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浄 穢 思 想 と 差 別


■関西大学人権問題研究室研究員 源 淳子 氏■

関西大学・立命館大学等 非常勤講師
女性学・ジェンダー論担当

 女性問題は、女性が差別されているという問題ですが、他の差別と違って分かりにくく、また考えたくないという人の方が多く、分かりにくく、みえにくいテーマだと思います。女性差別以外の差別は、差別される側が少数で、差別する側は遠くにある差別として捉えることができますので、自分自身の問題として考えなくてもすまそうと思えばばすませます。

 しかし、女性差別は、女性と男性が半分ずついて、その男性がつくってきた社会で女性が差別されてきたという大きな枠組みのなかで捉えなければならないということがまずあります。そして私の隣に男がいる、私の隣に女がいるという意味では、一番身近なところに非常に深い関係をもつ男と女がいるわけです。だから一人の女が女性問題に気づいたとき、社会の問題を問うと同時に、私の隣にいる一人の男性に問うことになります。

 男性にとっては、自分が個人的に問われるという問題が生じてきます。人間は問われたくない、告発されたくないという一面がありますから、みたくない、考えたくない、できれば今のままでいたい、問題が起きないのであれば問題を起こしたくない、と男性側が考えてしまいがちです。 具体的に言いますと、夫婦で妻が気がついたとき、公的には外に何かって声を出していきますが、私的には夫に向けて声を上げていくことになりますので、今の関係を違うものにしていきます。いい関係をつくろうと思って、告発し声を上げていくのですが、今の関係に必ず波風が立ちます。男性に対して考えを直してほしい、今までの考えではだめだと言うのですから、男性にとっては嫌という意識があり、今までの考え方をなぜ変えなけれはいけないのか、どうして問題なのか、どこが問題なのか分からないし、考えようとしないわけです。ですから、女性が声を上げたときに、みたくない、触れたくない、女から言われたくない、ましてや妻から言われたくない面があるため、他の差別と大きな違いがあると思います。


   社会の枠組みのなかで抑圧された女性の性

 女性差別には、公的領域、私的傾域があるといわれます。公的領域は社会で女性が差別されている状況、私的領域は夫と妻の関係、つまり家族(家庭)での男と女の差別の状況です。では、女性がどういう差別を受けているのか。

 今、女性問題がいわれるようになって、情報としてはマスコミを通して伝わってきますので、関心があればいくらでも勉強することができる時代になりましたが、関心をもたないと分からないというのが差別の問題です。私は、女性問題は公的な社会の枠組みや考え方が私的な関係に大きく影響していると考えます。

 公的領域からの影響によって、一人の男と女の関係がつくり上げられます。他の差別と違って、男と女の関係には性が介在します。他の差別、たとえば在日韓国・朝鮮人の問題は日本の問題ですが、在日韓国・朝鮮人のなかにも男と女の関係があります。被差別部落の問題も社会での問題であると同時に、被差別部落にも私的な関係の男と女がおり、男と女の関係には必ず性の問題が介在しています。

 だから、女性がどういう形で差別されているか、抑圧されているかという問題には、性を通して女性がいかに差別されてきたか、いかに女性の性的な人権が侵されてきたかという問題を考えることが、他の人権問題と大きく違うところだと思います。

 性は大きな意味をもっていて、特に日本では女性側の性がタブー視されてきました。歴史的にみても、豊臣秀吉が遊郭をつくったときから、男が女の性を買いに行くのは当たり前となって、女の性を買いに行った男同上の会話には性の話がたくさんあったと思います。

 そういう意味では、ポルノグラフィイやアダルトビデオもそうです。巷に溢れれている性に対して男は口を閉ざさなくてはいけないということはなかったのです。

 一方、口を閉ざされた女性は、男の性の相手として考えられ、どんな性の関係をもってきたかということはずっと問われてこなかったのです。そしてやっと問われ始めたといっていいと思います。欧米から問われる文化が日本に入ってきたのは70年代ですが、70年代に入ってもまだまだ日本では問われ方は小さいと思います。

