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篠山市&朝鮮半島交流史

―古代から現代まで―

(篠山市在日コリアン足跡調査中間報告)


篠山養護学校生の作品

篠山小学校の民族族学級の推移(概略)
辻本 久夫
 
1. 民族学級の発足まで
   帰国運動
   朝鮮語教育

2. 篠山小学校に民族学級誕生の経緯
   GHQ政策
   阪神教育闘争
   朝鮮人学校の3方向
   特設学級として

3.朝鮮人教員赴任
   1人目:田中信・鄭哲
    * 50年12月末〜58年8月末?
    * 8年8ヶ月勤務
    * 職名は講師だが、給与は月給制9800円
    * 1年生から3年生までを1学級、4年生から6年生までを1学級とする複式2学級の学     級編成で授業を行う。
    * 低学年は国語週12時間、高学年は国語・社会を週13時間学習。

   2人目:金貴同
    * 58年9月1日〜83年3月 
    * 24年7ヶ月勤務
    * 専用教室配置から空き教室を転々と。
    * 学級に必要な備品・教具は寄付。民族学級の遠足や家庭訪問も実施。日本人教員      には無関心が多かった。
    * 毎日の学級授業が、週2.3日と減少した。児童の集まりが悪くなっていった。

篠山小学校の朝鮮人学級の歴史

西暦 元号 篠山小学校 関連の出来事
1913 大正
  2
篠山尋常高等小学校 丹波で珪石発見
1941 昭和16 篠山国民小学校と改称
       (児童数1,025人)
第2次世界大戦に突入(12月8日)
1945 20 縁故疎開等により転入児童が急増       (児童数1,460人) 日本敗戦。在日本朝鮮人連盟結成。民族学校設置運動広がる。県内に56校創設。
1946 21 紀上朝連初等教育学院設立(3月13日より、上立町の公会堂(別名「孔雀会館」内)篠山国民小学校、男女共学編成となる。
       (児童数1,266人)
GHQ朝鮮人帰国者の再入国を禁止
1947 22 篠山小学校と改称
       (児童数1,063人)
外国人登録令実施。新憲法施行。文部省通達「在留する朝鮮人児童は日本人と同様、就学義務がある」
1948 23        (児童数1,062人) 大韓民国政府樹立・朝鮮民主主義人民共和国政府樹立。朝鮮人学校へ第1次閉鎖令に対して各地で抗議デモ。兵庫県庁周辺に大デモ隊、「阪神教育闘争」起こる。兵庫県知事、学校閉鎖令の撤回等を署名。GHQ,非常事態宣言発表。
1949 24 紀上朝連初等教育学院、上立町の孔雀会館を返還(11月10日)、その後西新町の朝鮮人宅に移転。県職員が西新町の学校閉鎖命令書を持ってくる(篠山新聞1949年11月25日付) 朝鮮高級学校創立、県内の朝鮮学校20校(4,800人)となる。
1950 25 次第に居住地の公立学校へ分散入学(4月)。多紀郡地方事務所と朝鮮人連盟貴紀上支部で「覚書」交わす。分散入学が最も多い篠山小学校に課外学級を設置する(12月)。
朝鮮人教員赴任(12月31日付、田中信・鄭哲)  (児童数1,076人)
兵庫県・兵庫県教育委員会が朝鮮人代表と覚書「朝鮮人学校閉鎖に伴う朝鮮人子弟教育について」を交わす(3月)。 市立伊丹北中学校等4学校に民族学級、尼崎市立西小学校等8校に(朝鮮人)分校を設置して朝鮮人教員を県教委が講師派遣する。
伊丹の北中学校の辞令は8月31日付。
1951 26 朝鮮人児童11人が入学し(1月)、計34名となり、課外授業が始まる。(児童数1,070人)  
1959 34 朝鮮人教員(金貴同)赴任
         (児童数1,049人)
この頃、大芋小学校の朝鮮人卒業児童が多くなる(4人〜6人)。
1965 40          (児童数683人) 日韓基本条約調印
1974 49 小学校内に篠山養護学校設立  
1975 50          (児童数485人) 伊丹北中学校の朝鮮人教員、不当解雇(6月)。解職処分取消の民事訴訟。
1984 57          (児童数371人)  
1983 58 朝鮮人教員退職(3月)  
1984 59   提訴中の教員、他界(3月)
辻本久夫作成

資料
1950年の兵庫県内の朝鮮人学校一覧
『兵庫県朝鮮人運動沿革史(朝連編)』(2002年4月発行)より
資料1 自主学校(16校)
地域 学校名(所在の市町)
阪神 阪神朝鮮小学校(西宮市宮前町)、宝塚朝鮮小学校(宝塚小浜美佐)、川辺朝鮮小学校(川西市小花)、有馬朝鮮小学校(有馬郡三輪町)
神戸 西神戸朝鮮小学校(長田区浜添通)、東神戸朝鮮小学校(葺合区旗塚通)、神戸朝鮮中学校(長田区浜添通)
播磨 姫路朝鮮小学校(姫路市本町)、飾磨朝鮮小学校(姫路市飾磨郡英賀)、家島朝鮮小学校(家島町西島)、網干朝鮮小学校(姫路市網干区新在家)、相生朝鮮小学校(相生市那波)、船坂朝鮮小学校(赤穂郡船坂)、西脇朝鮮小学校(西脇市西戸田)、加西朝鮮小学校(加西郡下里村)西播朝鮮中学校(姫路市飾磨区)
 
資料2 公立学校の分校になったもの(8校)
地域 学校名(所在の市町)
阪神 尼崎市立西小学校分校(西字中惣町)、尼崎市立武庫小学校分校(守部)、尼崎市立園田小学校分校(中島)、尼崎市立立花小学校分校(三反田浜)尼崎市立大島小学校分校(今北)、伊丹市立神津小学校分校(東桑津)
播磨 明石市立林小学校分校(船上大坪)、高砂市立高砂小学校分校(木曽町)
分校は日本人教師が任命され主任も日本人教師。
分校は(本文どおり)朝鮮人教師は講師雇員の名目で採用。
分校は(本文どおり)教科書は日本のもので朝鮮の民族科目を定時限で教える。
校舎は旧朝連学校の所有物であった。当時提供したものであるが土地、備品等は当局から提供されたものである。
社会保障は兵教組中央委員会の好意をうける。
学生は全員朝鮮人子弟である。
 
資料3 特設学級(民族学級)が設置された学校(4校)
地域 学校名(所在の市町)
阪神 伊丹市立北中学校(伊丹市堀越)
播磨 三木市立美嚢小学校(三木市志染町)、米田小学校(加古郡米田町)
丹波 多紀篠山町立小学校(多紀郡篠山町上立町)
日本の学校に在学し、日本の子供と一緒に勉強する。
朝鮮人の子弟のために定時限が終了した後一年生から六年生まで一緒に集めて民族科目を教えた。
定時限外授業の民族科目はむしろ子供を混乱のなかに追い込むこともあり、日本の子弟から偏見視された。
教師の関係も分校よりも悪く児童に対し系統的な指導は難しき事があった。
 
参考資料: 『4.24阪神教育闘争』(ブレーンセンター出版)、『篠山小学校創立120周年記念誌』(同校記念実行委員会発行)
『大芋小学校沿革史』『兵庫県教職員録』『兵庫県朝鮮人運動沿革史(朝連編)』(生活と社会科学臨時号)
『町立篠山小学校民族学級の沿革史』(上垣正明著、雑誌『交流』)

