変革は誰がために



現代社会はストレスが大きいとよく言われます。

実際のところ、どうなのでしょう。
ストレスを強く感じていると主張しているのは、みずは自身を含めて若い世代が大半であるように思います。厳密にいうと、ストレスを強く感じていると自分では強く思っている人間の大半が若年層であるような。


現代社会を構成する個々の要素、会社、学校、家庭、その他周囲の外的環境を見ていると、何やら一昔前と大きく変わっているようでいて、実は本質的にはそんなにひどく変わっていないようにも思えます。

いつまで続くか分からない不況の風が、それら個々の要素全てに色濃く影を落としているのは間違いないとは思いますが、だからといって、それだけがストレスの正体の全てだとも思えません。

では、どうして現代社会がストレスが大きいといわれるのか。


これは、ストレスが大きいのではなくて、子供たちを中心としてストレスに対する耐性が落ちてきているからではないかというのが、最近のみずはの考えです。

子供たちを見ていると、外的環境が変わったのではなく、人間が変わり、親という世代の中身が変わり、ひいては家族の中での子供の在り方や位置付けがいろんな意味で変わってきているという連鎖が、それを生み出しているように思えます。



子供たちによる突発的な、しかも凶悪な犯罪が多くなってきている昨今、それらの直接的な原因は子供たちが周囲からの刺激に連動した自分の中の衝動を抑えられない、いわゆるキレやすい側面にあるというのは、多方面からすでに言われているところです。

これに対応するため、国が打ち出そうとした方針のひとつ ------ 子供たちの健全な成長を阻害する環境を抑制しようというのが、今期国会で見送りになった『青少年有害社会環境対策基本法案』だったわけですが、各所でも言及されているように、すでに存在してしまっているものを子供たちの目にだけ触れさせないようにしたところで、せいぜいが一時的な温室育ちの坊ちゃんが出来あがってしまうだけで、根本的な耐ストレス性の欠如は改善されません。

大人になって否応なく社会に出た時、「キレやすい大人」が世に溢れてしまうだけです。


それどころか無理な規制が表現の自由まで脅かすということで、のっけから周囲の猛反発すら招きかねません。

というか、実際に猛反発が起こったおかげで、この法案は今回、見送りとなったわけですが。

そもそも、性や暴力に関するレベルコントロールを失った無理な規制は、表現媒体を地下に潜らせて、より陰湿な犯罪の温床になる可能性も秘めています。



そうすると、この法案の問題点はたぶん、大きくふたつに絞られると思います。

国家による検閲に発展しかねない危険性。
そして、子供たちのためという大義名分がそもそも実効をあげられそうにないという、根本的な部分での問題。

いまだ廃案となっていないこの法案を成立させようとしている人たちの目的が何処らへんにあるにせよ、この大前提にある問題がクリアされない限り、多くの人たちからの支持は得られそうにないように思えます。

もっとも、そんなものは一切無視して強制的に成立させようとしたらしい今回の一連の動きを見ていると、そこまでしてこの法案を成立させようとする背景には、社会的に一人前とは認められていない子供に対して人権をどこまで認めるかという認識の差から生じるギャップというだけではなく、この法案によって発生する、もっと直接的な利害でも絡んでいるのだろうかと邪推すらしてしまいます。

穿った見方かもしれないと思いたいところですが、例えば国がサクラを用意して自分たちに不都合な意見が出たらそれを有害と判定させて封殺するという可能性。あるいはサクラをわざわざ用意するまでもなく、国民同士を相互に監視させて先に密告させたもの勝ちという魔女狩り的な空気を作り出す目的という可能性。

そこまで発想を飛躍させてくると考え過ぎかとも思うのですが、このところのメディア三法の流れなども見ていると、あながち的外れではないような気さえしてきて、うすら寒いものを感じる時があります。


自分たちの問題を、今の政治家任せにはしておけないと考える人たちの急激に増えつつある昨今、この法案の本音も建前も見極めながら、自分たちが本当に必要としているものは何なのか、表現の規制も子供たちの問題も合わせて根本的に解決していくにはどうすればいいのかを、ひとりでも多くの人に自ら考えてみてほしいと思っています。


かつて、アルヲ氏はこの法案の問題にとりあえず片がついて、以前からの宣言通りにサイトを終了させた時、最後にこう言いました。





近い将来、ネット市民は政治や現実社会に大きな影響力を持つだろうことを確信できました。

面白かったのは、今まで政治に無関心な層と言われた20〜30歳代が主役となっていっただろうところ(感覚的な話)。これは凄い。

勿論、掲示板荒らしやチェーンメール、間違った情報の流布等のマズイと思われる点も露呈しました。それらは、今後の課題となっていくでしょう。

良い経験でした。こういう経験を通して、ネット市民が成長していければ良いと考えます。


ネット上には様々な情報が溢れています。それを収拾し、分析し、判断できなければ、煽られ流されるだけ。

〜中略〜

ただ、インターネットは双方向であると。受信だけでなく発信もできます。受動的にTVを眺め続けるのとは違うのだと。

発言するためには考えなければならない。情報を収拾し、分析し、判断しなければならない。

これは精神的自立を促すことになるのではないかと思ったりします。そして、それを知らず知らずに実践するネット市民は確実に思考的成長を続けているのではないかと思うのです。




※アルヲメモはすでにサイトの方針上、過去ログを消去してあるため、本人に許可をとって部分的な引用をさせていただきました。



次回の更新では幾つかの問題点について自分なりの解答案を提示しつつ、表現の規制という側面について少し違った観点から見ていきたいと思います。







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