 このことを含めて、公的な社会の枠組みの影響を受けた男と女の関係は、公的な社会の枠組みの方から大きな影響を与え、個人的な男と女の関係をつくってきました。また、それは男性にとっては非常に都合のよい関係であったりするのですが、果たして女性にとってはよい関係であったのかどうか、ましてや性の関係では、女性はものを言わないようにされてきたために、もっとも侵害を受けた女性がさらに声を出せないような状況がつくられてきたと思います。

 そういう状況をつくつてきた背景に、本日、お話する日本の「浄穢思想」という考え方があると思います。そして、私が一番関心があるのは、現在の日本の状況で、男と女の豊かな性関係がつくられているのかということです。結論を先に言いますと、女性の側からみれば、豊かな関係がつくられていないのではないかということです。


  性暴力を訴えられない社会

 男と女の性関係のなかで、もっとも女性が侵害されるものとして性暴力(レイプ)があります。暴力というのは強者と弱者の関係がはっきりしており、弱者が強者に暴力をふるうことはほとんどありえないことで、強者が弱者に暴力をふるうのです。その暴力には、性暴力、身体的な暴力、心理的な暴力の三つがあります。たとえは、泥棒に入られたり、殴られたりしたときは、ほとんどの人が必ず警察に訴えて告発しますが、男と女、夫と妻の場合には女性が訴えていくことができない構造があります。

 私は1995年は非常に象徴的な年だったと思います。まず1月に阪神大震災がありました。3月頃から神戸の女性たちは性暴力を受けていました。初めは神戸の被災地以外から男が来て性暴力をふるっていたのですが、次第に同じ被災者でありながら男が性暴力をふるう事件が頻発するようになりました。その事実はなかなかとらえることができなくて、ある二人の女性が警察に訴えました。性暴力を受けたことは女性側にとって恥であるような文化をつくってきたので、訴えることは非常に勇気のいることでしたが、犯人を捕らえて次の事件が起こらないようにしてほしいという意味を込めて彼女たちは警察に訴えました。ところが警察は、恥になることだから黙っておいてあげると言ったのです。

 これはいつたい何の論理なのでしょうか。恥とされるのは女性ではなく性暴力をふるった男なのに、恥とされた女性をさらに恥とする構造です。もう一件は、神戸の恥だから黙っておいてくれということでした。これもいったいどちら側の論理なのでしょうか。このようなことが明るみに出て、神戸の女性たちが「レイプ110番」の電話を設けたところ、七月までに神戸市灘区だけで37件もありました。でも電話をかけてこなかった女性がどれぐらいいるか分かりませんので、神戸市全体、兵庫県全体、大阪府も含めたら、何件あったか分からないといわれます。身体的な暴力を含め性的な暴力を受けたのに、女性が声を上げられないという関係をつくってきたものはいったい何なのでしょうか。黙ってしまう女性たち、それが神戸の事件です。

 また、3月にオウム真理教事件がありました。あの教団のなかで、若くてきれいな女性が集められて幹部にどういう形で捧げられていったのかというと、本人たちは信仰の上ですから性暴力を受けるという感覚まったくなく、喜んで体を差し出していったと思います。これも構造的には、男と女の性の関係が介入した問題だと思います。

 また、9月に沖縄で「少女性暴力事件」がありました。戦後、軍隊という特殊な場で、アメリカ兵が沖縄の女性に性暴力をふるっていたことがこの事件によって明らかになり、日本側に伝えられて初めて知ったわけです.そのなかでもっとも痛ましい事件は、25年前、13歳の女の子が草むらで性暴力を受けて殺されていた「由美子ちやん事件」です。その女の子は近くの草を握り締めたまま殺されていたことが報道されました。


 家庭のなかに潜む性暴力

 単なる暴力ではなく性的な暴力を受けることがいかに女性を苦しめていくのか、人格的に崩壊していく場合もあります。それなのに声を上げられない、黙っていなければならない男と女の構造的な問題がつくられてきたのです、阪神大震災やオウム真理教や沖縄のレイプ事件に代表されるような宗教、軍隊での特殊な性暴力の問題を、身近な問題として捉えることができるようになるにはどうすればよいのかという問題に対して、家庭のなかの問題として、夫と妻の関係における暴力を明らかにしようとしたグループがあります。1992年、東京の女性たちを中心に、夫や恋人からどのような暴力を受けているかという質問内容で、日本で初めてアンケートを採りました。