宮田古墳群と渡来人(古代篠山と渡来人 ―大師山・宮田古墳群を中心に― )
寺 岡  洋
 
朝鮮系遺物および遺跡(遺構・遺物)から推定される渡来系集団
 5世紀代
ずえが谷遺跡(篠山市大山下):初期須恵器(TK73様式)出土    『年 報』2002
大師山6号墳:5世紀中葉〜後半
猫谷窯跡(旧丹南町一印谷):5世紀後半〜6世紀初頭の須恵器窯跡   『長者ヶ谷1号墳』1989
 6世紀代
宮田1号墳:6世紀前葉
灰高(はいだか)1号墳(篠山市大山下):6世紀初頭、初期の横穴式石室   『年 報』2002
竪穴系横口式石室ともよばれる。ずえが谷1号墳(6世紀後半)も同形式の石室である。
峠尻2号墳(長安寺):6世紀前半 初期の横穴式石室 金銅装冑・金銅装馬具
真南条上3号墳:6世紀中葉 多葬墓 台付把手付椀 模型鉄斧    『真南条上3号墳』1995
箱塚4号墳(小坂):6世紀中葉 装飾付須恵器(台付子持壺)、特殊扁壺(へんこ)、大型高杯・蓋       『箱塚4号墳』1993
庄境1号墳(大沢):6世紀末〜7世紀初頭 装飾大刀 鉛製の耳環   『庄境1号墳』1987
稲荷山古墳(小田中):T字形石室
 7世紀代
沢の浦2号墳(上坂井):7世紀初頭 装飾大刀 鉄製の釧(くしろ) 追葬時に、陶棺(とうかん)                        『沢の浦古墳群』1987
山田1・2号墳 7世紀初頭 金銅装大刀(1号墳)、単鳳式環頭大刀(2号墳)
灰高遺跡の竪穴住居(SH11):オンドル状遺構(L字形カマド)   『年 報』2002
時期未確定
西木之部遺跡:殺馬を表現した土馬         『西木之部遺跡』1993
文字で確認できる資料:木簡(もっかん)
 「丹波国多貴評草上」(表) 「里漢人マ佐知目」(裏 マは部の略字)
藤原宮跡出土の木簡   出土地:明日香養護学校遺跡(明日香村川原・小山田)
多貴(たき)の評(こおり)草上の里の“漢人部(あやひとべ)佐知目”が、藤原宮へ運んだ品物に付けられていた貢進物付札が廃棄されたもの。
漢人部は、百済系とされる漢人(あやひと)に管掌されていた集団。
釈文は『木簡研究』(13 1991)、図版は『青陵 22』(橿原考古学研究所 1973)による。
文献で確認できる渡来系氏族
 常澄宿禰(つねずみのすくね)成主  『続日本後紀』承和十一年(844年)の記事に、
「丹波国多紀郡人 斎院主典従七位上 常澄宿禰成主」の本籍を、平安京へ変更する貫附記事   
常澄宿禰の旧姓は、“八戸史(やべのふひと)”という、高句麗系の氏族だった。
『続日本後紀』承和三年三月の記事に、
「……八戸史…廿十人に常澄宿禰を賜姓。其の先 高麗人也」と特記されている。 
篠山における渡来関連遺跡の特徴
・古代交通路(古代山陰道など)
・須恵器(すえき)生産
・三田地域(摂津国有馬郡)とのつながり


近世と近代を結ぶ城山稲荷神社(篠山市今田町)
尹達世<ユンダルセ>
1. 戦後は商売繁盛の神様として参詣者が多いといわれるが、戦前は「徴兵逃れの神様」として崇敬されていたという。軍国主義華やかな戦前において「徴兵逃れの神様」がいたとは驚きだ。
2. 戦前の城山稲荷神社
@ 明治32年5月の『神戸又新日報』によると「大祭(4月24日、9月23日)には阪鶴鉄道(現JR福知山線)の汽車賃半減」「山頂には洋服洋裁店や写真館があり、常設の露店や茶店がある」などと報じている。
A 明治35年、荻野哲太郎作詞作曲『阪鶴鉄道唱歌』には「まもなく着ける古市の駅より下りる人びとは城山稲荷に詣ずるか清水寺に参るのか」の一節がある。
3. 徴兵制度の背景
@ 明治6年(1873年)徴兵令布告
A 「日清・日露の両戦争を通して次第に国民の間に帝国主義的な意識が浸透していった。反面、両戦争当時の民衆意識について、徴兵逃れ祈願も盛んに行なわれた」
B 「徴兵逃れ祈願は日露戦争以後から大正期にかけてさらに拡大した。その最大理由は徴集兵卒の激増にあり、日清戦争前の1893年(明治26年)には徴兵検査合格者約12万人中から抽籤で約17%のおよそ2万人が徴兵されたのにすぎなかったが、日露戦争前の1902年(明治35年)には合格者の約47%にあたる5万6000人が現役兵として徴集された。そして日露戦争後の1910年(明治43年)には合格者15万8000人のうちおよそ10万4千人が徴集された。当籤率は約66%である。合格者の中から抽籤で確立が高くなったことから神仏に頼る信仰に拍車をかけた」(大江志乃夫『徴兵制』岩波新書、1981年)。
C 「明治に入って徴兵制度がしかれ、富国強兵の名のもとで徴兵が激しくなるにつれて、『徴兵のがれの神』として崇敬者を集め、近郷近在から参詣者が増加していくとともに社も整備充実されていった」(『徴兵・戦争と民衆』喜多村理子、吉川弘文館、平成11年)。
D 国民の建前と本音
『一意専心』お国のために尽くす」「日本国民と生まれたからには『一死報国』軍務に精励」「『七生報告』生きて還らぬ」−建前。
「どんなことがあっても絶対に死ぬんじゃない」「一日も早く無事に除隊を迎えて帰宅する」-本音。
4. なぜ城山稲荷神社が「徴兵逃れの神社」となったか、そのルーツと「朝鮮の役」
(ア) 大正末期の『稲荷神社明細帳』によると「永禄元年(1558)夏の大旱魃による村民の憂患忍び難く、八上城主・波多野秀治の武将・小野原右京勝政が稲荷の神霊を城内に勘定して豊穣を祈る。
(イ) その後勝政は慶長2年(1597)朝鮮において戦勝祈願をしたところ神徳著しく、帰城の後ますます崇敬した」とあり、また『城山稲荷神社沿革誌』によると、「市原城主小野原采女が慶長の役に出陣のとき、戦勝祈願をしたため無事帰還、慶長5年城内に勧請」とある。

篠山に来た朴泳孝(パクヨンヒョ)
金慶海<キムキョンヘ>
*朴泳孝(1861.6.〜1939.9.両班<ヤンバン>出身)
1872.4 12歳で第25代国王・哲宗<チョルチョン>の娘・泳恵<ヨンヘ>翁主(1858生まれ)と結婚「〔馬+付〕馬」 妻は同年7月に他界
*1876.2.カンファド江華島条約で朝鮮は開国
△初来日(1882年修信使の正使)
・この時、神戸港の西村旅館に対極旗を掲げる。   旅行記「使和略記」
・改革を決心
△1884.12月甲申政変、失敗。
△第1次亡命(1884.12.〜1894.8.)
・1885〜‘85.12渡米
・1888.2.国政改革のための上疎文 → 立憲君主制を主張
・1894.3.東京の私塾・親隣義塾で暗殺未遂に遭う。  *盟友のキムオッキュン金玉均は暗殺
        *日清戦争(1894.7〜‘95.4)
      
△帰国(1894.8.〜‘95.7.)
・内部大臣に就任(‘94.12.)
・内政改革上のことで井上馨公使と意見の対立
△第2次亡命(1895.7.〜1907.6. *娘の妙玉を連れて)
・2度目の渡米(1895.7.〜‘96.5.)         *1895.10.三浦公使らが閔妃弑殺
・ほとんど、神戸に住む。主な活動
  −帰国の準備                *1902.5.篠山に
  −孫文と面談(1900.6.〜‘02.12.)
  −朝日義塾を設立、運営(1901.5.〜‘02.12.)   *日露戦争(1904.2.〜’02.9.)
       → 朝鮮青年を育成              *乙巳保護条約(1905.9.)
朝鮮は実質的に植民地化
△帰国
・1907.6.帰国  7月、宮内大臣に就任 *ハーグ密使事件(1907.6.)で
・1907.8.〜‘10.1.済州島に島流し 第26代国王が強制退位
△1910.8月 日本が韓国を併合    *南山韓屋村に朴泳孝の旧宅展示
同年10月 朴泳孝 侯爵

