同和問題学習 シリーズ 4
 
「ひと」らしく生きる
広島修道大学教授 江 嶋 修 作
 
1988年5月発行
編集/発行 京都府八幡市役所同和対策室
京都府八幡市八幡園内75
TEL 075−983−1111
 
江嶋修作氏並びに八幡市役所同和対策室の掲載了承を得ています。

 はじめに

 
 こんにちは、御苦労さまでございます。なんか、あの、久し振りにマイクを握って拍手のない講演を始めさして戴きまして、〔拍手〕あ、どうもありがとう。いい人たちですネ。パッと拍手してくださって、ありがとうございます〔笑い〕。

 今日は、このタイトルに書いてございますように、「『ひと』らしく生きる」というテーマで、しばらくみなさん方にお付合いをお願い致しますが、今日、お話ししたい事柄の骨子につきましては、次の順番でお話しさせていただきます。

 大きく、三つのパートというか、三つの部分に分けて、考えております。

一つは、差別問題の三原則。これは、ひとりひとりが差別問題を考えるときに、確認しておきたい原則的な点を三点ほど挙げさせていただきます。

<する>を許さず」
<される>を責めず」
<傍観者>なし」
という三原則です。

 この三原則につきましては、北海道から、沖縄までの全国の都道府県の教育委員会などの、文書の中で使われているものでございます。ということは、イデオロギーとか、思想・立場を超えて、差別問題を考える時に、全てのひとびとに確認されているはずの三原則です。

 差別問題の三原則を、「みんなに確認されているはずの三原則」と言い方をしましたのは、「原則」と言われていながら、意外とこの三原則がおさえられていない。「そんなことはわかっている」と皆さん、おっしゃる。しかし、守られていない。そういう意味です。

   【される】を責めず


 二点目に移ります。二点目、
<される>を責めず」
<される>を責めず」これはどういうことかと申しますと、差別とは、差別される側に問題があるのではなく、差別する側の問題であるという事です。

 多くの人が勘違いをしてるんです。つまり、部落差別というのは、「被差別部落の人がいるから部落差別が有るんだ」と。

 これは間違い。何故、部落差別があるのか。「部落の人がいるから?」「違うんです!」正確に言わなきゃいかん。こうなんです。

 部落差別というのはなぜあるのか。それは、「あれが部落だ」というかたちで、差別する人がいるから、部落差別があるんです。

 勘違いしてもらっちゃ困る。多くの人が、部落があるから部落差別があると、錯覚を起こしている。そうなんじゃないですね。

 「あれは、部落だ」と言って差別をする人がいるから、部落差別がある。
これが二番目の原則です。

 誤解される危険性がありますが、わかりやすい例を、ちょっと、一つ、二つ挙げておきます。

  「黒人間題」ではなく「白人間題」


 まず、一つ。「黒人問題」という言い方がありますねぇ、アメリカに。

 黒人差別、黒人問題と言った瞬間に多くの人は何を考えますか。すぐに、黒人の姿を思い浮べるでしょ。黒人問題と言った瞬間に。

黒人がいるから、黒人問題があると錯覚を起こすんです。

 正確に言うとそうじゃない。

 「あれは黒人だ」というかたちで差別をする白人がいるから、黒人差別というのはあるんです。

 そうでしょ。私の友だちで、アメリカで、差別問題をやっている友人は、だから、「黒人問題」と言わないんです。「白人問題」って言うんです。差別される側に責任があるわけじゃないんです。

 もう一つ別の例を挙げます。差別される側に責任があるわけじゃない。差別する側の問題という事をもうちょっとわかっていただくために。私がその事を痛感した出来事を一つ挙げさせていただきます。


   アメリカでの体験
 十年はど前に私、ちょうどアメリカに行っておりました。ボストンに住んでおりました。オッチョコチョイなもんですから、アメリカに行ってニケ月もしないうちに、腎臓結石。腎臓に石が出来たんですね。あれは、胆石だとか、腎臓結石とか、尿道管に石ができた経験がおありの方はおわかりと思いますが、メチャクチャ痛い。もう、七転八倒するぐらい痛い。で、すぐ切ることにしたんです。ボストンにありますある病院に入院して切ることにしたんです。

 この病院がかなりひどい病院でして、どういう風にひどいかというと、民族差別の露骨な病院でした。ちょっと、例を挙げますと、患者が、まあ、四百人いるか、五百人いるか、わかりませんが、病院で見かけた患者は、私を除いて、残りは全部白人。一人残らず白人。

 医者がやっぱり、何百人も居るんですが、一人だけインド人を見かけましたけども、それを除いて、お医者さんは、みんな白人。

 もっと露骨なのは看護婦。看護婦さんが三段階のランクに分れているんですね。一番上の看護婦さんが、まあ、日本語にあえて直しますと『正看』。二番目を『準看』。三番目をむこうの言葉をそのまま日本語に直しますと『雑役婦』となりますか。『正看』、『準看』、『雑役婦』。三段階の身分制度で分れている。

 一番上の『正看』。これは、ほとんど白人で、しかも若い女性。二番目の『準看』。これがまた、ほとんど黒人の中年の女性。一番下の『雑役婦』というところは、一人だけ白人のおばあちゃんがおりましたけども、このおばあちゃんを除いて、残りは中国人のおばあちゃん。

 露骨でしょう。民族的に言うと、白人、黒人、中国人、とボンボンボーンと分れていて、年齢で言うと、若いの、中年、年寄りって、露骨な分れ方してる。こういう病院でした。

 えー、入院して、検査を受けて、その夜の内に手術されました。次の日の午前中、麻酔が切れ始めます。気が付いたら両腕点滴をされていました。両腕点滴。その病院で、看護婦さんが次々と病室に入って来るわけです。どの看護婦も、どの看護婦も全く同じ<まなざし><まなざし>がいっしょ、顔は違うんですけど。どういう<まなざし>かというと、僕を見る時の<まなざし>

「おまえ、なんでこんなとこに入っとる」
 実際にそう言うわけじゃないんですよ。もちろん。あれ、<まなざし>というのは、わかるもんですよ。とがめだてする<まなざし>。なんていうんですかねぇ、こう、上から下を斜め下に見降ろすような感じで、とがめだてする<目線>
「何しに、あんた、入っとる」
「あんたが来る所じゃないでしょ」
 こういう目。

あれはすぐわかるもんですよ、やられたら。

 来る看護婦、来る看護婦、みんなそう。ニコリともせん。五、六人来ましたけども、ニコリともしないんです。笑えばきれいなのになぁ、この子。それが、鬼瓦みたいな顔してろ〔笑い〕。ひどい扱いだったですよ。

 両腕点滴で、麻酔が切れ始めているわけですから、痛くて痛くてたまらん。その僕のところへ来て、看護婦たちが、血圧を測ったり、注射をするわけです。

 それが、こうです。腕をギューンと引っ張って、点滴の針が付いたままですよ、「あ痛たたたた」。腕をまくって、ブスッ!とくる。

 その間、ニコリともせん。「なんじゃあこいつ」と思いながらね、ただ、ただ、ひたすら耐えるだけ。

 別の看護婦が来ましてね、湿拭。身体を拭くっていう作業がありますよね、看護婦さんの仕事の中に。その作業に来た看護婦さん。ヌルーイお湯をね、洗面器に半分。なぜヌルイとわかるかというと、ほとんど、湯気が出てないんです。ヌルーイお湯を、洗面器に半分しか汲んで来ずに、そして、それを僕の枕元にボーンと置くんです。そして、タオルを一枚、ベットの上にポイと置くんです。そして、
「自分で拭け」
 拭けるかって!小指一本動かしても痛いんですから、そんな扱いでした。でも、僕は、それをこういうふうに解釈してました。

 「なるほどアメリカ社会というのは、競争原理が厳しい社会。自分で生き残る力の無い奴は切捨てられる。さすがに、厳しい社会じゃなぁ」
勝手に、こう解釈してました。

 二日目までは、その病室に私一人だったんですが、三日目にアイルランドのおじいちゃん、アイリッシュ系のおじいちゃんが入って来ました。このおじいちゃんがものすごく話好きな人で、色々、話しかけるもんですから、聞かれるままに、
「おれは日本人だ」
と、
「今、なにしてるか」
って言うから、ハーバード大学でこういうかたちで、研究員で勤めてる。日本では大学の教師をやってて、というような話をしたわけです。

 その日の夕方。まぁ、そのおじいちゃんにも問題があるんですが、それはちょっと横に置いてね。僕が夕方、ウトウトしてましたらねぇ、看護婦さんを二人前において、アイリッシュのおじいちゃんがものすごい声で怒っとる。