 そのアンケートを信用するようになったのは、私の友人の夫婦の話を聞いてからです。みていていい関係の夫婦だと思っていたのですが、アンケートの話をすると、夫が妻を何回か殴ったことがあると言ったのです。信じられませんでした。そして殴った後で悪かったと思うと言うのです。でも妻は夫を殴っていないのです。夫婦で夫が妻を殴るのです。私に対してはそんなことは絶対にありえない、いい友人なのですが、妻との関係においては身体的な暴力を彼がふるっていたということで、そのアンケートを信用しようと思いました。アンケートに答えた女性は自分の身元を明らかにしなくてもいいので本当のことを書いたのだと思います。

 そのアンケートは800人前後の女性を対象に調査しています。身体的な暴力では、
    第一位が 「手で殴られる」85%
第二位が 「足で蹴られる」68%
他には 「胸ぐらや肩をつかんでねじり上げられる」
「物をなげつけられる」
「髪の毛を引っ張られたりつかんで引きずられる」
「首を絞められそうになった」
「バットやゴルフクラブやベルトなどで殴られる」
「タバコの火を押しつけられる」
などでした。

 心理的な暴力では、
    第一位が 「馬鹿にされたり、ののしられたり、命令するような口調でものを言われる」などで74%です。
10人のうち7人の女性が、暴力という認識はなくても嫌だと感じているわけです。
第二位は 「殴るそぶりで脅かされる」44%で、
これは女性を不安感、恐怖感に陥らせるものです。
他には 「実家や友人とのつきあいを制限されたり禁止された」
「妊娠中や病気のときに辛く当たられた」
「食事をひっくりかえされた」
「大切にしているものを壊されたり捨てられたりした」
「外出や電話を細かくチェックされた」
「手紙を無断で開封された」
「生活費を渡さない」
「車にいっしよに乗っているとき乱暴に運転された」
「家のなかに閉じこめられた」
「家計に関する過度のチェック」
などです。


 暴力は夫婦関係のなかに封印される

 女性が身体的な暴力を受け110番をすると警察は必ず行きます。ところがいくら妻が殴られていても、夫婦喧嘩のたぐいとみなし、事件とみなさない限り警察は帰ります。女性がどんな気持ちで110番したのか警察にはわからないし、夫婦間のケンカは暴力とみなさないということです。他人同士だったら警察が介入しますが、夫婦の関係には介入しません。夫婦関係には、暴力であっても第三者を介入させない、妻から告発させない状況がつくられています。

 性的な暴力は、
    第一位が 「気が進まないのにセックスをさせられる」で81%です。
これは本当は嫌だけれども拒否すれば夫の態度が変わるから仕方なく性の関係をもっている女性がいるということです。自分は嫌だけれども応じているというのは男と女のいい関係ではないし、男の側からすれば本当に配慮しているのかどうか分からないということになります。
第二位は 「他の家族が気になるのにセックスを強要された」40%
第三位は 「避妊に協力しない」30%です。
気が進まないのにセックスをさせられることと避妊に協力しないということは重なっていると思います。
 昨年の統計によりますと、
    日本の中絶率の第一位は 「30代の既婚者」で、子どもが既にいてもう産めないという妻が中絶をしているのです。
第二位は 日本は中絶が簡単にでさる国であるということも問題なのですが、なぜ女性が中絶しなければいけないのか、男と女の関係が問われることになります。男はリスクを負わないけれど、女は妊娠する体をもっていて、妊娠してはいけないときに妊娠し中絶しているという関係です。
「10代、20代の未婚者」で、いずれこれが逆転するだろうといわれています。この順位を考えますと、夫と妻の関係がいい関係ではないといえます。
私は男と女の責任は半々だと思っていますが、女が妊娠する体をもっていることで大きく違ってくるのです。
では、それを配慮しない男の責任はどうなっているかといえば、30%の女性が避妊に協力しない自介の夫を訴えています。避妊に協力しない夫との性の関係では、楽しい豊かなセックスが行なわれているかどうかは疑問です。
第三位は 「不感症、下手だとセックスや性器について非難された」26%です。
これも豊かな関係ではなく、お互いにつくり上げるものである性の関係が、日本の教育文化のなかでは育まれてきていないからです。
第四位は 「暴力的にセックスを強要された」
他には 「不快な屈辱的なポーズや方法でセックスをさせられた」
「中絶を強要された」
「みたくないのにポルノビデオやポルノ雑誌をみせられた」
「子どもができないのはおまえのせいだと非難された」
と続いています。このようなことを含めてすべて、男性中心のセックス、男根中心のセックスが行われてきたのです。