篠山の鉱山と朝鮮人
徐根植<ソ クンシック>
1,篠山の在日コリアンの人口
・旧多紀郡に於ける在日朝鮮人の人口
1930年 1939年 1950年 1951年 1956年 1959年 1981年
85 300 782 721 613 551 218
2,珪石鉱山と在日朝鮮人
@ 在日朝鮮人が篠山の珪石鉱山で多数働いていた。
・同胞の話では戦中戦後も鉱山での労働は朝鮮人が多数を占めていたという。
・戦後の鉱山では朝鮮人の親方の下で日本人が働いたり、日本人の親方の下で朝鮮人が働いていたりしていた。
1)李春海氏の証言   (A)参照
2)黄宗河氏の証言   (A)参照
3)2004年9月5日村雲での聞き取り調査
A 篠山にもあった朝鮮人強制連行
1946年厚生省勤労局が「朝鮮人労務者に関する訴査の件」を地方長官に指示し、各地域の勤労署が企業に指示し調査が行われた。この調査は日本の官庁が戦後すぐに行ったのですが、通達の内容から朝鮮人強制連行関係の調査といえる。
通達の中の「調査上の注意に「1,官斡旋徴用に依る移入労働者に限ること、2,「自由募集による移入者については夫々各表に準じ別途作製すること。」とある。
『朝鮮人強制連行』という言葉は朴慶植先生が初めて使われた用語です。
 それは1938年に公布された「国家総動員法」、これにもとずき「労務関係勅令」が発動され企画院による「労務動員計画」がたてられ1939年には「国民徴用令」が発表され、日本人が戦争に大々的に動員されていきました。朝鮮に関しては「徴用令」の適用をさけ「募集」形式の動員計画がたてられました。
 1939年7月内務、厚生両次官名儀の依命通牒「朝鮮人労務者内地移住に関する件」によりこの年8万5千名の朝鮮人の集団連行が各業者に認可された。
 このときから「自由募集」「官斡旋」「徴用」などと動員方式を変えて朝鮮人を大々的に労働力として日本や戦地に無理矢理送ったことをいう。このことを実態にふまえて「朝鮮人強制連行」と呼んでいる。
・畑鉱山に強制連行された朝鮮人がいた。
1984年1月丁度20年前になります。このとき篠山の同胞の歴史を調べたとき当時、畑に住んでおられた「キンドグツ」さん通名は「国本」もう一人は「リチュネ」さん通名は 「岩本」というお二人から畑珪石鉱山での朝鮮人について聞き取りをしました。
 このときお二人から「戦争中畑鉱山だけでも80人から100人くらいの朝鮮人徴用人夫が来ていた」との証言を聞いた。
 この時点では証言だけで裏付ける資料がなかった。
 しかし先にふれた1946年厚生省勤労局「朝鮮人労務者に関する調査の件」の名薄が見つかり入手することで判明した。
 名簿は1990年5月当時の韓国大統領領慮泰愚氏が日本を訪間したとき韓国政府から日本政府に「戦前戦中の朝鮮人連行者の名簿作りについて」要請があり、その後日本政府の調査で見つかった名簿が3回に分け計10万7904名分を韓国政府に引き渡した。
 この中に兵庫県分1万3477人の中に「官斡旋」で畑鉱山に連行された80名の名簿があった。証言が裏付けられた。真実だった。すなわち畑鉱山に朝鮮人強制連行があったと言うことだ。
 篠山に来たのが1944年11月14日、丁度60年前です。
 人数は80名でその内30名が1945年5月1日に鳥取県「日野鉱業所」に派遣された。終戦に依る帰国は20名、逃亡は17名、病人は6名、死亡が2名です。(C)参照
・連行された朝鮮人の飯場がわかった。
田中秀夫さんの証言で新事実が判明した。
官斡旋で畑鉱山に連行された朝鮮人たちは鍔市ダムの少し奥に篠山町の色町にあった二階建ての建物を解体し、ここで組んだ飯場で生活していた。
 強制連行された朝鮮人はこの様に離れた場所に管理しやすい状況で収容されていた例が多く篠山でも同様だったといえる。
※参考資料添付
(A)「兵庫と朝鮮人」ツツジ印刷 1985年 『丹波篠山の同胞』
(B)「鉱山と朝鮮人強制連行」明石書店1987年 『丹波篠山の珪石鉱山』
(C)「在日朝鮮人90年の軌跡」神戸学生・青年センター出版部1993年
『丹波篠山の畑鉱山、但馬竹野鉱山と朝鮮人鉱夫 −畑鉱山と朝鮮人鉱夫』
3, マンガン鉱山と朝鮮人
・未調査
・篠山在住の同胞から珪石鉱山調査時に福住のマンガン鉱山でも朝鮮人が働いていたという話があった。
・来年からお父さんがマンガン鉱採掘の地元責任者であったという市議会議員降矢太刀雄氏の協力を得て進めてゆきたい。

畑鉱山と朝鮮人 −共に暮らした日々−
田中秀夫
1.日鉄鉱業畑砕石所官斡旋朝鮮人労務者の概要
◎ 人員80名
・江原道寧越郡<かんうぉんどにょんうぉる>(77名)、忠清北道<ちゅんちょんぷくど>(2名)、慶尚北道<きんさんぷくど>(1名)
・A寮(瀬利) 80名
◎ 入所
・年月 1944(昭和19)年11月
・職種 運搬夫・採鉱夫・支柱夫
・年齢 明治生まれ(20名)、大正生まれ(46名)、昭和生まれ(14名)
◎ 退所
・1944(昭和19)年12月 6名 病気
・1945(昭和20)年 5月 35名 鳥取県日野鉱業所へ派遣
             8月 2名 死亡、17名 逃亡
            10月28日 20名 終戦時帰国(帰鮮と表記されている)
◎ 硅石とその運搬
・硅石 約5億7000万年前の堆積鉱床として
     約1500度の熱に耐える耐火レンガの材料として
・トロッコ、牛馬力で旧篠山町駅、篠山口駅、谷川駅、高砂駅、高砂港、九州八幡製鉄所へ
・1944(昭和19)年より篠山線(篠山口〜福住)で輸送、トロッコ、牛馬車輸送はトラック輸送に
◎ その他 年表
1920(大正 9)年 畑鉱山発見
1926(大正15)年 採掘開始
1931(昭和 6)年 満州事変
1937(昭和12)年 日中戦争
1939(昭和14)年 朝鮮人労務者募集要項公布(炭鉱、鉱業、土建業に限る)
1941(昭和16)年 太平洋戦争
1943(昭和18)年 官斡旋要項の公布
1951(昭和26)年 57000t産出、256人
1979(昭和54)年 閉山
2. 朝鮮・韓国の人たちの暮らし
◎ 飯とみやげ・手伝い
昭和 6〜13年 李合川班(トロッコ輸送)家族と共11名  借家
◎ 漢字とやさしかったS子さんやけんかしたM君
昭和13〜18年 あまり交流なし(但し祖父母は交流) 借家
◎ 子守、手伝い、食料交換
昭和20〜38年 韓国の夫婦と同居(昭和20〜24年)神戸の借家
    その他 A夫婦(昭和27〜29年)
    B夫婦と中学生(昭和30〜35年)土蔵を改良して
3. 70年を振り返って
・「朝鮮のおっちやん(李合川)」と呼んでいたころ
・24名の児童・生徒、そして保護者家族に思いをはせて

