■ 烈火剣 石摺り


 昼前になってもいぎたなく寝ていた間倶根秀次郎(まぐねしゅうじろう)を叩き起こしたのは、やはりお鉄(てつ)だった。
「いつまで寝てるのさ、この穀潰し」
 威勢のいい啖呵とともに、継ぎだらけの布団が跳ねのけられる。薄目を開けると、お鉄の見知った怒り顔がぼんやりと見て取れた。
 確か昨夜は忘れず心張をして寝たはずだ、と思ったが、古びた長屋の表戸は隙間ができていて、強く揺らせば噛ませていた棒はたやすく外れる。そういえば、がんがんと何かを叩くような音が、表口の方からしていたような気もした。
 上体を起こし、胡坐を組んだ。前には、両手を握って腰帯に当てたお鉄が仁王立ちしている。
「何用だ」
 頭を掻きながら、聞いた。昨晩開けてそのままの徳利が転がっているのが、目の端に入る。お鉄もそれに気付いたのか、深くため息を漏らした。
「昨日も呑んで寝たのかい? 働きもしないのに、酒だけは一人前だね」
「何用だ」
 言い返すとさらに罵声が返ってくる気がしたので、問いを繰り返した。この娘ともそろそろ長い付き合いになる秀次郎は、小言が少なくで済む受け答えも会得しつつある。
「仕事を持ってきたんだよ。おとっつぁんが、また山へ行く用事があるっていうからさ。あんた、ついていってやってよ」
 秀次郎はしばらく思案して、承知した、と答えた。
「おとっつぁん家で待ってるからさ。なるべく早く頼むよ」
 早口で言うと、大きな尻を振り振りお鉄は去って行った。父親に似て、何もかもが大柄な娘だ。
 お鉄は長屋の二軒隣に住む石工、茂衛郎(もえろう)のひとり娘だ。茂衛郎はなかなか腕のいい石工のようで、様々な石の細工物を請け負っている。特に火打石の加工が得手のようで、数多く手がけているようであった。
 昔は大店や庄屋の持ちものであった火打石も、今では庶民の手の届くものとなり、多くの家で使われるようになっている。たかが石ではあるが、何の石でつくるかや、その形、削り様によってやはり使い勝手があるようであり、この家の竃にもある打石と打金は、持つと確かにしっくりと手に馴染むようである。あれも、お鉄が持ってきたものであり、当然ながら茂衛郎がつくったものであった。
 床を払い、支度をはじめる。といっても、裏の井戸で顔を洗い、旅装束に着替えて、古びた大刀と脇差を落とし込むだけである。髭は気が向いたときに剃る程度で伸び放題であるし、髪ももとより荒れ放題である。顧みるよりは、面倒さが先に立った。
 何をするにも、気力が湧かぬ。そうして自堕落な日々を、この長屋に居ついてからの秀次郎は過ごしている。それでもこうして生きていられるのは、たぶんに茂衛郎親子のおかげであった。
 のっそりと外に出る。日が目にまぶしい。無駄に高い背と幅広い両肩を丸めるようにして、茂衛郎宅へと向かった。
 二軒隣につくと、すでに足ごしらえをした茂衛郎が待っていた。人の二回りほど大きい図体を持つ秀次郎ほどではないが、茂衛郎も大柄な男だった。特に盛り上がった肩と腕の肉が目を惹く。長く石と取り組み続けた男の姿を思わせた。
 茂衛郎が無言で背負子を放る。秀次郎は両手で受け取ると、手早く背中に回した。
「おとっつぁんのこと、頼んだよ」
 傍に立っていたお鉄が胸を反らせて言う。盛り上がった双丘を見ながら、小さく頷いた。
「行くか」
 低い声で告げ、茂衛郎が歩き出す。秀次郎もその後に続いた。
 茂衛郎は左足をやや引きずっている。歳のせいか、左の膝が悪いようであった。だがその歩みは決して遅くはなく、活力に溢れている。頑健なはずの秀次郎の方が、むしろとぼとぼとした足取りであった。
 ずんずんと進む茂衛郎について秀次郎も歩く。家屋敷の数が次第に減り、木々や田畑が目につくようになる。
 茂衛郎は石工であるから、細工物をつくるには当然石が必要になる。大抵の石は、様々な種類の石を揃えた問屋があり、そこから賄うのであるが、それで間に合わぬときは、こうして自ら望む石を求めて街を出るのである。
 街の東には、霊山ともいわれる、藩内最高峰の隙羅山(ひまらやま)がそびえている。その敷地は広大で、また様々な石を産することから、その連峰には藩お抱えの鉱山も数多くある。茂衛郎も時折その山へ入っては、己の望む石を探し求めるのである。