 横並びになれない男と女

 このアンケートから、男と女の関係をみますと、妻は嫌だけれども黙っていた関係、つまり横並びの妻と夫の関係ではなく、夫が絶対に強者、妻が絶対に弱者である関係です。ささいなことでは妻は夫にいえるのに、性の関係になると妻が黙ってしまう関係がつくり出されているのです。この関係が横並びになるにはどうしたらよいのかを考えることが女性問題だと思いますし、私の女性問題なのです。私的な問題が、私の問題としてとらえられていくことによって、私とパートナーとの関係はどうなのかということになっていくのではないかと思います。そうすると遠くの社会で行なわれている女性問題に気づくようになると思います。

 女性は日常的、表面的なことは言えるようになってきました。では、性別役割分業は解体したかというと、なかなかそういう状況にはなっていません。性的役割分業は固定化しています。「男は仕事、女は家庭」というこれまでの役割が性によって固定化されてきたということが問題ですが、世界的には女性問題として「性別役割分担は性差別である」と認識されています。

 それに対して、日本での認識はまだそこまでいっていません。しかし、今後日本でも夫の給料だけで生活できなくなると二人で稼がなくてはなりません。女性の場合はパートタイムでの就労が多いですが、働きに行くようになっても「家庭」で生活していく必要なことは女性がほとんど押しつけられています。押しつけられているということは、どうしてもしたくないということでもあるのですが、それを男性は女性にしてもらっているのです。

 しかし、男性が仕事のあり方を見直し、女性が担っていた家庭の問題に関わろうとしている傾向が若い男性にはみられますので、これまでの関係が見直されてきているし、徐々に変わっていくのではないかと思います。しかも、案外女性が男性に言い始めて、いっしょに買い物に行き、荷物を持つ男性も増えましたし、休みの日に家庭で食事をつくる男性も増えました。このようなことは、男と女のよい関係をつくっていくということになりますし、いい関係をつくっていきたいという男性や女性が増えてきていることだと思います。

 このように表面的なことは言えるようになりつつありますが。表面下で言えないのは性の関係で、それを女性が言えないものにしたのは今に始まったことではないのです。性別役割分業もそうですが、過去を振り返って、問題がどこにあるのかを考えていかなくてはならないと思います。いろいろな問題が解決されていくためには現在の状況を知るということが一番ですが、現在の状況をつくったのは現在だけでなく過去にあるのです。その過去の歴史を、「浄穢思想」を通してお話していきたいと思います。

  人間がつくりだした「穢れ観」公的領域域、私的領域、そして性別役割分業も浄穢思想は影響していると思いますが、穢れ観というのは、もともとあったものではなく、ある時期を境に出てきたのです。自然に生まれたものではなく人間がつくったという意味でまさに観念です。最初につくられたのは「死」の穢れです。穢れ観と宗教が非常に大きくかかわっているのは、生と死には宗教がかかわるからです。生まれることと死ぬこと、生まれることの不思議さ、それに理由をつけようとする人間、不思議なことに対して分かろうとする人間がいるから宗教が必要なのです。

 そのため、死んでいくことの意味づけも同じです。古代、元気だった人が死んでいく、放っておいたら腐っていく、その死を穢れとしました。生きたものと死んだものが違うという考え方です。違うものに意味づけをしたので、死を穢れとしたのです。