篠山に住む外国人 −まずは民族・国籍を越えた出会いから−
藤井幸之助
1.戦前・戦後の人の流れ
2.日本から海外へ (海外棄民(移)民)中国残留日本人・日系南米・北米人
  海外から日本へ (植民地支配) 在日朝鮮人
3.オールドカマー(旧植民地出身者とその子孫)とニューカマー(新渡日者)
4.「単一」民族神話の上に成り立つ日本社会
  労働力不足を補うために、単純労働を支える
   1990年入管法改正により
・永住者ビザによる日系南米人
・研修生ビザによるアジア人(1年目は研修生として生活費のみの支給、2年目は実習生として日本人よりも安い貸金での労働)受け入れ開始
5.多民族・多文化社会化のすすむ日本
  国立民族博物館特別展「多みんぞくニホン−在日外国人のくらし−」(2004年春)
  外国人の生活がしめすモノによる展示
6.篠山に住む新渡日外国人(別紙統計参照)
  おとな−研修生・ジェットプログラム外国語指導助手(ALT)・結婚渡日ほか
  子ども−乳幼児・保育園児・小学生・中学生・高校生・(不就学者)ほか
7,篠山での取り組み
篠山国際理解センター(1995年設立 前身は丹南国際理解センター 2001年NPO法人化)
広報誌「ウイル」編集・発行
外国人生活支援・国際理解推進・国際交流推進・教育資料情報センター
日本語教室「うりぼう」開講(1998年)、「うりぼうしんぶん」発行
外国語講座(英語・朝鮮語・中国語・ポルトガル語・タイ語)
「在住外国人生活ガイドブック」(英・中・タガログ・ポルトガル語版)編集・発行(2008年)(市委託事業)
外国人相談窓口開設(県、市委託事業)
生活支援通訳ボランティア派遣制度(2004年4月)(市委託事業)
外国人児童指導補助員
8.篠山で出会う−日本人の友だちをのぞむ外国人
  相手がなに人だからつきあうのではなく、人として出会うことのすばらしさ
9.21世紀の少子高齢社会をささえるために
  FTA(自由貿易協定)日比首脳会談
  日本語を理解し、日本の資格をもつフィリピン人看護婦・介護士の受け入れ
 日本の労働人口
8720万人(1995年)→5710万人(2050年)〔国連人口部試算〕=3350万人減少
労働人口を維持するためには−外国人労働者による補填が必要になる
                    年平均61万人の海外からの受け入れは必要
10.外国人に日本人並み待遇を!=差別のない社会
  同じ場所で暮らす者同士、ともに助け合って生きていくんだという認識が必要
  外国人や若い人々の力をどう活用するか?

篠山市国籍別外国人統計表
2004年6月末現在
国 籍 備 考
韓国・朝鮮 67 68 135   
中国 5 73 78   
モンゴル   1 1   
フィリピン 5 92 97   
ヴィェトナム   14 14   
ラオス 1 5 6   
マレイシア 1   1   
タイ   18 18   
インド 2   2   
ネパール   1 1   
英国 3 2 5   
ドイツ 2 1 3   
フランス 2 1 3   
ルーマニア   2 2   
カナダ 2   2   
米国 6   6   
ペルー 5 1 6   
ブラジル 83 71 154   
   184 350 534   
1.市内在住の外国人
  国別 19カ国  534人゜(男184人・女350人)
  人口に占める割合  1.13% (男 0.81% 女 1.41%)

2.篠山市の人口(2000年6月末現在)
     男  22,610人
     女  24,835人    計 47,445人

3.国籍別外国人数(篠山市統計)
年次 総数 韓国
朝鮮
中国 東南アジア イギ
リス
アメ
リカ
ブラ
ジル
ペルー その他
総数 フィリ
ピン
タイ その他
1990 202 162 2 14 8 - 6 - 5 - - 19
1995 255 156 7 40 10 11 19 - 8 36 - 8
2000 286 129 21 46 32 9 11 3 9 62 - 5

全国で日系中南米 人約27万人。うちブラジル人約22万人。多くは東海・関東地方に集中している。日系人コミュニティーができている町もある。兵庫県では日系ブラジル人4316人。
               (1998年12月現在)

●兵庫県在日外国人教育研究協議会(略称:兵庫県外教)
 1997年、全国3番めに結成された県規模の在日外国人教育についての団体。個人加盟制(資格は不要。年会費3.000円を振り込むだけ)。県や教育委員会、国際交流協会などの後援や協力のもと、研究集会のほか地区講座、在日コリアン高校生交流会、子どもワイワイ交流会、子ども作文コンクール実施。また、授業で使える「料理ビデオ」、教材や書籍の紹介。外国籍の子ども在籍調査や職員・PTA・公民館講座などでの講師紹介も。活動の中心は、在日外国人教育情報誌『ともに』の発行(年間6回)。会員は、約700人。
 〒651-0073神戸市中央区脇浜海岸通1-5−1HIDビル ひょうご国際プラザ活動支援室
 TEL 078−230−3090  FAX 078−230−3080
 E−mail  kjn-kondo@kengaikyo.net
 ホームページ  http://www.kengaikyo.net

●兵庫朝鮮関係研究会(略称:兵朝研)
 1983年11月発足、兵庫県在住の二世、三世を中心とする研究グループ。兵庫県と朝鮮の関連する歴史を研究、おもに在日朝鮮人の歴史を調査研究し記録に残す作業を目的として活動している。
 主な出版物に『兵庫と朝鮮人』(ツツジ印刷、1985年)、『鉱山と朝鮮人強制連行』(明石書店、1987年)、『地下工場と朝鮮人強制連行』(明石書店、1990年)、『在日朝鮮人90年の軌跡−続兵庫と朝鮮人』(神戸学生青年センター出版部、1993年)などがある。
 〒661-0965 兵庫県尼崎市次屋1丁目16−5 徐根植方
 TEL 06−6499-3449 FAX 06−6499−3449
 E−mail  kunshik@msn.com

●むくげの会
 1971年1月に結成された朝鮮の歴史・文化を勉強する市民グループ。植民地支配下の朝鮮での抵抗連動を象徴する花・むくげ(木槿・無窮花)を会の名前とする。定例の研究会開催のほか、隔月で『むくげ通信』を発行している。出版物として『朝鮮1930年代研究』(三一書房、1982年)、『むくげ愛唱歌集』(自費出版、1985年)、『新コリア百科』(明石書店、2001年)などがある。また、堀内稔『兵庫県朝鮮人労働運動史−八・一五解放前』等「むくげ叢書」を5冊刊行している。会員は7名。
 〒657−0054 神戸市灘区山田町3-1-1(財)神戸学生青年センター内
 TEL 078−851-2760  FAX 078−821-5878
 E−mail  rokko@po.hyogo-iic.ne.jp
 ホームページ  http://www.hyogo-iic.nejp/-rokko/-mukuge.html

関   連   年   表
西暦 日本元号 篠山と朝鮮 丹波地方の動き 日本国内と世界の動き
BC30000
BC20000
BC10000
旧石器
後期
 旧石器
晩期


縄文
  板井寺ヶ谷、切布遺跡※6   
  藤岡山遺跡※6  
  藤岡山遺跡※6
藤岡山遺跡(後期)※3
下篠見遺跡(後期、晩期)※6
 
   弥生    藤岡山遺跡※6
西木之部遺跡(弥生から古墳時代まで)※6
竜円寺遺跡(弥生後期から中世まで)※6
東浜谷遺跡(弥生後期から奈良時代まで)※6
 
0399 古墳    口坂本遺跡※3
内場山竪穴住居跡※3
上板井遺跡(中期)※6
内場山古墳群※3
藤岡山遺跡(中世まであり)※6
雲部車塚古墳(中期)※6
新宮古墳(中期後半)※6
北野遺跡(中期)※6
須恵器の技術導入される※2
400
  499
ずえが谷遺跡 (篠山市大山下初期須恵器出土)
大師山6号
墳猫谷窯跡 (丹南町一印谷 須恵器の窯跡)
 
500
  599
飛鳥時代 宮田1号墳
灰高1号墳、ずえが谷1号墳(篠山市大山下 初期の横穴式石室)
峠尻2号墳 (長安寺 初期の横穴式石室 金銅製装馬具など出土)
真南条上3号墳 (多葬墳)
箱塚4号墳 (小坂 装飾付須恵器など)
庄境1号墳 (大沢 装飾太刀など)
稲荷山古墳 (小田中 T字型石室)
洞中古墳群※6
上板井古墳群、箱塚古墳群、沢野浦坪古墳群※3
西向遺跡※4
538 仏教伝わる
600
  699
沢野浦2号墳 (上坂井 装飾太刀など)
山田1・2号墳 (金銅装太刀など)
灰高遺跡 (竪穴住居跡にオンドル状遺構)
西木之部遺跡 (殺馬を表現した土馬)
沢野浦坪古墳群※3
685年ころ 丹波という地名が確定※1
645 大化の改新
646 薄葬令(墳墓の構築の制限)
700
  799
寺内廃寺建立?※4   702 大宝律令
   多紀国多紀郡小野原郷(現今田)※2
石住、高倉、一印谷、町之田で須恵器生産※4
710 奈良平城京・古事記完成
723 三世一身の法
743 墾田永年私財法
奈良時代
平安時代       794 平安京
800
  899
806 長門国萩の陶工風呂藪惣太郎陶法を伝える※2   844 続日本後記
900
  999
1000
 1099
      