 そしてその茂衛郎を護衛し、石探しを助けることが、秀次郎の仕事であった。
 そもそもは、長屋に住みついたのはいいものの、ろくに仕事もせず、ただ金が尽き、野たれ死ぬのを待っていた秀次郎を、お節介にもお鉄が連れ出し、茂衛郎の共を押し付けたのである。
 もちろん、引き受ける気など、秀次郎にはなかった。だがお鉄に強引に押し切られ、動かないなら毎日でも押し掛けるぞと言われて、渋々従ったのである。
 引き受けた理由が、もうひとつある。茂衛郎もお鉄も、秀次郎の事情を、聞きはしなかった。茂衛郎はともかく、お鉄の性ならば、おそらく聞きたくて仕方がなかったはずだった。
 だが、あの親子は、何一つ、そういう話はしなかった。
 もしそれを聞かれていれば、何が何でも繋がりを断っていたであろう。
「酒か」
 辛そうに後を追う秀次郎の方を振り返って、茂衛郎がぼそりと言った。
 街道の傍にあった木立へ向かうと、背中の籠を下ろして座り込んだ。秀次郎もそれに倣う。汗を流したことで酒が抜け、疲れが圧し掛かっていた。
 そんな秀次郎を見て、茂衛郎が笑みを浮かべる。
「呑みたい日も、あらあな」
 日々そうなのだ、と言いたくなり、やめた。秀次郎がどのような日々を送っているのか、茂衛郎が知らぬわけはない。
 茂衛郎が腰の瓢箪から水を呑む。秀次郎も水を口にした。少し、身体が軽くなったように思えた。
「茂衛郎は、どうしてここまでするのだ」
 ぼやき混じりに、問うてみる。そうでなくとも、足が悪いのだ。石工は依頼主から材料持ち込みの仕事も多い。手に入る石だけでも十分つとまるはずである。
 茂衛郎はしばらく黙っていたが、
「色んな石が、あるやな」
 そう呟くと、腰につけていた小袋を漁った。秀次郎の目の前に、一つの石を差し出す。それは日を受けて銀色に光っていた。
「これは」
「何ていう石かは知らねえ。本当のごくたまに、見つかるそうだ」
 銀の混じった鉱石か、とも思った。だが、銀の混じった石は、見つかったときは黒っぽい色をしていると以前茂衛郎から聞いたことがある。山へ向かう道中、茂衛郎は時折石の話をする。それは、秀次郎にとっていつも興味深いものだった。
「この石はな、火を点けりゃ、燃えるんだ。それもな。火を上げて燃えるんじゃねえ。花火みたいにな。ばちばち爆ぜて、燃えるんだ」
 そんな石があるのか、と秀次郎は驚いた。
「一度火が点いたら、水の中に入れても消えねえ。それどころか、一層激しく跳ねやがるんだ。そうして、この銀色が、真っ白に変わるまで、何をしたって消えることがねえ」
 こいつをな、と茂衛郎は息を吐く。
「何かに使えねえか、って考えた。でも、遣いどころが難しくてな。そんな石を、おいらはいっぱい知ってる」
 そしてそんなのはきっと、まだまだいっぱいあるだろう、と茂衛郎は石を見ながら言う。
「ずっとこの仕事をやってるがな。知らないこと、わからないことだらけさ」
 秀次郎は黙って石を見つめた。そうだ。秀次郎のまわりにも、わからないことは、溢れていた。
 そして秀次郎は、わからぬことから目を逸らす生き方を選んだのだ。
 秀次郎には東吾(とうご)という兄がいた。幼いころは、やさしい兄であったと記憶している。だが、秀次郎が家を出る頃、ふたりの関係は破綻していた。
 ふたりが通っていた道場で、秀次郎が兄より上の席次になった。あの日が、はじまりであったように思う。剣のみならず、読み書き算盤、その他さまざまなことで、秀次郎が二つ上の兄を越えはじめていた。
 顔のつくりは兄弟だけあり、似たかたちであった。だが兄の東吾があばた顔であったのに比べ、秀次郎はすっきりとした顔つきで、背も、年下の秀次郎が兄を越えようとしていた。
 まわりの者たちが、兄ではなく自分を、少しずつ間倶根家の跡取りとして扱いはじめていることに、秀次郎は気付いた。そうして、兄が自分を避け、疎みはじめていることも。
 秀次郎は兄が好きだった。背や力では上回りつつあったが、それでも今日まで己を導いてくれた大切な兄であり、跡取りの座を奪おうなどとは露ほども思いはしなかった。だから、兄の変化は、秀次郎にとっても衝撃だった。
