トップに戻る

篠山市&朝鮮半島交流史

―古代から現代まで―

(篠山市在日コリアン足跡調査中間報告)


篠山養護学校生の作品

篠山小学校の民族族学級の推移(概略)
辻本 久夫
 
1. 民族学級の発足まで
   帰国運動
   朝鮮語教育

2. 篠山小学校に民族学級誕生の経緯
   GHQ政策
   阪神教育闘争
   朝鮮人学校の3方向
   特設学級として

3.朝鮮人教員赴任
   1人目:田中信・鄭哲
    * 50年12月末〜58年8月末?
    * 8年8ヶ月勤務
    * 職名は講師だが、給与は月給制9800円
    * 1年生から3年生までを1学級、4年生から6年生までを1学級とする複式2学級の学     級編成で授業を行う。
    * 低学年は国語週12時間、高学年は国語・社会を週13時間学習。

   2人目:金貴同
    * 58年9月1日〜83年3月 
    * 24年7ヶ月勤務
    * 専用教室配置から空き教室を転々と。
    * 学級に必要な備品・教具は寄付。民族学級の遠足や家庭訪問も実施。日本人教員      には無関心が多かった。
    * 毎日の学級授業が、週2.3日と減少した。児童の集まりが悪くなっていった。

篠山小学校の朝鮮人学級の歴史

西暦 元号 篠山小学校 関連の出来事
1913 大正
  2
篠山尋常高等小学校 丹波で珪石発見
1941 昭和16 篠山国民小学校と改称
       (児童数1,025人)
第2次世界大戦に突入(12月8日)
1945 20 縁故疎開等により転入児童が急増       (児童数1,460人) 日本敗戦。在日本朝鮮人連盟結成。民族学校設置運動広がる。県内に56校創設。
1946 21 紀上朝連初等教育学院設立(3月13日より、上立町の公会堂(別名「孔雀会館」内)篠山国民小学校、男女共学編成となる。
       (児童数1,266人)
GHQ朝鮮人帰国者の再入国を禁止
1947 22 篠山小学校と改称
       (児童数1,063人)
外国人登録令実施。新憲法施行。文部省通達「在留する朝鮮人児童は日本人と同様、就学義務がある」
1948 23        (児童数1,062人) 大韓民国政府樹立・朝鮮民主主義人民共和国政府樹立。朝鮮人学校へ第1次閉鎖令に対して各地で抗議デモ。兵庫県庁周辺に大デモ隊、「阪神教育闘争」起こる。兵庫県知事、学校閉鎖令の撤回等を署名。GHQ,非常事態宣言発表。
1949 24 紀上朝連初等教育学院、上立町の孔雀会館を返還(11月10日)、その後西新町の朝鮮人宅に移転。県職員が西新町の学校閉鎖命令書を持ってくる(篠山新聞1949年11月25日付) 朝鮮高級学校創立、県内の朝鮮学校20校(4,800人)となる。
1950 25 次第に居住地の公立学校へ分散入学(4月)。多紀郡地方事務所と朝鮮人連盟貴紀上支部で「覚書」交わす。分散入学が最も多い篠山小学校に課外学級を設置する(12月)。
朝鮮人教員赴任(12月31日付、田中信・鄭哲)  (児童数1,076人)
兵庫県・兵庫県教育委員会が朝鮮人代表と覚書「朝鮮人学校閉鎖に伴う朝鮮人子弟教育について」を交わす(3月)。 市立伊丹北中学校等4学校に民族学級、尼崎市立西小学校等8校に(朝鮮人)分校を設置して朝鮮人教員を県教委が講師派遣する。
伊丹の北中学校の辞令は8月31日付。
1951 26 朝鮮人児童11人が入学し(1月)、計34名となり、課外授業が始まる。(児童数1,070人)  
1959 34 朝鮮人教員(金貴同)赴任
         (児童数1,049人)
この頃、大芋小学校の朝鮮人卒業児童が多くなる(4人〜6人)。
1965 40          (児童数683人) 日韓基本条約調印
1974 49 小学校内に篠山養護学校設立  
1975 50          (児童数485人) 伊丹北中学校の朝鮮人教員、不当解雇(6月)。解職処分取消の民事訴訟。
1984 57          (児童数371人)  
1983 58 朝鮮人教員退職(3月)  
1984 59   提訴中の教員、他界(3月)
辻本久夫作成