 こう、ウトウトしてたらですねぇ、やたらと、「ミスターエジマ、ミスターエジマ」って、言うんですねぇ、「待てよ、ミスターエジマ、ああ、わしのことじゃぁ」ということで、よく聞いてみると、こう言ってるんです。

「何を言っとるか!あれは日本人だ!」
とこうです。因みに日本人と中国人と扱いが別にそう違うわけではないですよ、誤解をしないでください。

「あれは日本人だ!日本では大学の教授をやってい。おまけに今何をやっとるかわかるか、今、彼はハーバード大学の先生だ!」
と言ってる。ちょっと、先生ってのは、オーバーなんですけどね。研究員ですからね。ずーっとランクが下のね(笑い〕。

 それから、二十分か、三十分後、五・六人のこれまで病室に出入りしていたニコリともしない看護婦たちが全員来ました。つぎつぎと。全員来ました。まるっきり、別人。顔が違う。鬼瓦みたいにこコリともしなかった看護婦さんがニコニコ、ニコニコ笑って来てねえ。
「ミスターエジマ、何か困った事はないか」
とこう言う。なによりも変わったのは<まなざし><目線>。とがめだての色合いが消えた。

 洗面器を枕元にボコォンと置いて帰った。例の看護婦さんが、今度は、洗面器にアツーイお湯をタブタブに入れてね。タプタブですよ。湯気いっぱいでてますから、アツイ!ってすぐわかりますよ。バスタオルまで持って来て、僕のパジャマの前をあけて、拭いてくれるんですよ、ていねぇ−いに。ニコニコ、ニコニコ笑いながら。腕をガバッ!、注射をボコン!と射ってた同じ看護婦さんが、ニコニコ、ニコニコ笑いながら、話かけて来るんですよ。
「痛いか?」って、
痛いよね、そりゃ、そして、こう言うんです。
「おまえ日本から来たのか?どこだ?」
「広島から来た」
「岩国って知ってるか?」
「おう、すぐ傍だ」
「岩国に私のボーイフレンドがいる。なんとかジョンソンという。知っているか?」
「知るか!」ってね〔大爆笑〕。

 これくらい変わったんです。なんでですか?むこうの僕を見る見方が変わったからでしょ。

 
 しかし、みなさん、ここで、考えてみていただきたいんです。僕もそのとき考えました。とがめだてする<まなざし>でタオルをポーンと投げられてた時の僕と、ニコニコ笑って、拭いてあげようと言われてた時の僕と、違いがありますか?いっしょでっせ!いっしょ!顔もいっしょ。スタイルもいっしょ、身長が伸びたわけでもない、たった一日の出来事ですから。女房も同じ、女房も〔笑い〕。なんにも僕、変わっていない。むこうが勝手に見方を変えただけでしょ。見方を変えられた私に責任がありますか。僕はね、差別問題を考える時にいつもこれを思い出すんです。

 
 だから、差別というのは、差別される側に責任があるんじゃなくて、差別する側の人間達が差別される人達をどのように見るか?これにかかっている。それを多くの人々はすぐ、差別される側に責任をおっかぶせそうになる。

 それは、自分が差別してしまう事をごまかし、その「ごまかし」を正当化しようとする理屈が伴っているんです。「アレらの態度がどうだ、ものの言い方がどうだ」と、すぐ、そっちの方へ問題を持っていこうとする。今度出た、地対協の『意見具申』なんか、その典型みたいなもんですよ。

 
 『同対審答申』にははっきり書いてあります。「差別を作り出してきたのは、差別するひとりひとりの人間の責任だ」と書いてありますよ。国民ひとりひとりの責任だ」と書いてありますよ。国民ひとりひとりの責任。この原則がおかしくなりつつある。

    部落差別は如何に根拠がないか


 見方。なぜ、見方というふうに言うかというと、もう一つ言っときますが、皆さん、部落の人と部落外の人というふうに人間を二つに分けてお考えになる方がずいぶんいらっしゃると思いますが、これは、正確に、考えなきゃいけません。
 部落だという事で差別を受けている人と、部落じゃないという事で部落差別を受けない人といるだけですよ。

 これだけの人がこの会場に集まっていただいておりますが、皆さん方、ちょっと、考えてみてください。

 皆さん方がここに、こうやって、座っておられるということは、必ず、どこかに、お父さん、お母さんがいらっしゃったということでしょ。ですから、生物学的な事でいいですよ。

 一人の男と一人の女がいた。「父ちゃん」「母ちゃん」がいたから、僕らがいるわけでしょ。

 父ちゃんが存在するためには、父ちゃんには、「父ちゃんの父ちゃん」と、「父ちゃんの母ちゃん」がいるわけですよ。でしょう。

 父ちゃんの父ちゃんが存在するには、「父ちゃんの父ちゃんの父ちゃん」と、「父ちゃんの父ちゃんの母ちゃん」がいるわけでしょ〔笑い〕。

 三代さかのぼっただけで八人ですよ。この八人の父ちゃん母ちゃんたちが、じいちゃんばあちゃんになりますが、たった八人ですよ。

 どこで、どんなことして生きてた人か言える人がおりますか?たった八人、三代前でしたら、三代ぐらい同居してる家族いっぱいありますよ。たかだか三代前の八人、ほとんどの人が言えないでしょう。八人いるんですよ、僕らがここに、こうしているために。

 もう一つさかのぼったら、「父ちゃんの父ちゃんの父ちゃんの父ちゃん」と、「父ちゃんの父ちゃんの父ちゃんの母ちゃん」〔笑い〕というところまでさかのぼったら、十六人ですよ。たった四世代ですよ。

 四世代といったら、ついこの間ですよ。江戸までいきませんよ。明治ですよ。江戸までいこうと思ったら、もう一世代いかんとだめですよ。三十二人ですよ、そうしたら。三十二人の父ちゃん母ちゃん、どこで何してたか、説明できる人がおりますか、ここに。もうちょっと、さかのぼりましょうか。一気にさかのぼってみましょうか、鎌倉時代まで。平安末期から鎌倉、ここら辺までさかのぼってごらんなさい。何千万人になりませんか。

 テレビに出てくる「ウソツキおじさん」てのがおりますけどね。えー、一生懸命働いているお父さんをねぇ、バクチの世界、競艇の世界にひきずりこんでねぇ、一家離散の目に合わせておきながら、テレビに出てきて、「お父さん、お母さんを大切にしよう!」とかね、あの「ウソツキおじさん」てのがいらっしゃいますけどね〔笑い〕、あのウソツキおじさんが一つだけ良いことを言ってる。「人類皆兄弟!」。人類皆兄弟だって。ここらに住んでる人はね、鎌倉時代までさかのぼると、だいたい八割は親戚ですよ。僕、九州の福岡県出身ですが、鎌倉時代までいけば、この中のかなりのひとと親戚ですよ。

 ほら、部落だといって差別をする根拠がないということは、「江戸時代に政策的に作られた」という説明をするまでもなく、常識でわかる、こんなの。これがわからん人は常識がない。常識ですよ、これ。

 科学的知識とかなんとか、持ってこなくても説明できる。それを差別しているわけでしょう。だから、正確に考えなくてはいけない。「部落だという事で差別を受ける人達」と、「部落じゃないということになってて、差別を受けない事になっている人達」がいるだけですよ。

 部落差別の根拠なんて、理由なんて、なぁ−んも無いんですから。だからこそ、二番目の原則をきちんとおさえておいていただきたい。

 「<される>を責めず」。される側に責任は無い。差別は差別する側の責任!。これが二番目の原則です。

    【傍観者】なし


 三番目の原則に移ります。三番目。「<傍観者>なし」。差別問題には傍観者がありません、ということです。わかりやすい例を先に一点だけ挙げます。この間小学生に説明したら、小学生でも、「なるほど!わかった」って言いました。その例をあげます。

 ちょっと、想像してみてください。頭の中で、場面を思い浮べてみてください。

 この近所の川、名前は知りませんが、その川の傍を通りかかったら、三才か、四才の小さな子どもが溺れてた。川に溺れてた。どうしますか?

 川を見たら、小さな子が川に浮いて、プカー、バタバタってやって溺れてた。どうしますか?

