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解放へのあゆみ


(1) 明治の解放令

 明治政府は、近代国家の仲間入りをするために、江戸時代の士農工商の身分制度を改め、皇族・華族を特別の身分にしたほかは市民平等としまし た。そして、1871年(明治4)8月の太政官布告(いわゆる「解放令」)によって被差別身分を廃止しました。

 その背景には、「エタ」「ヒニン」などの身分は廃止すべきであると主張した出石(兵庫県)出身の加藤弘之や土佐(高知県)出身の大江卓らの意見とともに、被差別身分の人々の訴えがありました。

 「解放令」によって被差別身分であった「部落」の人々は、差別がなくなると喜び合いました。そして、「解放令」をよりどころとして、各地で差別をなくそうとする動きがおこりました。

 一方、部落の人々は零細な小作農が多かっただけに、よりいっそう地租改正の圧力を受けました。そのうえ、これまで続けてきた死牛馬処理の特権が認められなくなったため、資本家に仕事を奪われ、生活はますます苦しくなりました。

 政府は、士族や華族には生活の保障をしましたが、平民には何もしませんでした。そのうえ、納税・兵役・教育などの重い負担を負わせたため、新政府に対する不満が高まってきました。たまりかねた人々は、各地で一揆を起こしました。

(2) 水平社の創立へ

 第一次世界大戦が始まると、日本はかってない好景気を迎えました。しかし、米などの値段が日増しに上がり、富山県の米の安売りを求める主婦たちの行動をきっかけに起こった米騒動は、またたく間に全国500カ所(参加者約100万人)に広がりました。

 これを機に、賃金引き上げや労働時間の短縮を求める労働運動と、小作料の引き下げや耕作する権利の確立を求める農民運動が盛んになってきました。また、女性は、政治に参加する権利を求めて立ち上がり、部落の人々も差別についての認識と自覚を深め、部落解放をめざして手をつなぎ始めました。

 1922年(大正11)3月、部落の人々は、差別からの解放を求めて全国水平社を創立しました。その中心になったのは、佐野学の論文に共鳴し、部落差別の不当性を社会に訴えるとともに、自ら立ち上がることの大切さを自覚した坂本清一郎、西光万吉、駒井喜作らの青年でした。

 創立大会は、京都の岡崎公会堂で開かれ、各地を代表した3000人余りの人々がかけつけました。大会は熱気あふれる雰囲気で終始し、「差別からの解放」「経済・職業の自由の獲得」「人間性の原理に覚醒し、人類最高の完成への突進」という三大綱領や、日本の人権宣言とも言われる「水平社宣言」などを満場一致で採択しました。

 宣言は、「人の世に熱あれ、人間に光りあれ」としめくくられ、人々は深い感動にうち震えながら、解放への決意を誓い合いました。

 水平社の運動は、またたく間に3府21県に広がり、地方につくられた水平社の数は300を越えました。そして、1925年(大正14)の第4回大会で、労働者や農民の運動とも連帯して強力に推進することなどを決めました。

(3) 部落差別の解消に向けて

 1946年(昭和21)日本国憲法が制定され、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義の三原則がうたわれました。しかし、戦争によって荒廃した社会・経済のもとで、国民の生活は窮乏に陥り、特に、同和地区の困窮ははなはだしいものでした。

 こうしたなかで、部落解放を求める多くの人々は政府や国会に総合的な対策を講じるよう求めていきました。こうして、同和対策審議会が設置されたのです。

 同和対策審議会は、4年かけて差別をなくすために必要な対策を審議し、1965年(昭和40)に「同和対策審議会答申」を提出しました。この答申において、同和問題の解決は「国の責務」であるとともに「国民的課題」であると明示したのです。このことによって、部落差別の問題が、ようやく国民全体の課題となったのです。答申の趣旨に沿って、「同和対策特別措置法」が成立しました。

 この法律は10年間の時限立法で、日本国憲法と答申の精神を尊重し、対策事業を国及び地方公共団体の責任において実施し、同和地区の経済力を高め、住民生活の安定と福祉の向上などを図ることとしました。これは、明治4年に「解放令」が交付されて以来、初めて法律に基づいて国が総合的な取り組みをしようとする画期的なものでした。

 各地で対策事業が積極的に推進され、部落の環境改善をはじめとする実態的差別の解消が図られるとともに、広く国民の理解と協力を得る必要から、啓発活動も進められました。

 1996年(平成8)地域改善対策協議会は「差別意識は着実に解消へ向け進んでいるものの結婚問題を中心に、依然として根強く存在している。」と意見具申しました。これを受けて、1996年(平成8)12月「人権擁護施策推進法」がつくられました。

 この法律は、人権尊重に関する認識の高まりを受けて、社会的身分、門地、人種、信条または性別による不当な差別の発生などの人権侵害の現状にかんがみ、人権の擁護に関する施策の推進について、国の責務を明らかにするとともに、必要な体制を整備するためにつくられたものです。

(4)人権擁護推進審議会の答申 第1号

 1999年(平成11)7月、人権教育及び啓発に関する基本的事項について、答申が出されました。
 審議会は、来る21世紀は「人権の世紀」であり、全人類の幸福が実現する時代にしたいという全世界の人々の願いが込められているとしてい ます。さらに、「人権とは、すべての人間が、人間の尊厳に基づいて持っている固有の権利であり、個人としての生存と自由を確保し、幸福な生活を営むために欠かすことのできない権利である。」と訴えています。

 人権に関する現状については、女性・子ども・高齢者・障害者など9分野について分析していますが、同和問題に関しては結婚問題を中心に根深く差別が存在していることを取り上げています。さらに、就職に関わる問題や差別発言、差別落書き等の問題も提起しています。

 このようなさまざまな人権課題が存在する要因の基には、国民一人一人に人権尊重の理念についての正しい理解が、いまだ十分に定着したとは言えない状況があることを指摘しました。
            
 要するに、私たちは「人権」が国民一人一人の心のあり方に密接にかかわる問題であることを肝に銘じなければなりません。