろうよ。なあ」
 ギンが帰らぬのにも、何か事情があるのであろう。銀平はひとり、そう納得した。

 気配を感じて、跳ね起きた。
 小屋の中は闇に塗りつぶされている。どうやら夜中のようであった。
 銀平は夜具をのけ、立ち上がる。小屋の中に異変はない。気配は、どうやら戸の外側からするようだった。
 暗闇に慣れてきた目を細め、がらくたや袋を積み上げている端へと行く。その中から布に包まれた長物を引き出した。
 布を取り払った下から現れたのは、鞘に収まった大刀だった。
 大刀を左手に提げ、戸口へ向かう。足音で目を覚ましたのか、ギンがげえ、と低く鳴いた。
「お前はここで、じっとしておれ」
 用心しながら戸を薄く開ける。
「どなたかな」
 暗闇から声が返ってきた。
「桐崎真太郎が長子、若九朗(じゃっくろう)。阿照銀平殿とお見受けする」
 銀平は小さく頷いた。
「仇討ちか」
「いかにも」
 やはりそういうことになったか、と思った。
「支度をするゆえ、暫く待ってもらいたい」
「いや。今すぐ、立会いを願いたい」
 若九朗の全身から殺気が噴き出している。断れば、この場で刀を抜き、襲い掛かってくるであろう。
「承知した」
 戸を開け放ったまま、銀平は小屋から離れる。ギンのことは気になったが、致し方がない。小屋からさえ出られれば、あやつは己で生きていけるであろう。そう思った。
「よく見つけたな」
「面妖な生き物を連れた老人がいると聞いてな。もしやと思い、調べた」
「いかさま」
 確かにあれは、目立っても仕方がない。
 一間ほどの距離で、向かい合った。若九朗が刀を抜く。銀平も鞘を払い、浜に突き立てた。
 若九朗は正眼に。銀平は下段に構える。
 若九朗は銀平の腕を知っているのだろう。差を埋めるために、夜討ちをかけたのは正しい。銀平は老いぼれた。目はまだしっかりしているが、それでも闇夜では、間合いが量りづらい。
 助太刀を頼まなかったことは、褒めてやってもいい。己の工夫で差を埋めようというのが、若九朗なりの矜持とも思えた。
 じりじりと圧力をかけて前へ出る。同じぶんだけ、若九朗も下がった。
 持ちこたえられなくなった若九朗が斬りかかってくる。半身になってかわし、すれ違いざまに斬り上げる。
 若九朗が跳んで離れる。手応えはあったが、どうやら浅く斬っただけのようであった。やはり暗闇で、間合いを見失っている。
 一度の攻防で、銀平は彼我の力の差を見極めた。よく鍛えてはいる。だが、銀平の敵ではない。
 相手も、力の差をしっかり受け止めたはずであった。
 正眼からやや突き形のように切っ先を下げる。それだけでもう、若九朗は間合いに入れない。銀平が出るぶんだけ、若九朗が下がる。
 不意に、刺客のはずの対手が背を向け、駆け出した。思わず、銀平もつられてあとを追う。
 そのままふたりで、岩場まで来た。
 若九朗の姿が消える。どこかの岩に姿を隠したようだ。銀平は眉をしかめた。
 なるほど、これでは銀平がさらに不利である。
 浜へ戻ろうと後ずさりしたところに、気配を感じた。闇の中で鈍く光る一筋。
 放たれた小柄を、咄嗟に鍔で叩き落した。
 体勢を崩し、岩にもたれかかる。そのまま岩に沿って、逆方向へと進む。相手の位置を、完全に見失っていた。
 どうしたものか、と考える。どうにも、相手の策に見事に填められているようであった。
 因果か、と思わぬでもない。すべてを捨て出奔する際、このような未来があるやもしれぬことを、想像しないわけではなかった。だがそれは最悪の、すべてが裏目に出た場合に起こり得ることでもあったのだ。
 今より思えば。あのとき銀平は留まり、身を挺してでも、正しきことが正しく成るように、すべてを明るみに出し、包み隠さず申し述べるべきであった。たとえその言葉が届かず、己の身が潰されることになろうと。後に禍根を残さぬために、そうするべきであったのだ。戦うべきであったのだ。
 だが、銀平は何もかもをかなぐり捨て、逃げた。その因果が、今のこの窮地であるといってよかった。
 ならば、ここで斬られるのも、悪くはない。そう思った。
 ここまでよく生きた。思い残すべきことも、特にない。ないはずだ。
 と、そのとき。
 ぐえ、と聞きなれた鳴き声を耳にした。ぐえ、ぐえ、と鳴きながら、岩場を巡っている。
 ギンだ、とすぐに気付いた。銀平を追ってきたのだろう。
 笑みを浮かべる。先ほどまで身体に澱んでいた諦めが、霧散していくのがわかった。
 そうだな。お前がおったのであったな。
 息を整え、気を張り巡らせる。耳に、ギンの鳴き声だけが断続的に届く。
 鳴き声が、先ほどと違っているのに気付いた。一鳴きするたびに、ギンの声が一段甲高いものに変わっていく。そうして、それが何度か続くうち、ついに何も聞こえなくなった。
 だが。
 耳には届かぬ。だが、銀平の肌は、感じ取っていた。
 ギンの鳴き声が、肌を、そして背中の岩を震わせる。音はそれらを震わせては返り、また次の感触を伝えてくる。
 目を閉じる。岩の細やかな尖りや窪み。間合いのうちのすべてが今、はっきりと感じ取れていた。
 動きの気配があった。
 目を見開く。左側から。上段で打ち込んでくる姿を捉えた。
 無心で呼吸を合わせた。
 腕に伝わってくる確かな手応え。父親のときと同じ、胴薙ぎだった。
 若九朗が倒れ伏す。少し遅れて、銀平も砂浜の上に尻もちをついた。
 いつもの低い鳴き声をあげて、ギンが寄って来る。銀平はその頭を撫でた。
「お前に、助けられたな」
 この奇怪な生き物を拾わなければ。銀平は生きてはいなかったであろう。
 視線の先に、桐崎若九朗の亡骸が転がっている。
 まだ終わっていない。銀平は立ち上がった。
 因果は切れていない。真太郎には確か、もうひとり息子がいたはずだ。
 断ち切らねばならぬ。今度こそ、正さねばならぬ。
 遅いのかもしれぬ。だが、今になったからこそ、気付けることもあるのだ。
 銀平は踏み出す。その脚には、歳にそぐわぬ力強さがあった。
 波打ち寄せる砂浜を、踏みしめ、歩いてゆく。その後ろをよちよちと、小さな影が追いかけてゆく。

(完)

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