     
1100
 1199
水谷口(須恵器)、三本峠に古窯跡郡遺跡※2※6 1184 源平三草山の合戦※2   
鎌倉時代
    1185 鎌倉幕府開かれる
1200
 1299
    1274 文永の役
    1333 鎌倉滅ぶ
1300
 1399
       
南北朝時代      
室町時代     1392 室町幕府開かれる
1400
 1499
    1467 応仁の乱
戦国時代     1477 戦国時代に
1500
 1599
  1508 八上城築城※2 1543 鉄砲伝来
安土桃山 山麓に登り窯が築かれるようになる※2
1597 小野原右京勝政 城山稲荷神社にて 朝鮮において戦勝祈願
1587,1594 多紀郡で太閤検地実施※2 1592 文禄の役※2
1596 慶長の役(壬辰倭乱)※2
1600
 1649
江戸時代 1611 釜谷の山麓に朝鮮式半地上の登り窯の導入※2 1609 篠山上築城※1
1626 今田新田、芦原新田等開発※2
1649 今田の地名が使われる※2
1600 江戸幕府開かれる
1607 第一回朝鮮通信使
1637 天草の乱
1650
 1699
     1655 朝鮮通信使の様式性格が固定化
1665 宗門改め
1700
 1749
1748 朝鮮通信使に対する多紀郡の負担金の記述あり※4 1749 運上(焼物竈、炭竈等)※2 1748 朝鮮通信使
1750
 1799
1752 下立杭に登り窯(北鮮系半地上連房式登り窯・蛇釜)が築かれる※2
1764 朝鮮通信使に対する多紀郡の負担金の記述あり※4
1798 下立杭村から釜屋村が分村※2
1755 日置村から始めて池田へ杜氏として※2
1771 監物河原に集結全藩一揆に※2
1764 朝鮮通信使
1800
 1850
1809 朝鮮通信使に対する多紀郡の負担金の記述あり※4 1800 市原村から江戸へ直訴※2
1814 伊能忠敬一行市原投宿※2
1841 佐曽良新田で凍豆腐製造※2
1809 朝鮮通信使
1811 第12回(最終)朝鮮通信使
1851      
1852      
1853      
1854   米使ペリー再度の来航時篠山藩で郷夫400人待機 日米和親条約締結
1855      
1856      
1857      
1858     日米修好通商条約締結
1859      
1860   4月 福井組で重課のため2000人程度の強訴  
1861 6月 朴泳孝生まれる   米国、南北戦争始まる
1862     生麦事件
1863     5.10 下関戦争
1864   1.15 篠山藩が将軍家茂上洛時の警護に当たる
長州征伐への助郷役※2
 
1865   5.28大津宿へ約1万人の助郷役※2 米国、南北戦争終わる
1866   7月 全郡で助郷免除のため愁訴  
1867     10.14 大政奉還
12.9 明治政府が成立(王政復古の大号令)
1868 慶應4
M1
   1月 篠山藩重臣 山陰道鎮撫総督に勤皇の誓紙を呈し、従兵を差出す※6 1月 鳥羽伏見の戦い(戊辰戦争、約1年半)
2.15 堺事件
3.14 五箇条の御誓文発布
9.4 明治と改元
神仏判然令(神仏分離令)
1869 M2   11月 旧今田村で上納五分引等の為強訴打壊
篠山藩主青山忠敏が篠山藩知事に任命される
版籍奉還
身分制度の廃止
7月 外務省設置
1870 M3   篠山城の外濠の西南隅に振徳堂と名づけた藩学校を設立
私塾寺子屋は合計32箇所にあり
太政官布告 名字帯刀禁止令?
1871 M4   7.14 廃藩置県の詔により篠山藩を廃止 篠山県に
11.2 篠山県を廃し多紀郡は豊岡県の管轄に
3月 切支丹禁制の高札(豊岡県)※6
1月 日刊紙「横浜毎日新聞」発刊
7.14 廃藩置県
8.28 開放令
宗門人別長(寺請制度)廃止
1872 M5 4月 朴泳孝 25代国王哲宗の娘永恵翁主と結婚 古市小学校の前身が従来の寺子屋を廃し矢代学校となる
7.1 呉羽町(現呉服町)に四等郵便役所創設
8月 吹小学校の前身 茅綯<シントク>校設立
2.1 戸籍法施行(壬申戸籍)
新橋横浜間鉄道開業
8.3 学制発布
11.9 改暦の詔書 12.3→1.1
11月 国立銀行条例制定
1873 M6     4月 篠山魚屋町誓願寺の知新館を郡の幹校とし各位村落の学校を支校とした 今田校創設※2
5.9 西紀小学校の前身 維新館開校
6月 大山小学校の前身清風舎、味間小学校の前身日就舎創設※4
全国を六軍管区に分られ 大阪鎮台の管下に入る
1.10  徴兵令公布
第一国立銀行設立
地租改正条令公布
1874 M7     2.26 田松川が開削され舟運が開始される(数年で廃業)
小野原校創設※2
4月 征台の役(台湾出兵)
佐賀の乱
1875 M8    篠山東学校と篠山西学校を合併し篠山小学校に
立杭校創設※2
1.8 文部省布達 小学校学齢満6年より満14年までとす
ロシアと樺太千島交換条約締結
9月 江華島事件
廃刀令
邏卒を巡査と改称
1876 M9   8月 豊岡県を廃し兵庫県の管轄に
9.1 篠山警察出張所設置
2月 日朝修好条規(江華島条約)調印
1877 M10   2.7 篠山警察署と改称
7.1 篠山区裁判所が設置される
1月 西南戦争
1878 M11    郵便役所 為替業務(1.2)、貯金業務(9.25)開始※1
12月 公立中学校設立※6
  
1879 M12   6月 篠山に第百三十七国立銀行開業※6 沖縄県設置に関し、清国と紛争
1880 M13      
1881 M14      
1882 M15 朴泳孝 修信使の正使として来日 神戸港西村旅館に大極旗を掲げる   日本銀行開設
壬午の変
1883 M16   5月 篠山銀行設立
9月 旧鐘ヶ坂トンネル完成
鹿鳴館建設
1884 M17 12月 朴泳孝 第一次亡命 1894.8月まで 5.11 神戸又新日報創刊 甲申の変
1885 M18     内閣制度発足
日本銀行券発行
1886 M19     4.10 学校令公布 義務教育四年
1887 M20   篠山尋常小学校に改称  
1888 M21   4.25 市制及町村制発布により、多紀郡は一町17村に
鎮台が師団司令部に改められ 大阪第四師団の管区に入る
 
