『かもめのジョナサン』考

『かもめのジョナサン』について、少々、私なりの感想を述べさせていただきます。

この『かもめのジョナサン』の作者はリチャード・バック氏ですが、彼が著したものに『イリュージョン』という本もあります。私が入手した『イリュージョン』は1995年7月6日 第30刷のものです。1981年が第1刷ですから、だいたい1年に2回印刷されていることになります。十数年にわたって多くの人に読まれていることがわかります。『かもめのジョナサン』のほうが刷数のペースが速いことから、たぶん、『かもめのジョナサン』を読んだ人が、同じ作者の他の作品も読んでみたいということで『イリュージョン』を読んだのではないかと思われます。

この『イリュージョン』という本は実に興味深いです。単独で読んでも興味深いですが、さらに『かもめのジョナサン』と対比させて読むと如実にこの本の真価が浮かび上がります。

リチャード・バック氏が『かもめのジョナサン』を発表したのが1970年。そして『イリュージョン』を発表したのが1977年。この間にリチャード・バック氏に大きな精神的飛躍があったのではないかと推察されます。

『かもめのジョナサン』と『イリュージョン』を比較して、注目に値することは、食欲と性欲に関する記述の違いです。

まずは『かもめのジョナサン』。これは『かもめのジョナサン』を翻訳した五木寛之さんもその解説の中で注目していることで、『かもめのジョナサン』では「食べることと、セックスが注意深く排除され」ている。『かもめのジョナサン』では、食べるために生きているのではないと食べることを軽くみて飛ぶことの崇高さを謳っています。生きるための手段としては食べることに意味がありますが、食べることは生きる目的には値しないと言って、修行者のごとく飛ぶことのレベルを上げていくのです。性欲に至っての記述は皆無です。また、女性の記述も母親カモメだけで、他に女性のカモメは登場しません。

食べなければ生きていけませんが、食べてさえおればいつまでも生きていけるわけではありません。だから、食べることを生きる目的とはしません。それはそれでいいのですが、そこに焦燥感をともなった「力み」のようなものを感じます。オウム真理教の村井秀夫幹部が『かもめのジョナサン』を彼の母親に手渡して、「これを読んでもらえば僕の今の心境はわかってもらえる」と出家してしまったことを考え合わせるとき、この本がややもすれば今生きている世界を軽蔑視し低俗視して閉鎖的排他的な人間を作り出す要素を秘めていると言えます。この本では焦燥感をともなった「力み」が感じられるために、理想的な境地をめざしそこに読者を誘引する力を感じる反面、どうしても不自然な感じが残ってしまいます。

『かもめのジョナサン』が食欲と性欲を超越した次元の境地を目指すことに力んでいるのに比べて、『イリュージョン』ではそういった「力み」は感じられません。

『イリュージョン』では食べているシーンが度々出てきます。また、人生の話をしながらも目は女性を追いかけています。あるがままの性欲が見られます。そこには全体的に「力み」が感じられません。あるがままの自然体です。そして、あるがままで魂の真の自由を謳歌しています。

この両者の違いに、作者の精神的飛躍を見ることができます。両者とも目指すところは、生きることの本当の意味を探求し知ることにあります。目指すところは同じでありながら、その探求の姿勢がまるで違うのです。目指した境地はともに真の自由であるはずなのに、その姿勢は全く違っているのです。

『かもめのジョナサン』では、川の流れに流されまいと力み、流されないままでは現状を超越することはできないので、流れに逆行して泳がねばならないともがいた果てに超越した境地を見出そうとしていますが、『イリュージョン』では、川の流れに身を任せたままで新境地を見出しています。心の奥底に潜んでいる不安は「力み」を生み出し「力み」はまた不安をもたらします。『イリュージョン』では、不安が不安のままで転じて安心となっています。流れに任せ切った心の軽やかさを感じるのです。

『イリュージョン』での、特に味わい深く感じた言葉を抜き出してみます。

思い切って手を離しさえすればいいんだ、流れはすくい上げてくれるよ。自由にしてくれる、手を離すんだ、それしかない。

あの娘は一度空から落ちて死んでるんだ、それを思い出させただけだ、だからもう落ちることないよって教えただけさ。

いかなる種類の生や死を選ぼうとも自由だが、義務というものがあるとすれば、自分に忠実でなければならないということそれ一つだけである。

この世は全てはイリュージョンだ、何から何まで光と影が組織されて、像を結んでるだけなんだ、わかるかい?

限界、常にそれが問題である。君達自身の限界について議論せよ。そうすれば、君達は、限界そのものを手に入れることができる。

俺たちはイリュージョンからいろいろ学べるし、楽しむこともできるってわけさ。

君達が自己に忠実に話す時、そこに過去や未来は関わりがなく、真実が永遠に光り輝く。自己に忠実に話す、それのみが真実の正当な在り様なのである。

もし、君達が生きていれば、瀕死の重傷でかすかに息がある場合でも生きていれば、まだ使命は終わっていない。

あっちこっち叩いているうちに、どこかのドアがポンと開くと思うんだね。その開いたドアが、自分のいちばん求めている、愛するものへの道だと、とりあえず信じるんだよ。そこへ入る、またドアが全部閉まっている。必死になって叩くと、またひとつだけドアが開く。そういうところをひとつずつ通過しているうちに、いつか、ものすごい光が自分の中に出てくるはずなんだよ。

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