将棋のルーツ
将棋が成立する以前に桝目が8×8のアシュタパダと呼ばれる遊戯盤を使ったすごろくのような競争ゲームがあった。それがこまを取り合う要素を取り入れチャトランガとよばれる原将棋が成立した。サンスクリット語でチャトルは4つアンガは組、要素といった意味でチャトランガは4つの組、要素という意味。最初期の将棋は4人で遊ばれていてさいころを使っていた。
だれが発明したか?
伝説によると、昔、戦好きの王様がいて、始終戦争にあけくれていた。そのため国民は困り果てていたが、ある賢者が新しいゲームを考案して王様に献上した。それは、盤と駒を使い、実際の戦闘を模した、将棋というゲームだった。王様はすっかり新しいゲームに夢中になって実際の戦争はやめてしまい、国に平和が戻った。
インド、ビルマ、タイに同じような伝説が王と賢者の名を変えて伝わっている。しかし、将棋というゲームを実際に誰が発明したか特定するのは不可能で、多くの人々に遊ばれるうちに徐々に改良されて今日に至ったとされている。
どこで生まれたか?
インドのガンジス川上・中流域
いつ?
四人制チャトランガが前三世紀ごろ。二人制に変化したのが三世紀から四世紀ごろと推定されている。二人制に変化したときにさいころを使用することがなくなった。
*ただし最近では、最初から二人制で四人制は、あとから生まれた変種でしかないとする説も有力となっていて、年代の再検討も行われている。
将棋の伝播
古代インドで生まれた将棋はほぼ三つ方向にひろがっていったと思われる。第一のルートは古代イラン。第二のルートはガンジス川を下ってミャンマー(ビルマ)から東南アジア。第三のルートは北方の中央アジアを経て、シルクロードを通じて中国まで。
第一のルートではまず遅くとも6世紀ごろイランへ伝えられた。イランに伝えられたときにはすでに二人制のさいころを使わないルールになっていた。ササン朝ペルシアのホスロー1世のころの文書にシャトランジと記されている。イランのシャトランジはのちにインドに逆輸入されている。さらにアラビアにつたわったのが8-9世紀ごろ。そのころの駒も現在10数組残っている。千夜一夜物語の中のオマル・ブヌ・アン・ヌウマーン王とその二人の御子の物語の49話にシャトランジをするシーンがある。ヨーロッパに伝わったのが9-10世紀ごろでビザンツ帝国を通じてロシアから中央ヨーロッパへ入っていったルートとアフリカ北東部からスペインを通じて中央ヨーロッパに入っていったルートの二つがあった。現在のチェスの形態が整ったのは15世紀ごろだとされている。
将棋の伝わった第二のルートとは、近年、注目されている海のシルクロードと同じである。インドからミャンマー、マレー半島、タイ、ベトナムから中国南岸までのルートはかなり早くから開かれていた。将棋は航海に従事した船乗りたちの娯楽だったのだろう。あるいは、食料の補給や風待ちのため停泊した港で現地の人たちと交流する機会があったことは充分、想像される。現在、東南アジアで指されている将棋で代表的なものは、ミャンマーのシットインとタイのマーク・ルックがある。
第三のルートは有名なシルクロードを通じて中国まで到達したのち、朝鮮まで伝わってチャンギとよばれる朝鮮将棋になった。将棋が中国にはいった時期ははっきりとはわからないが、北宋時代の駒が出土しており、その形状と名称が今の象戯(シャンチー)とほぼ同じなので北宋以前の唐時代末に入ったと思われる。
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