 兄の嫌悪が決定的になったのは、道場主の娘であったお銀(ぎん)が、あからさまに秀次郎に想いを寄せはじめたことだった。お銀は、兄の憧れの存在だったのだ。
 兄からの嫌がらせと思われるものを受けるようになった。父母のいないところでは言葉を交わすことがなくなった。竹刀や道着が隠され、困ることがあった。兄の取り巻きと思われる者たちから、わけのわからぬ言いがかりをつけられ、殴られることもあった。
 父が兄を正式に当主と表明した日まで、それは続いた。そして、その日を境にもとのやさしさを取り戻した兄が、秀次郎は恐ろしくてならなかった。
 秀次郎は逃げた。それ以上、兄の近くにいられる自信がなかった。
 それから各地を転々とした。どうして生きてきたのか。記憶はおぼろで、確かなものは少ない。そうして、すべての気力を失った身体で、今の長屋へ行き着いたのだった。
 長い間、石を見つめていたのに気がついた。
 茂衛郎が石を納め、立ち上がる。秀次郎も腰を上げた。疲れは、少し和らいでいる。
「心配してんだ。あいつも。あんな言い方しか、できねえけどよ」
 お鉄のことだ、とわかった。ただ長屋で近くに住んでいるというだけのことだ。なのに、この親子は何やかやと秀次郎の世話を焼いてくれる。それがなぜなのか。秀次郎には、わからなかった。
 茂衛郎が歩き出す。秀次郎は慌てて後を追った。

 二里ほどは歩いただろうか。辺りはすでに草木が鬱蒼と茂る野山になっている。茂衛郎はゆっくりと、だがしっかりとした足取りで山道を進んでゆく。時折立ち止まっては、地面や切り立つ崖に手を当て、土から石を掘り出したり、岩の一部を削り取ったりする。秀次郎の背にある籠は、そこそこの重みになっていた。
 どうしてここまでできるのだろう、と秀次郎は思う。あの足で山道を行くのは大変な苦難のはずだ。だが茂衛郎はそのようなそぶりをまったく見せない。それに、この峠の辺りにも近頃は野盗と化した食い詰め浪人どもが棲みついているとも聞く。腕のいい石工である茂衛郎は、ここまでせずとも生きていけるはずだ。
 己の生きる人の世がおそろしく、できうる限り目を逸らしていたいと思っている秀次郎には、茂衛郎やお鉄の活力は眩しい。だが、目映いからこそ、そこに惹きつけられるものがあることも、また事実だった。
 先ほどの、銀色の石を思い出す。茂衛郎たちは、火の点いた石だ。ばちばちと爆ぜ、輝いて、熱を持っている。
 おれの中の石はもう、真っ白に燃えつきてしまったのやもしれぬ。秀次郎はそのように思った。
 休憩と採石を入れながら、さらに一里ほど峠を歩いた頃だった。
「茂衛郎」
 先を行く茂衛郎を、秀次郎は押し留めた。静かにするよう手で示して、傍の木立に身を隠す。複数の、人の気配がした。
 なだらかな下り坂の先。ぼろを纏ったざんばら髪の男が三人、こちらへ近づいてくる。腰帯にはそれぞれ薄汚れた大刀を落とし込んでいる。
 野盗だ、と秀次郎は判じた。
 距離はまだあるが、男たちはこちらの方向へ歩いて来る。このままここにいれば、鉢合わせるのは疑いなかった。
 何事もなければいい。だが、襲われればどうするか。
 後ろの茂衛郎を見やる。足の悪い茂衛郎を連れて、男たちから逃げるのは難しいだろう。茂衛郎が逃げる間、ときを稼ぐ必要があった。
「茂衛郎。来た道を戻れ。できるだけ急いで」
 驚いた顔で茂衛郎が秀次郎を見た。
「おれもすぐに逃げる。だが、茂衛郎が逃げるのが先だ。できるだけ、遠くまで逃げてくれ。そうすれば、ふたりとも助かる」
 茂衛郎は何か言いかけたが、口をつぐみ、頷いた。籠を下ろすと、身一つで後ろへ駈け出した。
 秀次郎も背負子を下ろし、立ち塞がるように道へ出た。道の片側は岩壁で、片側は林だ。囲まれる心配はなさそうだった。
 二間ほど先で男たちが歩みを止めた。三人とも、にやにやといやらしい笑みを浮かべている。秀次郎はぎこちなく笑みを返した。
 足ががくがくと震えている。だが、切り抜けねばならない。
「このようなところで奇遇でござるな。どちらまで行かれる」
 笑みを消し、声を発した秀次郎を目で舐めまわす。旅装束の秀次郎ではあるが、それほど金を持っていると思われる風体ではない。だが。
「おめえ。いい刀持ってるな」
 真ん中のその男の一言で、残りのふたりが左右に分かれた。