 もう一つは生まれることに関するもので、女性が担ってきた出産ですが、もともとは穢れではありませんでした。むしろ女性が子どもを生むということは、新たな命を産み出すということで神聖な意味がありました。子どもを産むときには、産小屋を建て、シメナワを張っていました。新たな命を産み出すことと米づくりが重なって、豊作の願いをこめたのです。今は医学が発達していますので生まれた子が死ぬことはほとんどありませんが、古代においては生まれた子や産んだ女性が死ぬことが多く、育つ力が少なかったのです。百年前の近代になっても多くの子どもが死んでいます。

 私は戦後に生まれましたが、赤ちゃんや幼児のお葬式を何度もみた記憶があります。古代においては産むことは非常に大変なことだったのです。だから出産に関することは神聖なことと意味づけされたのです。

 ところが、米がたくさんできる、新たな命が育っていくということの豊饒性、つまり女の性はすばらしいとされ、霊力があるとみられていたのですが、男にはできないことを穢れとして意味づけしようとしたのです。女が子どもを産むことができるということが、逆にいえば男が子どもを産めないことが女性差別を生み出してきたと考えられます。ただ、古代の神道が穢れ観をつくったのですが、最初から差別しようとしたものではなかったけれど、結果的に差別となっていったのです。

 死についても、もともとそんなに穢れ観はなかったと思いますが、九世紀に意味づけが行なわれて穢れと決められ、穢れでないものと穢れたものの区別ができたわけです。その区別が差別につながっていきます。女性が産んでいた産小展が神聖な意味をもっていたときにはシメナワが張られたのに、出産が穢れと決められると、産小屋の意味が変わったのです。
 中世になると、穢れに触れたものも穢れるという「触穢」という考えががつくられました。たとえばAさんが亡くなりますとAさんは穢れになるわけです。AさんにBさんが触れるとBさんも穢れるわけです。するとBさんは穢れていますので、自分の家にそのまま入れないということになります。だから穢れを祓(はら)うという考え方をつくつたのです。そのとき直接Aさんの死体に触れなくても、Aさんが置かれているある領域が穢れの場所となるので、お葬式やお通夜に行って直接死体に触れなくても、その家に入ったことによって穢れるということになるのです。 お葬式やお通夜に行っても、その人は何も変わっていないのにおかしな考え方です。穢れというのは、まさにつくられた観念なのです。穢れたと思ったら、その穢れを祓わなければならないので塩をふって家に入るのです。これが「触穢」の考え方です。

 これは今なお残っていますが、死者を冒とくし、差別する考え方ですので、塩で祓うようなことはやめようといわれますが、日本人の長い伝統、しきたりなどさまざまな要素が絡んでなかなかなくなりません。ある葬儀会社の人が、清め塩をやめたところ、お坊さんは賛成したのですが、一般の人々はやめないではしいと言ったということでした。ドラマなどで清めの塩をやっているので、やめるのは大変なことです。穢れ観念は差別意識なのですが、何によって差別に気がつき、克服していくかということは社会全体の問題でありながら、個人の問題なのです。皆がしていても自分はやめることができるかどうかということです。


 出産から男を遠ざけた「触穢」思想

 同じようなことが生理、出産にもいわれました。たとえば、Bさんの家を夫の家としますと、Aさんという妻が妊娠したら産小屋に入り、生活する場所から女たちは離れさせられました。集落から外れた場所に掘立小屋が建てられ、そこで女が生活をします。穢れているから食事をともにしない、つまり火をともにしないのです。お葬式のときも近所の人が行って食事をつくり、その家族はつくらないということも、穢れたものとは火をともにしない、食事をともにしないという考え方かあったからです。その穢れ意識が部落差別にもあります。ある領域を穢れた場所・・・・「部落」として近づかないのも同じ構造です。このような構造をつくつている「触穢」の考え方は、穢れが伝染するという考え方です。

 今は記念館として残っているだけですが、京都府綾部市に実際に昭和三十年代まで使われていたという産小屋が残っています。生理小屋も同じ意味です。女は生理の間はそこで生活して家族が食事を運んだのです。このような別の場所がつくられていたことから、夫と妻の関係がみえてきます。「男は浄、女は穢」で、「男は穢れたところへ行かない、行かなくていい」「出産は妻の仕事で夫にはかかわりがない」という関係をつくってきたのです、