 やる事は二つに一つしかないですよ。

 その子を助けようと何か「具体的に動く」か、「知らないふりをして通り過ぎる」か、どっらかですよ。

 中間がありますか?助けようかなぁ、やっぱぁ、やめたぁ、そんなのないでしょう。助けるか、助けないか、どっちかですよ。

 助け方には、いろいろあるでしょう。泳げる人はすぐ川に飛込み、その子を助けあげ、人工呼吸をする、というような助け方をするでしょう。

 泳げない人だったら、大きな声をだして、「誰かきてくれぇ!子どもが溺れてるぅ!」とか、言うでしょう。

 いろいろあるでしょうけど、助けるために、「具休的に動く人」と、見て見ないふりをするか、本当に気が付かないかして、「通り過ぎる人」と。

 通り過ぎる人の中にはいろいろあると思いますよ。

 ちらっ、と見てねぇ、ひどおーい人がいてねぇ、
「お、子どもが溺れてる、この町の人口が一人減る、ええこっちゃぁ」
ってねぇ〔笑い〕、通り過ぎる人がいるかもしれません。

 しかし、別の人は、
「はっ、子どもが溺れてる、助かればいいのになぁ、助かればいいのになぁ」
と言って、通り過ぎるかもしれない。

 しかし、この二人に違いがありますか? 仮に、助けが間に合わずに、この子が溺れ死んだと仮定してください。助けが間に合わずにこの子が溺れ死んだ。その子のお父さんお母さんがやってきて、傍を通り過ぎた大人をつかまえて、
「あんた!なんで、うちの子を見殺しにしたんか!」
そう言われたら、どうしますか。その時に、
「いやあ−、僕は、助かればいいなぁと思ったんですよ、信じてください」
と言ったって、なんか役に立ちますか。意味がありますか。

 差別問題はこれといっしょなんです。今、現実に差別があるわけです。結婚差別を受けて、就職差別をうけて、
「死にたぁーい!」
と思ってる子が現実に、いるんです。

 そういう差別を無くすために、「具体的に何かをやる人」と、私や、差別する気はないですよ、私には差別意識ないですよ、と言って「何もやらない人」と、この二つに分れるだけですよ。

 いくら「私は差別するつもりはありません」「差別はいけない!と思ってますよ」と心の中で言おうと言うまいと、差別を無くすために具休的に何らかの事をしてない限りは、これは、溺れる子どもを見捨てて通り過ぎて行った人と全くいっしょですよ。そういう意味なんです、三番目の原則は。差別問題に関しては、「<傍観者>なし!」っていうんですよ。

 例えば、いじめ問題なんかで、小学校、中学校へ行くとスローガンが書いてあるでしょ、いじめ問題で。あれ、なかなかいいですよ。「いじめっ子、見てるあなたもいじめっ子」っていうスローガン。小学生、中学生をお持ちになってるお父さんお母さんなら、御覧になった事があると思いますが、そういうスローガンが張ってありますよ。「いじめっ子、見てるあなたもいじめっ子」。これといっしょです。「<傍観者>なし!」。これが三番目の原則です。

 もう一回繰返します。差別問題の三原則、差別問題を考える時の三原則。
一、「<する>を許さず!」
二、「<される>を責めず」
三、「<傍観者>なし!」
 これが、三つの原則であるという事を、まず、皆さん方といっしょに確認しておきたいわけです。この三原則だけで、グサッときていただきたいわけです。ヤバァ!というふうに考えてほしいわけです。

 この三原則を守ってない方が、いくら、「差別の無い明るい町をつくりましょう」といっても、これは絵空事。このことをわかっていただきたいわけです。

 じゃあ、なぜ、この三原則が、原則であるにもかかわらず、全ての人々に認められている原則であるにもかかわらず、守られないのか。そして、人々はついつい差別する人々に加担してしまうのか、味方をしてしまうのか。その一番大きな原因というか、その原因の一番底に流れているもの。それが、二番目のところで、説明したい事柄なんです。つまり、「ひと」が「ひと」を差別するという営み、これはいったいどういうことなのか、という点について次に話させていただきます。

(2)「ひと」が「ひと」を差別するとは

 「ひと」が「ひと」を差別するということについて、多くの方はどうおっしゃいますか。それは「悪い事」。それは「してはならない事」。それは「不正な事」。このようにおっしゃる。果して、「『ひと』が『ひと』を差別するという事はただ単に悪い事でしょうか?僕らは、そう考えてないんです。『ひと』が『ひと』を差別するというのは、「ひと」としてただ単に悪い事に止まらない。

 それについて、ここに五点挙げておきます。それは、まず、「ひと」「ひと」を差別するという行為は、「ひと」として、<醜くぅーい>こと。二番目に、「ひと」として、<いやらし−い>こと。三番目に、「ひと」として、<いじましい一い>こと。

 いじましいってわかりますか。いじましい。なんか、部屋のすみっこで電気を消して、暗あーく、イジイジってしてる状態。というようなイメージです。四番目、「ひと」「ひと」を差別するというのは、実は、「ひと」として、<汚らしい−い>こと。五番目、「ひと」「ひと」を差別するというのは、実は、「ひと」として、<つまらなあーい>こと。

 言い方を変えます。「うちの子どもが結婚するときは、部落の人間とだけは、絶対にダメだ」というような考え方・意識を、強く持っている人。こういう考え方・意識が、部落の若者の命を縮めるわけですから、だから、殺人者ですよ。悪いことですよ、もらろん。

 しかし、悪い奴に止まらない。実は、そういう意識を強く持っている人は、「ひと」として、<醗くぅーい>ひと、<いやらし−い>ひと、<いじましい−い>ひと、<汚らし−い>ひと、<つまら−ん>ひと、こういう事を申し上げたいわけです。なぜか、という理由を、これから話します。

 先ず、第一、皆さん方、「ひと」「ひと」を差別する時に、明るぅーい顔して、キラキラ輝きながら、差別している入って想像できますか。

 天気のいい日に、お花畑でねぇ、みんなで、キヤッ、キヤッ、キヤッ、っていってる時に、
「実はねぇ、あの人はねぇ」
とか言う人、想像つきますか。ほら、差別をする時にはパターンがあるでしょうが。斜め後ろ四十五度ぐらいの角度で、そっと、やってきてねぇ、後ろから、そぉ−と、肩を叩いてねぇ、
「あのなぁ、ここだけの話しじゃけどのう」
って、ほら、こんなもんでしょうが〔笑い〕。暗あーい顔してしか差別はしませんよ。やましい−い営みだからですよ。

 
   「醜さ」からの自己解放


 広島修道大学「同和」教育委員会は、スローガンってのをいくつも持ってます。そのスローガンの第一が、「『醜さ』からの自己解放」というんです。

 どういう事かと言うと、差別というのは、自分の中に「ひと」としての醜さをいっぱい溜めている。そういう差別する可能性が自分の中に有るとすれば、どんどん、どんどん、それを削り落としていこうよ。どんどん、どんどん削り落として、自分が差別する可能性、つまり、醜さを削り落としていく、これが「同和」教育だ。これがスローガンの第一なんです。

 実は、この「『醜さ』からの自己解放」というスローガンを考え付きましたのは、六、七年前、もう、ちょっと前かもしれません。

 部落差別で思い付いたスローガンではないんです。

 これはですね、性差別、女性差別で考え付いたスローガンなんです。

 六年か、七年前にね、広島県のある市にいきました。

 土曜日の午後、「コミュニティづくり」っていうか、「町づくり」のテーマで、講演に行ったんです。僕の車はなにしろ、ターボが付いているもんですからねぇ〔笑い〕、いつも予定より早く着いちゃうんですよ。

 その日も、予定よりずいぶん早く着いちゃいましてね。時間つぶしに、役所の直ぐ側の喫茶店でコーヒーを飲んでたんです。

 その喫茶店に、五人連れの、その市の女子職員が、入って来た。いずれも、十九歳から、二十歳ちょっとすぎ、まあ、いっても二十一歳ぐらいの若あーい職員が五人。

 入って来た瞬間に思いました。まあー、五人とも美人。今日、来られてる方もお美しい方が多いですけども〔笑い〕、五人とも美人、かわいい!入ってきた瞬間、思いましたよ。ここの人事部長はスゴ腕じゃなぁ、と思いました。

 この五人連れの若いお嬢ちゃんたちが、役所の制服うすいブルーのねぇ、役所の制服を着て、入って来まして、僕の横に座って、おしゃべりを始めた。ほんとに五人とも、美人だったです。かわいかったです。

 僕は、スポーツ新聞を読むフリをしながらねぇ、「オッ、あの子、かわいい!、あの子もかわいい!」なんて〔笑い〕、それぐらいかわいかったです。

 ところが、この五人のお嬢ちゃんたちが、ある人の噂話を始めた。その瞬間に、顔がアッと言う間に変わった。雰囲気も変わったけど、顔付が変わった。一瞬にして、醜くなった。汚くなった。