1889 M22   町村制施行により 19か村が合併し今田村が成立 2.11 大日本帝国憲法発布
1890 M23     教育ニ関スル勅語発布
1891 M24   10月 多紀郷友会発刊(現郷友)※7   
1892 M25    1.1 篠山郵便電信局と改称し電信業務開始
後川村、日置村より分立1町18村に
ロシア、シベリア鉄道建設開始
1893 M26      
1894 M27 8月 朴泳孝 帰国 12月 内部大臣に就任 5.15 篠山町に消防組が設置される 2月 朝鮮で東学党の乱 (清国、日本朝鮮出兵)
7.25 日清戦争開戦
8.1 宣戦布告
日英通商航海条約締結
1895 M28 上立杭字赤坂に現存最古の立杭焼登り窯構築
7月 朴泳孝 第二次亡命 1907.6月まで
  2月 日清戦争事実上終結
三国干渉(遼東半島の帰属について)
1896 M29   姫路第十師団の管区に 歩兵は福知山歩兵第二十連隊に 下関条約 日本、台湾を領有
1897 M30 味間奥の小峠の山中に銅鉱出る   朝鮮国 国号を大韓帝国と改める
1898 M31   2.21 神戸新聞創刊 米国 フィリピンを統治開始
1899 M32 7.15 阪鶴鉄道大阪福知山間開通 篠山町の車塚を陵墓参考地として宮内庁が買い上げ  
1900 M33      6.21 義和団事変
韓国 京仁鉄道開通
1901 M34   4月 多紀郡草山信用組合設立※6 1.3 露清秘密協定 ロンドンタイムスが暴露
3.27 日本国際連盟脱退
1902 M35 5月 朴泳孝氏篠山町 近又楼に投宿※5   日英同盟締結
4月 ロシア、満州から一部撤兵
1903 M36   6.2 多紀通報創刊
1904 M37   軍費として5回の国庫債券募集あり(37,38年度)
4.7 篠山今福に4.7Kgの隕石(鉄)落下※1
2.10 日本ロシアに宣戦布告
2.23 日韓議定書調印
8.22 第一次日韓協約調印
1905 M38    大阪第四師団に復す※1
ささ山の文字を篠山に統一※7
5.27 日本海海戦
9.5 日露講和条約締結
韓国 京釜鉄道、京義鉄道開通
11.17 第二次日韓協約締結(乙巳保護条約)
1906 M39 3月 鉄道国有法により、阪鶴鉄道国有化(M40.8.1) 8.25 丹波新聞創刊 9.1 朝鮮統監府機関紙「京城日報」創刊
10.11 SF市日本人学童隔離命令
南満州鉄道会社設立
1907 M40 明治時代 曽根中の古川峠でマンガン産出の記録あり
6月 朴泳孝 帰国
今田尋常高等小学校建設他は分教場に※2 1.15 東京株式大暴落日露戦争後の恐慌の端緒
3.21 小学校令改正・尋常小学校修業年限6年
7月 オランダ、ハーグで万国平和会議
7.3 大阪毎日新聞「韓国密使事件」スクープ
4.24 第三次日韓協約
1908 M41    3.21 篠山に歩兵第七十連隊設置
8.11 電話通話業務開始
9.15 多紀通報と丹波新聞合併 篠山通報と改題
韓国で義兵運動活発化
11.15 清国の西太后死去
1909 M42   郡内23校中15校で2部授業を40学級で実施 1.9 カリフォルニアで排日運動再燃
7.6 韓国併合の方針決定
10.26 ハルピン駅頭で伊藤博文暗殺さる
11.24 韓国の中央銀行、韓国銀行開業
1910 M43   3.9 篠山電燈株式会社が設立される
篠山尋常小学校 東舊三の丸に移築
6.1 大逆事件で幸徳秋水ら一斉検挙報道禁止
7.4 第二回日露協約調印
8.29 日韓併合(日本による韓国併合)大韓帝国を朝鮮と改める
1911 M44      鴨緑江に鉄橋完成 南満州鉄道と直通に
3.11 普選法案衆院通過
3.15 同貴族院否決
10.10 辛亥革命始まる
1912 M45
T1
3.1 阪鶴線を福知山線に改称   1.1 南京臨時政府成立 孫文臨時大統領に
2
12 清朝滅亡
7.30 明治天皇逝去「大正」に改元
1913 T2 4月 篠山軽便鉄道株式会社設立※4
大芋村福井の常蓮寺山で硅石発見※5
  5.2 カリフォルニア議会排日土地法案可決
1914 T3   篠山警察署長城山稲荷にかかわっての談話※2 6.28 サラエボでオーストリア皇太子夫妻セルビア青年に射殺さる
7.28 第一次世界大戦始まる
8.23 日本ドイツに宣戦布告
1915 T4 9.12 篠山軽便鉄道営業開始(篠山〜弁天)※5   1.7 中国政府 日本軍の山東省からの撤兵を要求
5.25 対華二十一個条条約調印
1916 T5     7.3 第4回日露協約調印
1917 T6 硅石輸送のため福住までの路線延長を計画 篠山町停車場を乾新町から東新町に変更の申請を出す※4 5月南丹自動車(弁天〜福住)開通※7 2月 日本地中海に駆逐艦派遣
3.5 ロシア三月革命
4.6 アメリカがドイツに宣戦布告
11.7 ロシア十月革命ソビエト政権樹立
1918 T7 1.15 福知山線篠山駅を共同利用 8月 米騒動 神戸にも波及 5.15 南満州鉄道が鞍山製鉄所設立
6.29 ロシアが中国を仮想敵国に
8.2 日本、シベリア出兵宣言
9.29 原敬 初の政党内閣組閣
11.9 ドイツ革命
11.11 第一次世界大戦終結
1919 T8      西紀町に電気が導入される 3.1 朝鮮で3.1独立運動
3.23 イタリアでムッソリーニが戦闘ファッショを結成
6.28 ベルサイユ講和条約、国際連盟規約調印
レーニンの指導の下にコミンテルン創立
1920 T9 畑村火打岩で硅石の畑鉱床群発見※1 11.1篠山通報、篠山新聞に改題 1.10 国際連盟発足 平和回復の詔書発布
3.15 株価暴落 戦後恐慌始まる
10.1 第一回国勢調査
1921 T10 5.18 篠山町駅〜福住間の地方鉄道敷設免許を申請※4
12月 軽便鉄道 岡野駅、中央停車場を新設 40ポイント軌道に変更※7
今田全村に電燈がつく 7.1 中国共産党結党
12.2 日英同盟の廃棄
12.13 日英米仏四国条約調印
11月 ワシントンで軍縮会議 日英同盟破棄
1922 T11 北河内村出身者渡鮮し醸造業に着手※5
軽便鉄道 西堀端に「魚の柵」停車場新設※7
11.26 兵庫県水平社創立大会(神戸) 3.3 全国水平社 京都で創立
7.15 日本共産党結成
10月 シベリアから撤兵
10.31 イタリア、ムッソリーニのファシスト政権誕生
12.30 ソ連邦成立
1923 T12 畑鉱床 官営八幡製鉄所に譲渡さる※5 今田村内にはじめてバス運行(清水自動車) 3.10 中国が日本に二十一カ条条約の廃棄を通告
9.1 関東大震災
9.2 東京に戒厳令
1924 T13    全国的に大旱魃 篠山町で最高気温38.5℃を記録
10.12 丹波新聞(丹陽新聞)創刊
1.21 レーニン死去
5.26 米大統領、排日移民法案に署名
1925 T14 5月 篠山七十連隊の朝鮮移駐が反対運動で存置決定※7
5.23 北但大地震(午前11時9分)
11.18 篠山軽便鉄道を篠山鉄道と改称※4
4月 学校軍事教育実施
6.1 篠山新聞社がラジオ仮放送を初受信
10.15 篠山保健所が開所
1.20 日ソ国交回復
3.12 孫文死去
3.29 普通選挙法案成立(25歳以上男子)
4.22 治安維持法公布
ラジオ放送(東京放送局)開始
1926 T15
S1
4.5 火打岩で日鉄鉱業畑鉱山の開山式   12.25 大正天皇逝去 「昭和」と改元
日本放送協会設立
1927 S2 篠山鉄道 全線60ポイントに 2.9 篠山鉄道が乗合自動車を経営し、篠山〜日置曽地間運転開始
3.7 北但後地震
5.16 篠山町内に上水道給水開始
3月 金融恐慌始まる
4.18 紹介石 南京に国民政府樹立
5.28 中国青島に出兵
徴兵令が兵役法に
ジュネーブで軍縮会議
1928 S3     2.20 第一回の普選の衆議院選挙
3.15 「三.十五事件」共産党員大検挙
6.4 奉天(瀋陽)で満鉄の線路が爆破される
1929 S4 1.5 飛曽山峠県道工事中朝鮮人土工四名生き埋め※5   10.24 ニューヨーク株式大暴落 世界恐慌へ
1930 S5 11月 朝鮮二十師団に多紀郡から13名入営※5 2月 阿部定 篠山京口新地にくら替え約1年半「いくよ」 1.11 金解禁 2年後金輸出は再禁止される
1.21 ロンドン軍縮会議
1931 S6      9.18 柳条湖で満鉄の線路爆破さる(満州事変)
1932 S7       1.28 上海事変始まる
2.7 3.9 血盟団事件
3.1 「満州国」建国宣言
5.15 「五.十五事件」海軍将校ら首相官邸襲撃
1933 S8 大芋村硅石界活況※5   1.30 ヒトラー、ドイツ首相に就任
3.27 日本国際連盟脱退
1934 S9 硅石採掘時代 郡内14ヶ所(詳細は篠山町百年史269P参照)※1
2月 城北村 3月 北河内村で硅石鉱山発見※5
6月 郡高等公民学校長満鮮学校視察※5
8月 光山氏畑山鉱山で硅石採掘中爆死※5
9月 満鮮を紹介する宇垣大将の本が本郷図書館に※5
12月 福井豊林寺山で硅石発見※5
1月 丹波但馬に豪雪
今田郵便局開局
ワシントン条約破棄
ヒトラードイツの総統となる
1935 S10 このころより硅石採掘は坑内採掘に逐次移行する※1
7月 畑村鍔市谷の硅石道路拡張工事入札 草山村でマンガン鉱山※5
  ロンドン軍縮会議脱退
1936 S11 多紀郡内の朝鮮人数225名(工夫56名、屑物業14名等)※5 2.4 篠山地方に記録的な大雪 最高積雪70p
4月 篠山製絨工場が操業開始
ドイツ エチオピア併合
ドイツと防共協定
2.26 「二.二六事件」
1937 S12 3月 内鮮人256名※5
(53世帯、16独身世帯、77名は女、15名小学校に通学、土工66名)
6月 小学校長 満鮮視旅行※5
朝鮮人の内地化運動※5
  7.6 日中戦争始まる 盧溝橋事件
11.6 日独伊防共協定
12.13 日本軍南京占領 大虐殺事件
12.14 北京に中華民国臨時政府
1938 S13 後川上でマンガン鉱産出(数年間)