 やがて、出産は自宅でするように変わってきました。その場合は神仏から遠い部屋で出産することになります。合理的に考えると、お湯が沸くかせる風呂や台所の近くがいいと思いますが、薄暗い納戸のようなところで産むようになったのです。そういうとき、夫はかかわりがない、そばにいなくて当たり前で、女の出産には女、母親がかかわるのです。そして病院で産むように変わります。考えてみると、「触穢」という考え方が、男には関係ないこととして出産する女の姿を生み出したのだと思います。それが現代では、多くの男性が仕事を理由にかかわれない状況です。男が出産にかかわることを遠ざけてきたのです。夫と妻の関係、女の領域と男の領域の問題に浄穢思想が関係してきたのだと思います。
 もう一つは、生理に対する女性の考え方です。若い人たちのなかにも、生理のときは鳥居をくぐらない、お風呂に入るのは一番最後、生理で汚れた下着を洗った洗面器を男には使わせないというたぐいのことが残っていえす。このようなことは女性を通しで伝わってきたのです。長い歴史を通して、女の生理は汚いから神社に行ってはいけない、神棚にものを供えてはいけないという意味の分からないことが現在まで伝わっているのです。

 また、死は黒不浄といって1年、生理は7日間、出産は1カ月間という期限が過ぎると穢れがなくなるとしました。出産をして1カ月経つとお宮に行って穢れを祓ってもらいます。そのときも母親は穢れているから子どもを抱いてはいけないという意味で祖母が抱いて行きます。現在は健やかに育ってほしいという意味を込めて行っているのだと思いますが、もともとの意味は違っていたということを知らなくてはいけないと思います。


 妻たちと「精進落とし」の女たち

 以上は期限を決めて、その間、女は穢れた存在であるとした神道の触穢思想ですが、いつも女は穢れたものであるとしているのは仏教の女人結界、女人禁制です。男と女の領域を非常にはっきりと区別しています。仏教はインドから伝わってきたのですが、韓国の仏教にはこういう考え方はなく、日本の仏教の考え方です。差別の問題を考えるとき、宗教が何をしてきたのかを問うべきだと思います。毎日新聞が「日本全国の山でただ一つ女人結界を残している大峰山が女性解禁へ、修験道1300年の伝統改正、実施2000年5月をめどに」と掲載しました。しかし、いつ開放されるかわかりません。

 平安仏教の比叡山、高野山などが女人禁制をつくり、浄なる世界と穢なる世界に分け、浄なる世界へは男は入れるが女は入れないと決めたのです。女の存在そのものを穢れとし、穢れたものは入れないという考え方です。比叡山、高野山の結界の場所に「母の墓」があります。母と別れた男たちがここに母の墓をつくるのですが、母への想いは日本の男性にとって非常に大きなものであると思います。母と別れ女人結界に入った男がそこで修行をして、一人前の男性になる。大峰山のように、ふつうの人が入っていって修行をするようになると、母との別れに死という意味をつけたのです。そして修行を積んで男になって帰ってくるということが再生で、それを証明するために「精進落とし」があるのです。それは遊女と性の関係を結ぶということです。妻でない女と性の関係をもつことによって男であることを証明するという意味づけです。

 昨年、大峰山へ行ったのですが、売春防止法ができてから遊女はいませんが、スナックで東南アジアから来た女性が働いていて、彼女たちがその役割を担っているということを聞きましたから、構造として残っているのです。男にとって、「精進落とし」をして帰っていくところは、家庭、仕事です。家庭に帰るということは、妻とのセックスがあるわけで、妻からみると、夫が修行して帰ってくるときにほかの女と性の関係をもっても許すことになるのです。ほんとうは嫌なことですが、許してきたのです。

 2年前に大峰山にアメリカの女性が知らずに入っていったことがありましたが、すぐに英語で「入ってはいけない」という札がつくられました。そして時代の流れだから大峰山を開放するというのですが、私はそれは違うと思います。女人結界がどんな意味をもっていたかということを、大峰山側自身が問わないといけないのです。時代の流れに合わせて女性に開放するといえば何の責任もないし、問われもしません。女性を排除してきたということにどんな意味があったのか、また開放されても女性が行くか行かないかが問題ではなく、大峰山側が女人結界、女人禁制にどんな意味があったのかを自らが問わないと、大峰山側の問題にならないと思います。