 どういう話かと言うと、同僚の、同じ職場の二十九才になる独身の女性の噂話を始めたんです。よく、やるでしょう。ほら、例のヤツですよ。

 ムードをわかっていただくために、ちょっと、真似してみますよ、彼女たちが会話した通り、ちょっと、やってみます。顔は難しいですが。一人の子が突然、こう言うんです。突然言うんです。
「ねぇ−、ねぇ−、ねぇ−、ねぇ−、」
こんな感じ。
「なんとかさん、」
二十九歳になる独身の女性のことですね。
「なんとかさん、今日、土曜日なのに、もう、仕事が終わったら、あと、まっすぐ家に、帰るんと」
とこういう感じ。それを受けて、こっちにいた子が、こう言うんです。
「ねぇ−、ねぇ−、ねぇ−、ねぇ−、なんとかさん、彼氏いないんかしら、男、お・と・こ」〔笑い〕
とこう言うんです。これを受けて、また別の子がね、こうですよ。
「ムリ、ムリ、ムリ、ムリ」〔笑い〕
そしてね、最後はこうです。
「ところでなんとかさん、いくつになったん」
「もう、二十九よ、にいじゅうくぅ」
と手を出すんです〔笑い〕。こんな話、いつまでしてても、仕方がないので、ムードだけわかっていただけたらと思いまして・・。

 こういう会話を始めた瞬間の五人の女の子のひきつった顔。

 あれほど、人間の顔ってのは変わるんかっていう程、アッという間に変わりました。
「わぁっ、きちゃなぁ」
と思った。
「汚い」って感じよりもね、正確に言うと、「きちゃなあ」って感じ。

 なぜですかね。典型的な女性差別の会話ですよ。そうでしょ。二十九歳になって、女性が、結婚せずに役場勤めを続けている。そうすると、周りが必ず、こういう話を始める。男だと、こういう会話になりますか?二十九歳の男性が結婚せずにまだ勤めている。みんな、こういう風に言いますか。
「のう、のう、のう、田中。二十九になってまだ、嫁さん貰えんのと、あれ、ちょっと、問題あるんちゃうか、ホモちゃうか」〔大爆笑〕
とか、言わんでしょうが。

 こういう会話は、女性の場合にだけ交わされる会話ですよ。これは、いわゆる、典型的な女性差別の会話ですよ。

 それを同性である女性たちが、気が付かずに平気で交わしている。そりゃあ、醜くなりますよ。僕はね、その時に、このスローガン「『醜さ』からの自己解放」を思い付いたんです。

   輝きを持って生きよう


 差別というのは、人の顔、雰囲気までも、醜くさせてしまう。だから、うちの女子学生なんかと、話しててねぇ、よく、僕ら、言うんですが。

「差別を無くすために一生懸命係わって生きろよ」
「差別、無くすために具体的に、なんかやりながら、生きろよ」
「一生懸命、自分の中にある差別する可能性をね、削りながら生きようや」
「差別されてる人のために、などという思い上がった考え方せんでいい!差別されてる人のために、そんな、思い上がった考え方じやない!なぜ、差別を無くす生き方をしなくちゃいかんか?そらぁのう。あんたのためじゃ。あんた自身のため、特に女子学生、あんたの美容のため」
と言うんです。

 考えてみてください。二十才前まで、みなさん、全然、御化粧しなくっても平気だったでしょう。ねぇ、違いますか?二十一才になると、カネボウ、資生堂とお友だちにならんと、鏡が見れんようになる。これも二十八ぐらいまででしょうが〔笑い〕。

 三十になってごらんなさい。どうしますか。資生堂、カネボウだけでは心もとない、外国製品のマックス・ファクター、まてよ、医薬化粧品ノエビアが合ってるかな、ってね〔笑い〕。苦労を始めるでしょ。これでいっても、三十七、八までですよ。四十になったら、後は厚く塗るだけ〔大爆笑〕。厚く塗ってもすぐ限度がありますよ。女性の平均寿命、八十なんぼですよ。それから、後、半分残ってんですよ、半分。

 女子学生には本当に、こういうふうに言うんです。
差別を無くすということは、部落差別であれ、在日朝鮮・韓国人差別であれ、障害者差別であれ、差別を無くす中で生きる、ということは、あんたらが四十になった時に、「いいおんな」でいるためよ、って。

 二十歳になって、二十年間、人を差別する気持ちの中で、ベターッと生きてごらんなさい。四十になってからじゃ、間に合わん。早くそういうものを削り落としとかんと。

   フラストレーションの内調整のメカニズム


 じゃあ、なぜ差別する時の人間の顔が醜く、汚くなるのか?なぜ、差別することは、「ひと」として、醜くって、いやらしくって、いじましくって、汚らしくって、つまらぁーん営み、だというふうに言うのか?。

 それを、ちょっと、学問的にって言うか、僕も、一応、大学の教師ですから、「あれは、本当に大学の教授だったんかいな」って言われると、いけませんので、一言だけ、難しい言葉を使わせていただきます〔笑い〕。一回だけ、これ以外使いません。

 それは、フラストレーションの内調整のメカニズムという言葉です。

 これは、社会心理学の言葉で、アメリカなんかで差別という現象を説明するのに、最もうまく説明出来ている考え方です。「フラストレーションの内調整のメカニズム」

 どういうことかと言いますと、こういうことなんです。

 皆さん方、毎日、毎日、生きて生活されていく中で、嫌あーな事ってあるでしょう。嫌あーな事。まっ、腹立って仕方が無い事、これは違いますよ。パチンコで五千円ぶちこんで、全然出なかった。これは、腹立つ事でしょう。そんなんじゃなくって、嫌あーな事ってあるでしょう。例えば、人に対するコンプレックス(劣等感)、ジェラシー(嫉妬心)、あるいは、そういうマイナスの方向の様々なストレス、あるでしょう。

 ちょっと、女性を例にとります。

 高校を卒業して、十年。久し振りに繁華街へ買物に行って、街の本道りを歩いているわけです。

 すると十年前の同級生にバッタリ会った。むこうは、ものすごぉっくオシャレなカッコしてねぇ。オシャレっていうと僕はすぐ、サン・ローランとかのブランドしか思いつかないところが、古いんですが〔笑い〕。そういうブランドもののブラウスかなんかを着て、トンボのサングラスなんかをかけてねぇ、白のスラックスを、ビュッと履いて。
「まあ、なんとかさん、久し振り、十年振りかしらオシャベリでもしない?」
とか言って、近所の喫茶店に入ってオシャベリする。彼女が言うわけです。
「今ねぇ、ちょっとねぇ、ブティック関係のお仕事なんかしててねえ、つい、昨日もねぇ、東京でねぇ、原宿でねぇ」
 高校を卒業して、十年たってるわけです。話の間に喫茶店のトイレに入って、トイレに置いてあった姿見に自分を映して見た。着てる服は、こないだスーパーの大安売りの時買ったワンピース。そういうと、美容院にももう、半年も行っていない。

 そんな時、思いませんか?「くやしい−い!」って、「高校時代は、私が、あの人よりオトコにもてたのに!くやしい−い!」〔大爆笑〕そういう時の思いですよ。そして、あんな夫と結婚したからって、夫の方へ恨みがいくとかねぇ〔笑い〕。

 そういうコンプレックスとか、ジェラシーとか、そういった類のいわゆる、嫌ぁーなフラストレーション、マイナスの方向の嫌なフラストレーションがずーっと、溜ってごらんなさい。人間てのは、残念ながら、そのままでは、生きていけない。どっかで溜ったものを解消しなきゃならん。

 どういう物が溜るかというと、それが先程申しました、醜くっていやらしくっていじましくって汚ならしくってつまらぁーんものが自分の中に溜っちゃう。

 それを、どうやって解消するか。

 解消する一番てっとり早い方法はこうするんです。自分の手を、自分の中に溜った醜くって、いやらしくって、いじましくって、汚ならしくって、つまらぁーんものの中にズブッと突っ込んで、ベチャッとその汚らしいものを取り出しておいて、
「誰かおらんかな、誰かおらんかな、オーっ、アレらにしよう」
って、誰か特定の人々を決め付けて、それを投げ付けるんです。
「アレらにしよう」
と、誰か特定の人々を決めていく行為を『ラベリング』って言うんです。

