バイオグラフィ

The Ohio Players

※ストリート出身の王者とも言われたオハイオ・プレイヤーズ。今のストリートフミュージックと言えばラップということになるが、オハイオのソウル魂は本物だ。今では、ヴォーカルのシュガーフットを抜きにオハイオは考えられない。

※オハイオの70年代のアルバムのジャケットは、SM嗜好のような女性(!?)がトレードマークのようになっている。(ちょっと抵抗あるけれど、エッチな感じはないカナ?)当時論議を呼んだらしい。シュガーフットによると、『プレイヤーズ』、『プレイボーイ』の綴じ込みポスターからヒントを得、実際『プレイボーイ』専属のカメラマンがアルバムジャケットの写真を撮ったということだ。

※ちなみに、“シュガーフット”の意味は、“もつれる足もと”ってとこらしい。

(1)オハイオプレイヤーズの前身

(2)結成後

 

(1)オハイオプレイヤーズの前身

シュガーによると、初めは、アンタッチャブルとして活動していた。

1960年頃“オハイオ・アンタッチャブル”に改名。

結成当時のメンバー
ロバート・ウォード(vo、g)
レヴァー・フレドリック(b)
コーネリアス・ジョンソン(ds)

まもなく
ラルフ“ピーウィー”ミドルブルック(tp)
クラレンス・“サッチ”サッチェル(s)
が参加。

テルマ&ルーピン・レーベルから出したシングルは殆ど売れなかった。ファルコンズの「アイ・ファウンド・ア・ラヴ」のバックバンドをつとめた。

2年後、ウォード、ソロ活動の為脱退。(ソロとなり、テルマ&ルーピン・レーベル〜アルバムを出したが、その後、シーンから消え、1991年にブルース・ギタリスト・ヒーローとしてカムバックし、評論家の間では絶賛された。)

リーロイ“シュガーフット”ボナー(vo、g)が、ウォードの抜けた後に入る。(シュガーフットは14歳の頃ビーズというグループにいて、ハーモニカとギターを弾いていた。)

1967年、オハイオ・プレイヤーズに改名。

(2)結成後

●メンバー
リーロイ“シュガーフット”ボナー(vo、g)
ラルフ“ピーウィー”ミドルブルック(tp)
クラレンス・“サッチ”サッチェル(s)
グレッグ・ウェブスター(ds)
ジョー・ハリス(vo) (後に、アンディスピューティド・トゥルースに参加)で出発。

1968年、デビューシングル「トレスパッシン」をコンパス・レーベルからリリース。小ヒットとなる。

リーロイ“シュガーフット”ボナー(vo、g)
ラルフ“ピーウィー”ミドルブルック(tp)
クラレンス・“サッチ”サッチェル(s)
グレッグ・ウェブスター(ds)
マーシャル・ジョーンズ(b)
ダッチ・ロビンソン(key、vo)
ボビー・フィアーズ(vo)

同年後半上記のメンバーでアルバム『オブザベーションズ・イン・タイム』をキャピトルからリリース。ファンクというよりオーティス・レディング スタイルに近いらしい。

その後すぐ
マーヴィン・ピアス
(tb、tp)が参加。
ダッチ・ロビンソン(key、vo)
ボビー・フィアーズ(vo)二人が解雇される。

1971年、シングル「ペイン」が出て、ウエストバウンド・レコードがディストリビューションを請け負い、R&Bチャート35位にランクされた。
ウエストバウンド・レコードからアルバム『ペイン』『プレイヤー』『エクスタシー』『クライマックス』が出る。『ペイン』では、シュガーの歌うブルースがあるがジュニー色が強くなる。その間、1973年のジュニーがヴォーカルとシンセサイザーを担当した「ファンキー・ウォーム」がR&Bで1位となるが、ファンクが確立したとは言えない。むしろシュガーの歌うバラードにいいのがある。

グレッグ・ウェブスター(ds)の替わりに
ジミー“ダイヤモンド”ウィリアムズ(ds)(サンの前身バンド、オーヴァーナイト・ロウにいた)加入。
一年後、ウォルター“ジュニー”モリソン(後にファンカデリック/パーラメントの主要メンバーとなる)が脱退し、
ビリー・ベック(key)加入。
リードヴォーカル、ギターは、シュガーが担当することとなる。

1974年に、マーキュリーと契約。新しいメンバーとなり、2年の間、次々とトップ10シングルでR&Bチャートを圧巻する。又、アルバム『スキン・タイト』『ファイアー』『ハニー』『コントラディクション』『ゴールド』はゴールド・ディスクとなり、シュガーのヴォーカルも多くのアーティストに影響を与える。
しかし、1977年以降R&Bチャートのトップ10内に登場することはなく、1978年にアリスタから出たアルバム後、分裂する。

リーロイ“シュガーフット”ボナー(vo、g)
ラルフ“ピーウィー”ミドルブルック
(tp)
コーネリアス・ジョーンズ
マーヴィン・ピアス
(tb、tp)が残る。
ビリー・ベック“ダイヤモンド”ウィリアムズは、シャドウズを結成。

リチャード“ディンプルズ”をプロデューサーに起用した1981年の『アウチ!』からは、R&Bチャートのトップ40ヒットが2曲でている。

●1985年、法的な問題からオハイオ・プレイヤーズの名前は使用できず、シュガー・フット名で出すこととなる、ザップのロジャー・トラウトマンをプロデューサーに起用したアルバム『シュガー・キッス』は面白いわりにあまりヒットしなかった。参加メンバーは以下のとうり。

リーロイ“シュガーフット”ボナー(vo、g)
ビリー・ベック(key)
ジミー“ダイヤモンド”ウィリアムズ(ds)
クラレンス・ウィリアムス(g)(元シャドウズ)
ダーウィン・ドーチ(b)

●1988年には、オハイオ・プレイヤーズの名義で、トラック・レーベルからアルバム『バック』をリリース。

マーキュリー時代が黄金期と言える。その後のアルバムはヒットを出すに至っていないが、今もライヴは、今も見応えがある。

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