資料
1950年の兵庫県内の朝鮮人学校一覧
『兵庫県朝鮮人運動沿革史(朝連編)』(2002年4月発行)より
資料1 自主学校(16校)
地域 学校名(所在の市町)
阪神 阪神朝鮮小学校(西宮市宮前町)、宝塚朝鮮小学校(宝塚小浜美佐)、川辺朝鮮小学校(川西市小花)、有馬朝鮮小学校(有馬郡三輪町)
神戸 西神戸朝鮮小学校(長田区浜添通)、東神戸朝鮮小学校(葺合区旗塚通)、神戸朝鮮中学校(長田区浜添通)
播磨 姫路朝鮮小学校(姫路市本町)、飾磨朝鮮小学校(姫路市飾磨郡英賀)、家島朝鮮小学校(家島町西島)、網干朝鮮小学校(姫路市網干区新在家)、相生朝鮮小学校(相生市那波)、船坂朝鮮小学校(赤穂郡船坂)、西脇朝鮮小学校(西脇市西戸田)、加西朝鮮小学校(加西郡下里村)西播朝鮮中学校(姫路市飾磨区)
 
資料2 公立学校の分校になったもの(8校)
地域 学校名(所在の市町)
阪神 尼崎市立西小学校分校(西字中惣町)、尼崎市立武庫小学校分校(守部)、尼崎市立園田小学校分校(中島)、尼崎市立立花小学校分校(三反田浜)尼崎市立大島小学校分校(今北)、伊丹市立神津小学校分校(東桑津)
播磨 明石市立林小学校分校(船上大坪)、高砂市立高砂小学校分校(木曽町)
分校は日本人教師が任命され主任も日本人教師。
分校は(本文どおり)朝鮮人教師は講師雇員の名目で採用。
分校は(本文どおり)教科書は日本のもので朝鮮の民族科目を定時限で教える。
校舎は旧朝連学校の所有物であった。当時提供したものであるが土地、備品等は当局から提供されたものである。
社会保障は兵教組中央委員会の好意をうける。
学生は全員朝鮮人子弟である。
 
資料3 特設学級(民族学級)が設置された学校(4校)
地域 学校名(所在の市町)
阪神 伊丹市立北中学校(伊丹市堀越)
播磨 三木市立美嚢小学校(三木市志染町)、米田小学校(加古郡米田町)
丹波 多紀篠山町立小学校(多紀郡篠山町上立町)
日本の学校に在学し、日本の子供と一緒に勉強する。
朝鮮人の子弟のために定時限が終了した後一年生から六年生まで一緒に集めて民族科目を教えた。
定時限外授業の民族科目はむしろ子供を混乱のなかに追い込むこともあり、日本の子弟から偏見視された。
教師の関係も分校よりも悪く児童に対し系統的な指導は難しき事があった。
 
参考資料: 『4.24阪神教育闘争』(ブレーンセンター出版)、『篠山小学校創立120周年記念誌』(同校記念実行委員会発行)
『大芋小学校沿革史』『兵庫県教職員録』『兵庫県朝鮮人運動沿革史(朝連編)』(生活と社会科学臨時号)
『町立篠山小学校民族学級の沿革史』(上垣正明著、雑誌『交流』)

宮田古墳群と渡来人(古代篠山と渡来人 ―大師山・宮田古墳群を中心に― )
寺 岡  洋
 
朝鮮系遺物および遺跡(遺構・遺物)から推定される渡来系集団
 5世紀代
ずえが谷遺跡(篠山市大山下):初期須恵器(TK73様式)出土    『年 報』2002
大師山6号墳:5世紀中葉〜後半
猫谷窯跡(旧丹南町一印谷):5世紀後半〜6世紀初頭の須恵器窯跡   『長者ヶ谷1号墳』1989
 6世