 そして、そのラベルを貼った人々に対して、自分の中に溜った醜くって、いやらしくって、汚いものを投げ付ける行為を『差別』って言うんです。

 だから、差別する時の人間の顔は醜くひきつうて、汚らしく見えるんです。何のことはない。

 差別というのは、だから、自分の中にある醜くって、汚らしい物が出てきているだけですよ。

 部落の人と結婚するのは絶対に許さんみたいな意識をずぅーと持って生きている人は、なんのことはない、自分の中に、醜くって、いやらしくって、汚らしい物をいっぱい持っている人ですよ。

 平気で部落に対して攻撃をしかける人を、見てごらんなさい。コンプレックスの塊です。「オレは報われていない」とか言ってね。それを民主主義とか、基本的人権とかいう言葉でごまかしているだけ。いっぱいおりますよ、そういうの。

   差別する人間の醜さ


 尾道に、Kさんという女性がおりまして、四十いくつの女性なんですが、この人、こういうふうに言いきってる人なんです。

「部落の人とは、結婚もできないし、付き合う事もできない。その事に私は確信を持ってます。私はそのこと、つまり、部落の人とは結婚も付き合いもできないという事を、子どもたちにはきちんと教えます」
ここまで言いきってんです。ひどいでしょう。いくら、教育委員会が話に行っても、法務局が行っても、相手にしない。
「考えを変える気はない」
の一点張り。こう開き直る。

 このオバチャンを支持してんのは、日本なんとか党という、革新を名乗る政党だけ。もちろん、そういう連中は周りから、総スカン食ってますけどね。

 このオバチャンがなんで、ここまで、差別意識が強いのか?というんで、話を聞きに行ってみたんです。被差別部落の子どもたちと一緒に行きました。尾道にある「めだか子ども会」の子どもたちです。
「オバチャンは、なんで、僕らをそんなに差別するんね、そのわけを聞かせてほしい」
子どもたちが彼女にこう訴えたんです。

 それに、僕ら、ついて行ったんです。その時に広島修道大学の学生が五・六人一緒に行きました。

 その中に女子学生が何人かいました。その中の女子学生の一人が、このKさんを見て、こう言ったんです。僕が言ったんじゃないですよ。その女子学生がその場で言ったんですよ。もう、卒業してますが。その女子学生が、Kさんを見て、僕にこう言った。
「先生え!、あれ、なに−?、あれぇ−、きちゃなぁ−、うち、ああなりとうない!」〔笑い〕

とこう言った。

 女子学生をして、そう言わしめるほど、顔が醜かったんです。顔のつくりがどうこうじゃない。なせか?自分の中に溜った、嫌ぁーな物が、醜ぅーい物が、汚ならしい−い物が、平然と差別をすることを通して、顔に、全部、出ているからですよ。

 差別問題は、ひとごとではないんだ、他人事にしてはならない、と、よく言われます。僕も、それには賛成です。なぜなら、差別とは、差別するひとりひとりの人間の自分の中に溜ってるモノの問題だからです。そのことをわかって戴きたいわけです。これを説明する一つの原理が、「フラストレーションの内調整のメカニズム」というんです。

 自分の中に溜ったフラストレーションを自分の中で、心理的に納得させ、正当化するために、今言ったようなメカニズムが働いていくということなんです。

   反差別の生き方を求めて


 今、差別というのが、自分の中に溜ったコンプレックスとか、ジェラシーとか、そういうイヤぁーなものを、誰か、人を決めて、決められた人々に向かって投げつけていく行為だと、言いました。


 僕は、全国のいろいろな仲間といっしょに、ずいぶんそういう問題について調査をやった時期があるんです。そうするとね、差別意識のスゴーク強い人と、スゴーク弱い人と、いろいろ分れてくるんですね。

 いろんな人に会って、話を聞いて、どこで違いが出てくるのか、いろいろ調べてみた。同じような地域や生れ、同じような形で結婚し、同じように子どもを育て、という同じような環境の中で、ある人は、差別意識、部落に対する偏見がものすごく強い。ある人はものすごく弱い、ほとんど差別意識が無いに等しいほど弱い人もいる。

 この違いはなぜか?いろいろ調べてみた。責任を持って、皆さんに言える事が一つわかりました。
「ひと」としての誇り

 それは、その人自身が「『ひと』としての誇り」をどれだけ持って生きてるか。これが、一番大きく働いておりました。

 「『ひと』としての誇り」という言葉を、わざわざ、「『ひと』としての」というふうに使うのは、なぜかと言いますと、「誇り」ってのはねぇ、つまらぁーん次元もいっぱいありますからねぇ、つまらぁーん次元。そうでしょ。

 つまらん次元ということで、すぐ思い出すのは、大学時代に家庭教師やってた、その家庭教師先の奥さんなんです。家庭教師料貰ったのにすいません、と言いながら、すぐ思い出すんですよね。

 夜、家庭教師を七時から九時ぐらいまでやる。中学生の男の子を教えてたんですが、九時に家庭教師が終わると、その、お母ちゃんが出てくるんです。

 お母ちゃんが。ま−あ、ハデなかっこうでねぇ。もぅのすごくハデなネグリジェを着てねぇ、上にナイトガウンを肩からひょいと、ひっかけてねぇ。そのナイトガウンがギンラメですよ。ギンラメ!〔笑い〕スパンコールってのか、キラキラ、キラキラ。

 で、このお母ちゃんがねぇ、なんでもお金に換算して、話をするんです。もう嫌でね僕は、例えばこうです。家庭教師、九時に終わる。お母ちゃんがやってきて、ハデハデのナイトガウンを着てやってきて、僕にこう言うんです。
「せんせぇ、オナカ、空いてらっしゃる?」
「ええ」
とこう言う。
「オスシ、お食べになる?」
「ええ、よろしければ」

 貧しい大学生の生活をしている僕にとっては、お寿司なんて、まさにゴチソウ。その頃、福岡におりました、九州に。福岡の寿司屋で、一番高い寿司屋。そこの寿司を出すわけです。一つ食うわけです、僕が。確かにうまい!そこで、聞かれるわけです。
「オイシイ?」
「ええ、おいしいです」
「せんせぇ、これ、いっこ、いくらすると、思います?」〔笑い〕
かならず、聞くんです。まあ、僕、ちょっと、値段は忘れましたけどねぇ。例えば、僕がね、
「四十円ですか?」
とか言うとね、待ってましたとばかりね、もう、喜びに耐えない顔をしてね。
「そんなもんで買えませんよ。ひゃく・に・じゅうえん」
とこう言うわけです。

 その瞬間に、全ての生き甲斐をこめとるというか、誇りをこめてる。ね、この次元の誇りですよ。もう、嫌だったぁ、僕は。

 こういう次元の誇りと違うんです。「ひと」としての誇りってのは。つまらん次元で誇りを持つんならねぇ、せいぜいジョークにしなきゃ。

 僕らは車がどっちがいいかって、いつも冗談、わりと、本気で冗談言うってこともありますけどね。この前、うちの学部長が車を新しく買い替えたんですねぇ。クレスタかなんかの新車に乗っとった。僕はすぐ横につけましてねぇ、柿木さんっていうんですよ。すかさず言いましてね。
「柿木さん、この事、ターボが付いてないじゃない。いまどき、ターボが付いてない!めずらしいねぇ!」〔笑い〕
と、僕のには付いてますから、これだとジョークでしょう!ほら、ねえ。

 こんなんで、「誇り」を感じて、本気でせり合ってたら、大変ですよ。つまらぁーん人生になりますよ。そういうつまらぁーん「誇り」じゃあないんです。

 「『ひと』としての誇り」というのは、自分の人生を、自分の頭で考えて、自分の身体で確かめながら生きてることを通して、持ってる「誇り」。ちょっと、ややこしいですねぇ。もっと、わかりやすく言うと、自分に「誇り」を持って生きてる、「ひと」として、人間として、ということです。見せ掛けのつくられたものじゃなくって。

  この基準でいきますとねぇ、部落に対する差別意識・偏見が、一番少ないのが、自分自身に「誇り」を持って生きてるタイプの家庭の主婦でした。このタイプは、部落に対する偏見・差別意識が少ないですよ。見事に。

 なぜですかねぇ。「『ひと』としての誇り」を自分で持って生きてますから、そんなに嫌なコンプレックスとか、ジェラシーとか、フラストレーションというものが、あんまり溜らないですんでるということですよ。溜らないですんでる分だけ、自分の中にいやらしいものが溜りませんから、わざわざ部落の人をつかまえて差別なんかする必要がない。簡単な事です。