2月 (多紀半島人)宇理共栄会支部結成※5
  4.1 国家総動員法公布
1939 S14 10月 新日鉄広畑製鉄所竣工
12.15 協和会篠山支部(郡内約300名)
消防組を改組し今田村警防団結成
6.20 篠山新聞 廃刊 新聞統制により他紙と合併
多紀郡三紙、氷上郡三紙が合併し丹波新聞発行
5.11 ノモンハン事件起きる
7.8 国民徴用令公布
7.26 米国、日米通商航海条約の破棄を通告
8月 独ソ不可侵条約締結
9.1 ドイツがポーランドに進撃
9.3 英仏ドイツに宣戦布告 第二次世界大戦始まる
この年から米の配給制始まる
1940 S15 6月 第26代国王高宗の子の李王少将来篠※5
本明谷のマンガン鉱山神戸の吉田某が所有※1
(戦時中は太平洋株式会社、戦争激化中は政府指定鉱山となる)
朝鮮人労務者募集要項公布(炭鉱、鉱業、土建業に限る)
5.4 篠山町に中部第68部隊設置 2.10 朝鮮人氏名に関する件(韓国)、改姓名制度(台湾)……の政令施行(創氏改名)
6.14 フランス パリが陥落
8月 イギリス大空襲
8.1 対日石油禁輸措置
8.14 ルーズベルトとチャーチル会談
9.23 日本軍 北部仏印に進駐
9.27 日独伊三国同盟調印
10.12 大政翼賛会発足
11.10 紀元二千六百年奉祝式典
1941 S16 1.15 大芋村の硅石鉱山で落盤事故により朝鮮人1名即死
2月 李王師団長来篠 3月 帰阪※5
8.16 大芋村硅石鉱山で朝鮮人労働者三名生き埋め※5
4月 篠山、今田等各小学校国民学校に※1、2
11.25 新聞統制により郷土の新聞はすべて廃刊
3.1 国民学校令公布
4.13 日ソ中立条約調印
6.22 ドイツ 独ソ不可侵条約破棄 独ソ開戦
7.25 米国、在米日本資産凍結
7.28 日本軍、南部仏印進駐
10.18 ゾルゲ事件
12.8 日本、米英に宣戦布告
1942 S17 3.16 篠山国民学校 朝鮮人硅石人夫80名を集めて時局講演会開催
硅石、マンガン鉱輸送の目的で国鉄篠山線着工(各村で勤労報告隊編成)※4
  2.15 日本軍、シンガポールを占領
6.5 ミッドウェー海戦
1943 S18 官斡旋要項の公布(朝鮮人労務者) 普通郵便局となる 9.8 イタリア降伏
11.5 東京で大東亜会議開催
1944 S19 3.1 旧篠山駅を篠山口駅に名称変更※1
3.20 国鉄篠山線(篠山口〜福住)が開通 篠山鉄道廃止※1
1.9 篠山城址内の大書院焼失
1.31 篠山の中部第68部隊に出動命令下る
7月 兵庫県「学童疎開実施要領」
3月 日本軍ビルマ北西部からインドインパールに進撃
6月 山間部への集団疎開を決定
6.6 連合軍ノルマンジー上陸
11.24 東京初空襲
1945 S20 国鉄篠山線 敗戦と共に福住〜園部間工事中止※4 今田村 工場疎開・学童疎開受け入れ※2
12.1 国立篠山病院設置
2.4 米英ソがヤルタ会談
3.10 東京大空襲
4.1 米軍沖縄上陸
5.7 ドイツ降伏
7.17 英米ソ首脳のポツダム会談開催
7.26 ポツダム宣言発表
8.6、9 広島、長崎原爆投下
8.8 ソ連日本に宣戦布告
8.15 日本無条件降伏
10.24 国際連合発足
11月 中国、国共内戦始まる
11.20 ドイツ、ニュールンベルグ軍事裁判開始
12.17婦人参政権実現
12.22 労働組合法公布(21年3月施行)
12.29 第一次農地改革
1946 S21 3月 朝鮮人連盟紀上支部が篠山町上立町公会堂で紀上朝連初等教育学院(紀上小学校)を運営開始    2.25 金融緊急措置令公布(新円への切り替え一週間以内)
5.3 極東国際軍事裁判開廷
7.1 米国 ビキニ環礁で公開原爆実験
9.27 労働関係調整法公布
10.21 第二次農地改革
11.3 日本国憲法公布
1947 S22 国民学校が小学校に 3.1 五州新報 創刊
9.1 篠山新聞 再発刊
2.1 全日本産業別労働組合会議 600万人のゼネスト
3.12 トルーマンドクトリン発表(OEEC結成へのマーシャルプラン)
3月 教育基本法、学校教育法制定(6,3,3制実施)
4.7 労働基準法公布
5.3 新憲法、地方自治法施行
10.5 スターリン中心にコミンフォルム(共産党労働者党情報局)結成
1948 S23 2月 郡内在日朝鮮人数 772名※5
3月 村雲村上篠見の鉱山で三名即死※5
3月 民青が鮮日両民族の相互提携を期して歌と踊りの会開催※5
5月 朝鮮人学校閉鎖問題で多紀地区署に出動待機命令※5
11.3 五州新報、篠山報知新聞途改題 4.24 「阪神教育闘争」で米軍が初の非常事態宣言
6.24 ベルリン封鎖
8.13 大韓民国樹立
9.9 朝鮮民主主義人民共和国樹立
1949 S24 紀上朝連初等教育学院、上立町の孔雀会館を返還 西新町の朝鮮人宅へ移転 電気通信省の設置により電報業務を分離し、篠山電報局設置
11.23 多紀協同新聞創刊
5.6 ドイツ連邦共和国臨時政府成立
10.1 毛沢東、中華人民共和国成立を宣言
10.7 ドイツ民主共和国成立
12月 中国、国民政府 台湾へ移る
1950 S25 3月 篠山小学校一棟全焼※5
4月 朝鮮人子弟居住地の公立学校へ入学(10数名は残留)
12.31 篠山小学校に朝鮮人講師発令
3.14 篠山小学校東館一棟全焼
12月 丹波ニュース創刊
6.25 朝鮮戦争起こる
7.8 警察予備隊創設をマッカーサーが指令
7.24 レッドパージ始まる
1951 S26 1.22 朝鮮人子弟篠山小学校に11名入学(合計34名に)
7月 酒類密造防止連絡協議会設置の動き※5
   7.10 朝鮮休戦会談開く
9.8  対日講和条約、日米安保条約調印
1952 S27    9.23 国立篠山病院完成
10.30 篠山報知新聞と丹波ニュース合併し、丹波ニュース発刊
11.1 郡内各町村教育委員会スタート
4.28 対日講和条約、日米安保条約発効 GHQ廃止
7.21 破防法公布
10.3 英原爆実験
11.1 米水爆実験
1953 S28    5.30 篠山町王地山でテレビを初受像 7.27 朝鮮休戦協定調印
1954 S29    3.20 篠山中学校於いて第9回部落開放県連大会開催
5.15 福知山線にディーゼルカー運転開始
3.1 第五福竜丸ビキニ環礁で水爆被爆
7.1 自衛隊発足
1955 S30    1.1 南河内村、北河内村、草山村が合併し西紀村発足
4.10 日置、後川、雲部村が合併し城東村発足
4.15 福住、村雲、大芋村が合併し多紀村発足   大山、味間、城南、古市4村が合併し丹南町発足
4.20 篠山町、八上、畑、城北、岡野村が合併し篠山町発足
多紀郡は二町(篠山、丹南町)四カ村(城東、多紀、西紀、今田村)
神武景気
6.7 日本、GATTに加盟調印
10月 社会党誕生
11.15 保守合同で自由民主党誕生
1956 S31    西紀町にプロパンガスが普及し始める
3.3 多紀共同新聞と丹波ニュースが合併し、多紀新聞と改題
10.19 日ソ国交回復
10.23 ソ連、ハンガリーに軍事介入
12.18 日本国連に加盟
1957 S32 30年代 郡内マンガン鉱山廃坑 2月 多紀連山 県下初の自然公園に 3月 ヨーロッパ諸国EEC発足
8月 ソ連、ICBM実験成功
10.4 ソ連初の人工衛星打ち上げ
1958 S33 篠山小学校に朝鮮人教員赴任 多紀村において全村有線放送設備完備 1.20 インドネシアと平和条約、賠償協定調印
11.10 共産主義者同盟(ブンド)結成→全学連→安保闘争
1959 S34    大寒波襲来 最低気温−15°Cを記録 岩戸景気 三年続く
8月 三池争議
1960 S35    1.1 城東、多紀、西紀村、町制施行によりそれぞれ町となる
4.1 今田村 町制施行により今田町となる
4.26 韓国、四月革命 李承晩 辞任 ハワイ亡命
6.23 新日米安保条約発効
1961 S36    8月 篠山町に初めてスーパーマーケット開店   
1962 S37    1.10 篠山町ガス供給条例施行 営業開始 10.22 キューバ危機
1963 S38    大寒波襲来 最低気温−15℃を記録 8.5 英米ソ、部分的核実験停止条約調印(14日 日本調印)
11月 ケネディ暗殺さる
1964 S39 11月 篠山線運輸区を廃止 八上以東四駅を無人化※4    4.1 日本がIMF8条国に移行
4.28 日本がOECDに加盟
8.5 トンキン湾事件 米軍は二日後北ベトナム海軍基地を爆撃
10月 東京オリンピック
1965 S40    3月 国道173号線となる 2.7 米国が北ベトナム爆撃開始
4月 べ平連結成
6.22 日韓基本条約を調印
1966 S41    11.27 電話ダイヤル化 5.16 中国で文化大革命始まる
1967 S42    新鐘ヶ坂トンネル開通 6.5 アラブ連合とイスラエル全面戦争
8月 公害対策基本法公布
8.8 ASESN結成
1968 S43       5月 フランス、学生がカルチェラタンに解放区
8.20 ソ連、東欧5カ国チェコに侵入
1969 S44 丹波焼陶芸会館建設    7.10 同和対策事業特別措置法公布
1970 S45    1月 城東トンネル開通
5.25 県立丹波文化会館開館
10月 大阪万国博覧会
1971 S46    4.1 篠山小学校に重度障害児学級(わかたけ学級)設置
7.17 八幡谷ダム完成
11.27 ツバ市ダム完成
6.17 沖縄返還協定調印
10.25 中国の国連復帰決定
12.3 インド、パキスタン全面戦争に突入
1972 S47 3.1 国鉄篠山線運輸営業廃止※4
篠山小学校に養護学校設立
   5.15 沖縄本土復帰
9.29 田中首相が日中国交回復共同声明に調印
1973 S48       1.27 ベトナム和平協定調印
10.6 第4次中東戦争始まる
10.10 日ソ共同声明発表
1974 S49    4.19 篠山養護学校 開校
6月 板坂トンネル開通
  