「そいつを置いていけば、通っていいぜ」
 頭と思しき中央の男が、言った。黙って男の目を見返す。
 秀次郎は考える。家を出るときに持ち出した刀である。なるほどよいものではあるが、さりとて愛着があるわけでもない。刀を、渡してしまうか。ゆっくり、じらして渡せば、それなりにときは稼げる。茂衛郎も十分に逃げられるだろう。そうするべきか。
 だが刀を渡して、この男たちがすんなりと己を見逃すだろうか。これ幸いと、身ぐるみを剥ぎにかかるのではないか。それだけではない。命も取られるかもしれぬ。
 恐れが、込み上げてきた。
 死ぬのが怖いか、秀次郎。それだけ人の世に絶望していながら、それでもまだ、死ぬのが怖いか。
 己を叱咤する。どの道死んでいたはずだ。茂衛郎と、お鉄に助けられていなければ。
 だがそれでもやはり。死ぬのが怖い。おそろしい。そう思った。
 そして、何より。
 これを渡してしまえば。己の中に最後に残っているやもしれぬ火種が、失われてしまう。そんな気持ちになった。
 気付けば、鞘から抜き払っていた。
 男たちが間を取り、それぞれの得物を抜く。三本の白刃が、秀次郎を半円に囲んだ。
 秀次郎は岩壁を背にしている。狭い峠道では、一挙に襲いかかってくることは難しいはずだった。
 正眼に構え、左右を腕や脚の小さな動きで牽制する。道場では高次まで上った腕前だが、斬り合いははじめてである。
 己に斬れるのか。そんな思いが胸をよぎる。男たちはまず疑いなく場数を踏んでいる。
 だがそれでも。立ち向かわねば、秀次郎の命は失われるであろう。
 左の男がじりじりと距離を詰めてくる。誘われ、刀を左に向けそうになるのを押し殺す。
 右から斬撃が来た。鍔元を弾き、開いた半円を突破する。壁を背にしたまま、真横に走った。
 男たちが追ってくる。一番前を走ってくる、右側にいた男の脚に向けて剣を振るった。
 男が悲鳴を上げ、転がる。それで足の止まった二人目を、下から逆袈裟に斬り払った。
 刀を取り落とし、二人目の男が崩れ落ちる。頭の男だけが残り、秀次郎と対峙していた。
 男の纏う気が変わり、だらりとしていた構えが正しい八双に構え直される。この男は腕が立つ、とそれを見た秀次郎は判じた。
 正眼に構え直したまま、距離を取る。隙がなく、打ち込めない。こちらから仕掛ければ、十中八九、負けるだろう。
 じわりと浮く汗を無視し、目の前の敵に集中する。一片の隙なく構える野盗の男と、傍の岩壁が目に入る。
 ふと、岩壁に目立つ筋があるのに気付いた。崩落したあとなのか、左側に伸びる岩壁は何重もの層が壁の中にできている。
 その中に細く一筋。銀色に輝く層が混じっている。それは秀次郎のすぐそばにあった。
 秀次郎は動いた。
 横にした刀身を、滑らせ、擦るようにして銀色の層を叩く。男が構わず、秀次郎を斬るために刀を摺り上げる。
 その眼前で、火花が散った。
 岩壁が唸りを上げ、爆ぜる火を飛ばす。秀次郎の刀も、ばちばちと爆ぜている。男の動きが、止まった。
 火を噴く刀で、男を斬り下げた。
 焦げた臭いを発しながら、男が背中から倒れた。斬り下げた形のまま、秀次郎は固まっていた。
 男が動かないのを認めて、秀次郎はへたり込んだ。脚を斬っただけの男は逃げ去ったのか、姿はない。壁の火も、刀に点いた火も、すでに消えていた。
 だが。
 秀次郎は刀を掲げる。岩壁と木々の隙間から、青い空が覗いている。
 生きている。おれは、生きている。胸のうちで、叫んだ。
 己が生きたいと思っていたことに、ようやく気がつけた。
 刀の火は消えた。だがその火は秀次郎の身に移り、じわりと温かみをもたらした。そのように、秀次郎は感じた。
 茂衛郎と、お鉄のことが思い浮かんだ。こんな己を、気にかけてくれるものがいる。ただ、わかろうとしなかっただけだ。
 それがなぜか。わからないで済ませては、ならぬのだろう。わからねば、ならぬのだろう。
 そこからはじめてみるのも、悪くはない。
 身体のうちより込み上げるものを感じながら。秀次郎はただただ、空を見上げていた。

(完)

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