 さて、問題は、これよりも、もうちょっとだけ、差別意識の強い人。この人達は、自分では誇りが持てないものですから、他の「モノ」で「誇り」を持とうとする。

   夫で誇りが持てますか


 例えば、夫を通して誇りを持って生きようとするタイプの女性。気を付けた方がいいですよ。ほら、四月一日付けで夫が課長になった。すると、奥さんまで、四月一日付けで課長婦人!って顔をする人っているでしょう。アレですよ。

 広島の近辺のある農村部。僕は農村部の婦人会とは割と仲良しなんです。残念ながら、一番仲のいいのは六十過ぎ〔笑い〕。年齢にちょっと”問題”ありますが、七十前後の婦人会の役員さんなんて、もう、みんな友達みたいなもんです。農村部へ行ってましてね、そういう人がいると、僕、車止めて、
「なんとかさぁーん!げんきい−!」
って言うんです。すると、たいてい、向こうもね、
「ああ!せんせぇ!」
と言って、ピース、ピース、ってやってくれるんです。六十代、七十代のおばあちゃん〔笑い〕。

 ある日、いつものように、車走らせてましたら、婦人会の役員さんでね、よ−く知っている人がいた。車とめて、
「なんとかさぁーん!ひさしぶりい−!」
すると、いつも、「まぁ!せんせぇ!」って言う人ですよ。それが言ってくれん。僕が、「ひさしぶりい−!」って言ったら、こう言うんです。
「江嶋先生、どうも、御無沙汰申し上げております」
おっかしいなあ、と思った。

 でも、すぐ、わかりました。夫が一週間ほど前に町会議員になってました。地域選出、地域代表ね。農村部の選挙ってのは、地域代表ですから、地域が人手不足だったんですね〔笑い〕。だから、ついこないだまでは、農家のおかみさんだったのが、今度は町会議員婦人って顔を一生懸命しとる。かわいそうな人!。

 この人がやっぱり、どこかで、部落に対する差別的なひっかかりが捨てられない。「夫が、夫が、夫が」っていう人。夫を通して、「誇り」を持とうと思えば、夫は妻の期待通りにはなってくれませんから、やっぱりストレスは溜ります。溜った分だけ、どこかに発散しなくらやならない。発散する先が子どもになったり、近所の人になったりする。わが子にあたったり近所の人にあたったり、それでも解消できん人が部落差別意識をベタッと持って、部落に対する差別攻撃という形で解消していくんですよ。

   子どもで誇りが持てますか


 さて、本人自身で誇りも持てない、夫もダメ、次はどこへ行きますか?子ども。子どもの事を、遠廻しに、遠廻しに、自慢話をする人がいるでしょう。子ども。「ウチの子は、ウチの子は」と、子どもの事を自慢そうに話をする奥さんがおられましたらね、それは、「夫がつまらん」って言っているんですよ。

 やっぱり農村部のある町で、五十七、八歳になるお母さんが、僕に相談があると、おっしゃった。ちょっと問題のある奥さんなんですよね、この人がまた。僕に泣き言をおっしゃった。どういう泣き言か。こういう言い方。

「せんせぇ、もう、いまどきは、男の子二人おっても、ダメじゃねぇ、一生鮭命育てて、本当に、子どものために、子どものためにって思って生きてきたのに、結婚して、嫁を買うてしもうたら、おしまいじゃねぇ。特に、二人ともねぇ、なかなか、こっちの方には帰ってきてはくれん、寂しいもんですよ」
こうおっしゃった。

 僕はねぇ、このお母さん、最初、僕に嘆かれていると思った。ところが、なんか、おかしい。何がおかしいか。やたらと「東京の大学」というところがねぇ、強調されるんです。やたらと。こんな感じ。
「いやーねえ、せんせぇ、上のぶんがねぇ、高校出ます時に、大学受ける時に、私どもは地元の大学に行くように説得したんですけどもねぇ、本人がどうしても、東京の大学に行きたがるもんですから、当時の担任の先生もそりゃあ、東京の大学の方がいいだろうとおっしゃるもんですから」

 これ、いくら、僕が勘がにぶくてもわかりますよ。「ははあ、この人は、東京の大学がどこか、聞いてほしいんだな」と。で、僕は、なにせ心優しいもんですからね〔笑い〕。聞いてあげた。
「ところで、お母さん、息子さんは東京はどちらの大学へお行きになったんですか?」
この瞬間のこのお母ちゃんの顔!鼻の穴が二倍にふくらんだ〔大爆笑〕。そして、こうですよ。
「ええ、東大の法科に」
だって、ま、その瞬間、僕は言いましたね。
「コノゥ、コノゥ、コノゥ、コノゥ」〔笑い〕

 僕はね、子どもを通して、誇りを持とうと一生懸命になってる人ってのはね、必ずどこかで裏切られると思うんです。その分だけ、どんなにうまく育てても、ストレスが溜るもんです。

 考えてもみてください。東大の法学部にやった。自慢で、自慢でたまらん息子でしょう。それでも、結婚して、子どもができたら、恨みの種になるんですから、おわかりですか?。

 いくら、子どもが優秀であろうと、なんであろうと、子どもを通して誇りを持とうとする人は必ずストレスが溜る。

 なぜか?、子どもの仕事ってのは、二つしかないんですから。一つは、「親たちがイカンということをやりたがること」、これが一つ。二番目の仕事は、「親の期待を裏切ること」。子どもにとっては、この二つしか仕事がないんですから。当然、子どもを通して誇りを持とうと思ったら、ストレス溜りますよ。

 このお母ちゃんがやっぱりねぇ、部落に対する偏見がものすごく強いんです。一番かわいそうなのは、そこのお父ちゃん。部屋の隅で暗い所で、じいーと座って、碁を打っている時だけが、機嫌が良いという暗い人なんです。いや、僕は、一度だけ、碁の相手をした事があるんです。そんなもんですよ。

 皆さん方の中で、自分の子どもを通して誇りを持っている方。ね、遠廻しに、遠廻しに、他人に我が子が優秀であるというような話をするひと。これ、みっともないですよ。

 子どもの自慢話をする時のコツをついでに教えておきますね。子どもの自慢話は、露骨にやること。そして、短くやること。ちょっと、やって見せましょうか。うちに、『さやか』という娘がいるんですよ。高校生。ひらがなで、「さ・や・か」って書くんです。ものすごく、美しいですよ〔大爆笑〕。他、言い様がないから、これでおしまい。

 こんなふうに自慢話すればいい。あ、ついでに、息子もやっときましょうか。息子がひがむといけませんので、息子は、『卓吾』ってんです。今、中学一年なんですが、僕は、この息子を尊敬してるんです。

 なんで尊敬してるか?、担任の先生のひいきだけが頼りで学校へ行っている〔笑い〕。担任の先生にゴマをすらせたら、ピカイチですよ。四年生かなんかの時にね、職員室へ一人でノコノコ行って、こう言ってるんです。女の先生、子どもさんが二人ぐらいいらっしゃる二十九才の方です。初めてその先生に会って、
「せんせぇ、年いくつなん?」
で、先生が、
「二十九よ」
っておっしゃった。すかさず、息子が、
「まさか!まさか!まさか」〔笑い〕
こう言った。で、先生が、
「どうして?」
と聞かれたら、息子、すかさず言うんです。
「僕、二十一か、二と思ってた」〔笑い〕
これで、通信簿の点数を「ふつう」から「よい」に変えようと、日夜努力してる〔大爆笑〕僕は尊敬してるんです。もう、これしか、ほめようないもん。

 なんか、子どもとの関係で言いますとね、お父ちゃんもお母ちゃんも、一生懸命生きてる。おまえらも一生懸命生きとるか?、元気か?、イエーイ!ってね、こういろ関係になってない限り、しておかない限り、子どもを通して、ベタベタに誇りを持とうなんて、これでは、どっかで、ストレス必ず溜りますよ。

   他の人で誇りが持てますか


 さて、夫がダメ、子どもがダメになったら、どうなりますか。次、どこにいきますか?。女性の方、ちょっと、考えてみてください。どこへいくと思いますか。実家の両親、実家の兄弟、ここへいくんですよ。
「何を隠そうウチの実家の父は」とかね、
「何を隠そうウチの実家の母は、何とかという町で長い間、婦人会長を務めた」とかね。
関係ない!ってのにね。

 あれもそうですね。あの、自分の実家の自慢で生きてる人ってのはね、よっぽど、結婚していった先の家、夫・子どもが不満で不満でたまらん!ってことですよ、あれは〔笑い〕。