1975 S50 6月 伊丹北中学校の朝鮮人教員不当解雇 3.28 篠山、城東、多紀町が合併し篠山町発足
4月 姫路・篠山線 国道372号線となる
6.16 佐仲ダム完成
4.30 ベトナム戦争終結
1976 S51       5.24 日本核拡散防止条約の批准
5.28 米ソ地下核実験制限条約に調印
6.24 ベトナム社会主義共和国樹立宣言
1977 S52    黒石ダム完成   
1978 S53 丹波立杭焼 国の伝統工芸品指定を受ける※2 10.20 多紀新聞が篠山週報と改題 8.12 日中平和友好条約調印
1979 S54 3月 丹波鉱産株式会社が解散し畑鉱山が閉山    1.1 米中が国交樹立
6.18 米ソがSALTU条約調印
10.26 韓国朴正煕大統領暗殺
10.27 ソ連アフガニスタンに軍事介入
1980 S55       5.18 韓国光州市で反政府デモ激化
9.22 イラン、イラク全面戦争
1981 S56       3.2 中国残留孤児が肉親探しに来日
1982 S57       6.6 イスラエル軍が南部レバノンに侵攻
8.21 PLOがベイルートからの撤退開始
1983 S58 3月 篠山小学校の朝鮮人教員退職 7月 藤岡ダム完成   
1984 S59       12.19 中国と英国、97年に香港返還に調印
1985 S60    6月 立杭陶の郷開園※2   
1986 S61      4.26 ソ連のチェルノブイリ原発事故
1987 S62    3.18 舞鶴自動車道 丹南篠山口ー福知山間が開通 12.8 米ソ中距離核戦力全廃条約に調印
1988 S63       5.15 アフガニスタン駐留ソ連軍が撤退開始
8.20 イラン、イラク停戦発効
11.15 パレスチナ民族評議会 パレスチナの国家独立を宣言
1989 S64
H1
      1.7 昭和天皇崩御 新元号「平成」施行
2.15 ソ連軍アフガン撤退完了
5.15 中ソ歴史的和解
6.4 天安門事件
1990 H2       8.2 イラク軍がクウェート侵攻
8.31 地球温暖化対策でIPCCがCO2の大幅削減を提言
9.5 韓国と北朝鮮の南北首相会談開催
9.30 韓国とソ連国交樹立
10.3 東西ドイツ統一
1991 H3       1.17 湾岸戦争
6.12 ソ連ロシア共和国初代大統領エリツィン当選
6.25 ユーゴスラビア内戦に突入
7.1 ワルシャワ条約機構が解体
9.17  南北朝鮮が国連に同時加盟
12.31 ソ連邦が消滅 独立国家共同体に
1992 H4         
1993 H5       9.13 イスラエルとPLOがパレスチナ暫定自治宣言に調印
1994 H6       7.9 北朝鮮、金日成主席死去を報道
1995 H7       1.17 阪神淡路大震災
1.23 EUの欧州委が新体制で正式発足
5.5 核拡散防止条約の無期限延長が確定
12.12 国連が旧敵国条項の削除を決議
1996 H8       9.24 包括的核実験禁止条約(CTBT)の署名が国連総会で
1997 H9    3.8 JR福知山線の新三田ー篠山口間の複線化 7.1 香港、英国から中国に返還
1998 H10      4.28 篠山、西紀、丹南、今田の四町が99.4.1合併を決議   
1999 H11    4.1 篠山市発足   
2000 H12       6.13 南北首脳会談→南北共同宣言(6.15)
2001 H13         
2002 H14         9.17 小泉訪朝 日朝平嬢宣言
2003 H15         
2004 H16       5.22 小泉訪朝日朝首脳再会談
※1 篠山町百年史 ※3 西紀町史 ※6 兵庫県史
※2 今田町史 ※4 丹南町史 ※7 篠山町商工会発足80年記念誌
時代区分は岩波書店の広辞苑参照 ※5 新聞記事