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今 生きるなかで


                (一中学生の人権作文)

 この作文を書くとき、いつも思うのです。まだまだ人権に関する作文は後輩達も書き続けるのかと。
 作文・標語・ラジオ・テレビ・新聞と、いろいろな分野で差別のことについて述べられています。人間が人間を差別すること、これはみな人間から生まれてきたことなのです。こんなにたくさんの人間が地球にいても、差別という文字は消えていこうとしない。人間には誰にも愛情や思いやり、やさしさというものがあるのに、どうして人はみにくいことばかり考えてしまうのだろう。

 よく部落という言葉が使われます。私もその部落に生まれました。私は部落の人間だからといって、人から変わった目で見られたり差別を受けたり、差別されたこともありません。私の村はほかの村とくらべて何も変わったところもありません。でも、ただその村の人間というだけで、ほかの人たちは特別な目で私たちを見ている人もいるのです。
 ある日、父が新聞に出た差別に関する記事を読んでくれました。そのことが何年たっても私の頭から離れません。それを一度みなさんに聞いてもらいたいのです。

 おばあさんが、かわいい孫のことで心を痛めた記事でした。

 今日は孫の大のなかよしAちゃんの誕生日。孫は、朝からきのう買ったプレゼントを持って、いまかいまかと電話のかかるのを待っていました。昼になってもなかなかかかってこない電話。孫は少し泣きべそをかきながら聞きました。

 「おばあちゃん、Aちゃんの電話おそいねえ。私も呼んでくれると言ったのに、忘れているのかなあ、誕生日の準備でいそがしいのかなあ。」と。

 おばあさんは孫にいう言葉が胸につまって何も言えませんでした。ただ、うなずくだけで、目にはいっぱいの涙があふれ、言葉になりません………。「もうすぐかかってくるよ」と言ってやるだけで精一杯でした。

 夜になっても、電話はとうとうかかってきませんでした。孫はさびしそうな顔をして、待ちくたびれて寝てしまいました。おばあさんは、床についても寝付くことができませんでした。

 『こんな小さい子どもに何の罪があるのか。あまりにもむごすぎる』。そんな思いでいっぱいでした。

 あくる日、孫は何もなかったかのように学校に行きました。

 そして、孫はAちゃんに言ったそうです。

 「Aちゃん、私ずっと待っていたのよ。どうして電話くれなかったの」と。そしたら、Aちゃんは、「ごめんね。私はあなたが一番呼びたかったの。電話したかったの。でもね」そして小さな声で「お母さんがだめだと言ったの。だから電話できなかったの。ごめんね」と孫にあやまったそうです。

 私はこの話を聞いて、胸を何かで突かれたような思いをしました。新聞に出たこの人も、部落の人だったのです。

 私の父は、私たち家族に何回も何回も、声をふるわせ涙が出るのをこらえながら読んでくれました。きっと、このおばあさんも、孫があわれでしようがなかったと思います。

 差別をなくす運動が、いろんな形で行われていますが、私たちの身近にも、こんなに差別があるのです。私も自分が感じていないだけで、まわりの人々はそんな目で見ているのかもしれません。

 でも、私たち村の仲間は、小学校の時からずっと人権学習をとおして、いろいろなことを学びました。人を愛すること、人にやさしくすること、思いやりのある心、そして許す心。

 人を身なりで判断し、区別することが、どれだけその人を苦しませているかわかりません。心の痛みは、痛めた人にしか理解できないのでしょうか。しかし、人間の心は生きています。人間が人間の心を変えていくことはできると信じています。

 まわりの人々の理解と思いやりで、少しずつでも、あきらめず、この心の勉強を、もっともっと広めたいのです。