 第一、ほら、「何を隠そう」って、あの感じがイヤ!。たいして隠すような実家じゃないのに。なんか思いだしませんか?、「何を隠そう」って、水戸黄門ですよ、水戸黄門。さんざん人をどついといて、最後になって、「静まれ!静まれ!こちらにおわすは!」って言う。「先の副将軍」ってあれですよ。なにが、「何を隠そう」ですかね、すぐわかる。わかりませんか?。僕、水戸黄門見てて、すぐわかりますよ〔笑い〕。あ、水戸黄門だ!って。さんざん人をどついといて、どついた後で言うでしょう。「何を隠そう」って。最初に言えばいいじゃないですか。卑怯ですよ。最初に言えばいいんですよ。「僕、黄門」って〔大爆笑〕。だいたい「なにを隠そう」って言う言い方はいやらしいですよ。

 もともとね、これは、子どももおとなも同じです。自分に自信がなければ、ないほど、どこか有名人な人とか、すごい人とか、その人と知り合いだということで、自分も偉いと思わせようとする。これは、コンプレックスの強い人ですよ。

 大人でもそうですよ。子どもでもそうですよ。

 僕は高校時代、九州福岡県の炭鉱町・大牟田って町で過ごしてます。炭鉱町の高校生ってのは、勉強ができようと、できまいと相手にされん。ケンカをしなきゃいかん。で、今、四十六、しまった、歳を言ってしまった〔笑い〕。三十代でごまかそうと思ったんですが、いま、四十六なんです。三十年前の高校生。

 で、僕らの高校時代は、ケンカしないと認めてもらえない。まあ、たいていねぇ、毎日ケンカするか、三日に二回ぐらいはケンカしますよね。

 僕は割と勝率の悪い方で、二勝八敗ぐらいのペースで、勝率二割ってぐらいですけどね〔笑い〕。

 高校時代に同じ高校の友達五・六人と、ちょっと悪いのと一緒に、街歩いてるわけです。

 向こうから別の高校生が来るわけです。お互いにチラチラっと牽制しながらね、ビーバップ・ハイスクールみたいなもんですが、チラチラ、チラチラと牽制しながら、目と目が会ってケンカになるわけです。

 ケンカになるとね、必ずこういう奴が出てくるわけです。僕らに向かって、
「おまえら何とか高校かぁ、そうかあ、じゃあ、何とかさん知ってるか」
二つか三つ上のツッパリでケンカの強かった先輩の名前をむこうから出すわけです。

 あるいはね、暴力団関係のチンピラの名前を出すわけです。中には、
「おう、おまえら何とか高校か、じゃあ、何とか組の何とかさん知っとるか?」
とか言ってね。

 こんなのが、必ずいるもんです、

 中には。高校時代に友達と歩いてて、ケンカになりそうになって、そういうのが出てくるとね、僕はいつも思ってました。「オー、ラッキー!」っていうか、「今日はついとる」というか。なんでか?、そういうのは、その場で殴って大丈夫です。

「おう、おまえら何とか高校かぁ、そうかぁ、じゃあ、何とかさん知っとるか」
言い終わるか、終わらんうちに、僕は殴ってました。それで、負けた事はないです。勝率二割は、たいていそれで稼いだんです〔笑い〕。ところがですね。こういうのがいるわけです。

「ようするに、おまえら、やるのか、やらんのか、はっきりせぇ」
ってのが。これは、強い!これは、止めたほうがいい。なんとかごまかして逃げたほうがいい〔笑い〕。本当ですよ。

 子どもでもそうなんですから、大人でも一緒ですよ。自分に自信がなければないほど、「誰々はこう言った、誰々はこう言った」、おれは、「誰を知っとる、誰を知っとる」ってね。

 ある町の町長さんで、若い町長なんですが、その町の講演会に行きましたら、会の前に五分間一緒に話をさせていただいた。五分間で、有名人の名前、十人ぐらい。

「せんせぇ、タモリっておるでしょ、タモリ。あれが私の大学の後輩でしてね。久米なんとかっておるでしょ、あれ、時々会うんですけどね。テレビ朝日か何かでやっとるでしょ。あれが、私の同期でしてね。あ、何とか、何とかっているでしょ、あれが私、こういう関係で」
 十人ぐらい次々と出す。何にも僕、言ってないのに、「ハァ、ハァ、ハァ」って聞いてるだけ。言ってる本人は、「誰を知っとる、誰を知っとる、田舎の町長じゃと思ってアンタなめるなよ」って思ってるのかもしれませんが、僕は聞きながら、こう思いましたよ。
「かわいそうな人だなあ。町長の任が重たいのかな。コンプレックス持たんでいいのに」
って。

 そりゃあ、早稲田でてたらタモリは後輩でしょう〔笑い〕。誰々は、先輩でしょう。そんなの関係ない。初めて行って話をするのに、誰々は知ってる、誰々は知ってる、って。そんなの関孫ない!って。

 だから、それは、たいていストレスの溜った人ですよ。「うちの実家の何とかは、うちの実家の何とかは」って出す人も一緒です。ストレスがいっぱい溜ってる人。コンプレックスがいっぱいある人。だから、そのコンプレックスを解消しようとして、部落差別に向かうんですよ。

   最もミジメな生き方


 最悪のパターンを一つ例に出して最後にします。

 最悪のパターンってのはですねぇ。自分の知合いの全てを見渡しても誇りに思える人がいなかった。その時、どうなりますか?、生きてる人間で誇りに思えるひとがいない。

 そこで、死んだ先祖の墓をあばいてまで、誇りを持とうとするタイプの人が出てくるんですよ。はっきり言っときますが、これはもう、最悪。
「ワシんとこの家は、今でこそこうしとるが、百年前までは」
とかね、おるでしょうが。

 こないだねぇ、広島で、「社会的に地位が高い」と信じ込んでるひと達とちょっと飲んでましたら、その中のおじいさんなんですが、一人、言いました。
「先生え、わしんとこはのう、こう見えてものう、浅野藩、なんとかかんとかの何人扶、何人の家来をかかえとった士族の出での」
とこう言った。その瞬間に私はすかさずこう言いましたよ。
「はあ−、オタク随分惨めな人生を生きてこられてたんですね。よし、よし」〔笑い〕って。

 自分がみじめ一に生きてきたから、先祖の墓をあばいてまでね、誇りを持って威張ろうとするんですよ。

 ねぇ、家柄とか、家系とか、そういうものを引っ張りだして、誇りを持って生きようとするタイプってのは、自分の今の人生に誇りがないからなんです。誇りがないって事は、そのぶんだけフラストレーションとか、ジェラシーとかが、溜りに溜っているってことです。

 「フラストレーションの内調整のメカニズム」ってことで説明しました差別の原理ってのはそこまではっきりしてるんです。

 だから、家柄じゃ、なんじゃあ、かんじゃあとこだわってる人が最悪。だって、お年寄りの方を、ちょっと、考えてみてください。ねぇ、今が不幸せな人であればあるほど、昔話をするでしょう。
「わしゃ、こうみえても、若い頃はここら一帯の米作りで一等賞になったことがあって……、」
もう、この話、五百回も聞いたって〔笑い〕、そんなもんでしょう。

 今、ゲートボール大会のスターのおじいちゃんだったら、今を生き生きと生きてるおじいちゃんだったら、せいぜい、先週の土曜日ぐらいの自慢話をしてますよ。
「おーっ、四メートルはあったかの、四メートルは。わしゃあ、あの時のう、もう、えい!っと思い切って、打ってみたんじゃあ!」〔笑い〕
てね、ほら、せいぜい一週間前ですよ。

 これと一緒なんです。自分と縁遠い人を通してか、あるいは、昔に返らなくては、誇りを持てない人、そうまでして威張らなきゃならない人ほど、ストレスが溜る。かわいそうな人生ですよ。

 勘違いしてもらっては困る。差別される側の人を見て、「ああ、かわいそうに」って目で見る人がいるけれども、冗談じゃない。

 そういう意識でつまらぁーん次元の誇りを一生懸命大事にして生きてる。そして、部落に対する差別意識にこり固まって生きてる方がはるかに、人間としては、かわいそうな生き方なんです。
「みじめなんやねぇ、あんたって」、
こう言いたくなる。逆ですよ、逆。

 それに比べると、水平社宣言の中に書かれている、あの「誇り」をみてごらんなさい。この違いを。水平社宣言の中に書かれている「誇り」ってのは、ダイヤモンドのきらめきって言ってもいい。キラキラしてますよ。それに比べて「わしの家系は」って言ってる人のこの薄汚れた生き方を見てごらんなさい。差別ってのは、こういうもんなんです。この事をわかっていただきたいわけです。