 比叡山も高野山も同じことが言えます。比叡山の女人結界のところの立て札に「女人牛馬を入れない」と書いているので聞いたところ、当時、女生は男性の修業の妨げになるから、牛馬は糞をして汚すからで、女性と牛馬をいっしょにしたわけではないと言われました。でもその当時はそのように考えた人がいたかもしれませんが、今の私からみるとおかしいと考えますので、女性と牛馬を並べて書いた感覚が問われるのです。当時は差別意識はなかったかもしれませんが、そういう事実を現在の視点からどうみるかが問われるのです。

 このようなことを話しましたら「言われてみて初めて分かりました。女性から聞いてみないと分からないものですね」と言うわれました。

 当時の考え方を踏まえて、それでよかったというのではなく、当時がどうだったかを現在の視点で考えるのです。歴史は続いているのですから、そうしないと当時のことが反省されません。なぜなら、比叡山、高野山、富士山などの女人結界は、明治になって政府からの指示で開放したからです。自から反省して開放したのではないので、先はどのような責任はないという考え方になるのです。でもそこに連なっているお坊さんである限り責任はあるのです。自分に問ううことはしんどいことですが、何をしてきたかということを問わないといけないと思います。

 これは宗教的な意味をもっていますが、宗教的な意味をもたないで男が女を買うためにつくったのが遊廓です。遊郭の延長線上に「精進落とし」をする男の相手になる女がいるのです。これが二極化(生殖の性と快楽の性)の一方を担わさせられていく女です。

 妻は、時代によってその時代のイデオロギーとしてどんな女がいい女であるかということをいわれてきましたが、結局は日本の家を守る女が求められたのです。だから、男の子を産む女、夫に従順な女、夫を許す女で、生殖の性を担う女です。そして、遊郭は女の快楽ではなく、男の快楽の性を担う女が生きる場所です。ここには女が堕(お)ちていくという結界があるのです。一度堕ちたら戻ることはほとんど不可能です。遊郭の大門は結界を意味します。遊郭へは男は自由に出入りできるけれども、女は堕ちていく場所、つまり穢れた場所なのです。遊女が美化されてはいますが、観念としては穢れた女です。

 ここで遊郭へ男が通うことを許してきた妻と夫の関係がみえてきます。社会がつくったとか、豊臣秀吉がつくったとかの問題ではないのです。遊女は「廃れ人」「畜生」の女と表現されていますし、福沢諭吉もここに通う男のことを「畜生道の道楽」と言っています。相手を人間としてではなく「畜生」とみて、女を妻と分断しながら、両方の女性を必要としてきたのが日本の男性なのです。


 豊かな関係をもてないことの意味を問う

 ここで夫と妻の関係をみると分かりますが、遊郭に通う夫を許してきた歴史があり、近代に入ると家制度と公娼制度がつくられ、国家がつくった制度に女も男も従わざるをえなかったのです。現代になると、援助交際にまで行きつきますが、過去の遊郭には貧しい女が堕ちていきました。現代は貧しくない女性、女子高生が性を売って、たくさんのお金を簡単に手に入れています。東南アジアの女性は今なお貧しさゆえに自分から性を売っています。そうすると、日本の女性が問われるのは、自分の夫が買春することです。買春をしている日本人が既婚者に多いということは、妻との関係つまり女性も問われるのです。自分の夫を許す妻がいるから、夫も外に買いに行くのです。

 その関係が最初に言いましたように、夫婦の関係として問われます。夫婦で豊かな性の関係をもっていないという表れです。それが、妻も嫌な思いをしているのに、嫌な思いを表に出さないで、夫を許すということなのです。現代ではその反動として妻も外の男と関係をもつようになりましたが、どちらも豊かであるとは思いません。豊かであるはずの妻と夫の関係を豊かでないものにさせている女性差別が、こんな形で行なわれてきたと思います。