   「ひと」としての「ひと」への共感


 最後に、もう、本当の最後の最後、「『ひと』としての『ひと』への共感」ってとこでおしまいにします。

 いろいろ理屈をしゃべってきました。しかし、「差別を無くそう」「つまらん生き方はやめよう」と、ここにいらっしゃるひとりひとりが本当に思って、差別を無くす方向で生きていただくためには、実は、もう一つ必要なんです。それが、これから申し上げる「『ひと』への共感」です。

 「ひと」への想像力って言ってもいいです。ひとりひとりの人間たちが、どんな思いで生きてるか、それに対する想像力って言ってもいいです。

 被差別部落の人が自分の子どもが差別され、その事を通して持っている「憤り」、「悲しみ」、「怒り」、そして、それを跳ね返す時の「喜び」、そういったものを一つづつ「ひと」としてどれだけ感じ取ることができるか。

 「理解する」とは、言いません。どうせ、理解できませんから。差別も受けてないのに、簡単に理解することはできませんから、「理解」とは言いません。

 ただ、「ひと」の喜びを喜びとして、「ひと」の悲しみを悲しみとして、「ひと」の怒りを怒りとして、どこまで感じ取るか。これが、差別問題を考えるときの、是非、忘れていただきたくないポイントの一つです。

 具体的な例を一つ出して、おしまいにします。

 何年か前に、広島の県北で、解放運動の確認糾弾会を見に行きました。広島修道大学ってのは、時間があれば、確認糾弾会があれば、たいてい出掛けて行くんです。その時は私一人で行きました。もう、何年か前の話ですが。

 その時の確認糾弾会のテーマが、「結婚差別」でした。結婚差別。私はちょっと、遅れて入りました。幸い一番後ろに、席が一つ空いてましたので、そこへ座りました。座った瞬間に私の左側の一人おいて横に、二人目に座ってる五十七・八歳の、これ後でわかるんですが、被差別部落のおじさんが座ってました。

 なにげなしに座って、パッとそっちの方を見た。それから、気になりましてね、そのおじさんが。なんで気になったかと言うと、両手を握りしめてるんです。

 あんまり、強く握りしめてるもんですから、手が震えるわけです。ブルブル震えてました。両挙とも。一時間五十分の間、ずぅーつと、震えっぱなし、手が。それぐらい力を入れて握りしめてる。

 後で、わかったんですけどもねぇ、このお父さん、その確認糾弾会の一年ほど前に、二番目のお嬢ちゃんが結婚差別を受けてました。その結婚差別を受けた後の半年間、凄まじい思いを経験した事のあるお父さんでした。これは後でわかった事です。

 会社に行ってても、娘が気になって、気になって仕方がない。家に電話をかけて、奥さんに言って、娘の名前を呼んで「見てこい」。ちゃんと家に居る。安心して仕事をする。

 しばらくすると、また、気になってまた電話をする。

 一日、七回、八回家に電話をいれた。

 半年の間。夜は夜で、暗闇で寝てると、パッと気になる。そーっと、娘の寝てる部屋へ行って、襖をそーっと開けて、寝息を確めて、安心して寝る。

 しばらくすると、また、夜中、目がさめる。また、娘を見に行く。というようなことを一晩に何度も、何度も、繰返したという経験を持ってました。後でわかった事ですが。

 僕は、その時はわかりませんでした、もちろん。後で、解放同盟の若い人に、そのおじさんを紹介してもらった。握手をしました。

 そしたらね、爪がのびてましてね。のびた爪のままで、両手を、一時間五十分もギューツと握りしめてますから、血がにじんでたんです。両方とも。

 この被差別部落の、娘の結婚差別という経験を持った五十七、八のお父さんが、一時間五十分の間に発言されたのは、たった一回切りです。

 それはですねぇ、教育長さんか誰かが、みんなにいろいろ言われて、答えられなくなって、黙ってしまわれた。そこで、解放同盟の若い連中が後ろからヤジった。何人か。
「教育長、ちゃんと答えてくれやぁ」
とか言ってヤジってた。

 それでも黙っておられた。その時、そのお父さんがねぇ、中腰のまま、立ち上がって、たった一声。もの凄い声だったんです。

 僕が椅子から飛上がりそうになったくらいですから。
「おまえ!ちゃんと答えろ!」
とこう言った。これは、凄かったです。声が大きくて凄いなんて、そんな感じじゃないんです。なんかね、腹にもう、ドシッとくるというか、堪らん思いがありました。それぐらいは感じ取る事ができる。

 ところが、この五十七・八のお父さんが大きな声を出したその瞬間、僕の右側に、中学校の先生がいたんです。二十八・九歳ぐらいの男の先生。中学校の先生。ちょっと僕が顔を知ってる程度の先生。この先生が僕の耳元に、口を持ってきましてね、小さな声でこう言ったんです。
正確には覚えてませんが、だいたいこういう言い方でした。
「のう、せんせぇ、あれらの気持ちもわからん事はないけどのう。あんな大きな声を出してぇ、あんな大きな声を出すからのう。もうちょっとは紳士的に言えばええのにのう。困ったもんよのう」
こういうふうにおっしゃった。どう思います。

 僕は、じい一っと、その先生の目を見ていました。その先生は僕にささやいたものの、僕が何も言いませんから、不安になられたんでしょうねぇ。目をパッと上げられた。目と目が合いました。合った瞬間、一言、僕、その先生に言いました。
「あんた、嫌い」って〔笑い〕。
他に言う気しませんよ。「そういうあんたの考え方がね」って、そんなこと言う気がしなかった、全然。
「嫌あーい!」僕、こういう人。正しいか、正しくないか、知らん!。そりゃあ、その人の言う事がもしかしたら、正しいかもしらん。理屈の上じゃ。でも、きらぁーい!こんなの。

 娘を持ってるおやじの思い。娘を持ってるおやじの思い。それをちょっと、想像力を働かせて考えてみてください。「わかる」と言わんでもいいから、何か、感じますよ。

 僕は自分の娘、「さやか」、これになんかあって、死にたぁーいって思うような目に合わされたという事がわかったら、相手を叩き潰しに行こうと決意するのに、三秒ですよ。三秒。娘の命を守るために三秒。おやじって、そんなもんでしょうが。娘の命を守る決意をするのに三秒。

 被差別部落のお父さん、みんな一緒でっせ。娘を持ってるおやじの思いってどこも一緒!。三秒ですよ!違いますか?。

 ま、女房だったら、三日は考えますけどね〔大爆笑〕。
「かつて愛した妻だから」って。

 僕は、このお父さんのこの思いを、怒り、憤り、悲しみ、そういったものを感じないところで、差別を無くしましょうとかねぇ、テンタラ、テンタラ言うてほしゅうないのう!と思いますね。そこを本当に感じ取ることができる人がいろんな理屈をやっぱり、勉強していく。それが出発点ですよ。この共感が出発点。

 で、ここでね、本当に「ひと」に共感できるようになりますとね。実は、「同和」数育、差別問題に本気でかかわることが、家族の中の親子関係、夫婦関係も本当に変えていきますよ。そういう「ひと」と「ひと」の関係を家の中でもつくるようになりますよ。友達とも、そういう関係をつくるようになりますよ。

 だから、僕らは言うんです。差別問題に本気でかかわると、「もうかる」って言うんです。「ひと」として、「もうかる」って言うんです。ここをわかっていただきたいわけです。

 一部、二部、三部と話してきましたけれども、なんか、今日は初めてのところでもありますので、これもずいぶん、堅めに話させていただきました。いずれ、また、お話しできるチャンスがあれば、もっと、やわらかめにいきますので、えー、ただ、失礼な事を、ちょっと、途中で申したことがあるかもしれませんが、お許しくださいませ。

 本当に、どうもありがとうございました。〔拍手〕
 

あとがき
 この冊子は、1986年(昭和61年)度八幡市同和問題市民講座の講師として迎えた、広島修道大学教授江嶋修作氏の講演をまとめたものです。

 本年は、世界人権宣言が国連で採択されて40周年をむかえる年であり、部落差別はいうまでもなく、一切の差別をなくすとりくみの強化が今、もとめられています。

 本書が、一人でも多くの市民のみなさんの「ひと」として自らの生き方を考える一助となれば幸いです。

 最後に、この冊子の発行にあたり忙しい申、加筆・訂正の労をとっていただいた講師に心からお礼申し上げます。