二度と娘のような悲劇を繰り返さないで・看護師の職場改善を願って
=ご両親からの訴えとお願い=
【 2002年6月9日全医労近畿女性部会議でのお母さんの訴え(見出しは事務局) 】
 この様な場所でのお話は初めてのため、すこし緊張しております。しかし、娘の優子のためにも勇気を振り絞って今回参加しました。遺族の無念の思いをお聞き下さればと思います。
【 働くことに誇り、国立循環器病センターに勤務 】
 優子は生まれた時から、看護婦として働く私の姿を見て育ったためか、高校の時「目的もなく、大学に行っても仕方がないので、私も看護婦になる」と言いはじめ、私が「人の命を預かる仕事は精神的にも肉体的にも大変よ、やめといたら?」 と言う言葉も聞かず看護婦になりました。
 平成9年より国立循環器病センターに勤務し、働くことに誇りを持っていました。毎日が忙しく仕事も定時で帰る日は殆どなく几帳面で真面目な性格の娘は、休日や年休を使い学会や出張・看護研究のために時間を使い、余裕のある生活をしていなかったようです。
 又、亡くなる6ヶ月前より、勤務異動で来られた年上のスタッフへの指導者係になり、「気を遣い一生懸命教えてもなかなか仕事を覚えてくれない」「どうしたらいいかしんどい」と言うことを家に帰ってきた時こぼしていました。仕事とストレスで精神的にも肉体的にも参っていたと思います。 家に帰って来れるのも1ヶ月に1度くらいで、たまに帰ってきても寝ていることが多かったのですが…。
【 生前最後のメール!「とりあえず帰ってきました。とにかく眠すぎる…。」 】
 倒れたときは遅出勤務で朝11時から夜の7時半終了の予定でしたが、重症患者さんもおり、同僚の友人に夜の9時45分「とりあえず帰ってきました。とにかく眠すぎる、副婦長さん達は残っているけど」と携帯電話に生前最後のメールが残されていました。
 その後、約1時間半くらい経過して再度友人に電話で「薬を飲んだが頭痛が治まらない、救急車を呼んだ方がいいかな?」と、相談して自分の働いている病院に搬送される途中、意識がなくなりました。
【 あまりにも若く、25歳で人生の幕を下ろしました。 】
 それから1度も目を開けることなく、一言の言葉もなく、手術の甲斐もなく、昨年(2001年)3月10日にあまりにも若く、25歳で人生の幕を下ろしました。自ら勤務している職場に自分自身が患者として運び込まれ、命を落とす、こんなことがあっていいのでしょうか?
【 生きる希望を失った思いです 】
 後日、一人暮らしをしていたマンションに行くと、倒れた翌日よりスキーに行く予定で、玄関にスキーの用意がしてありました。まだまだやりたいことが山ほどあったでしょう?旅行も好きで海外旅行も時間を工面して行き、「お母さん、とてもいいよ、今度皆で一緒に行こうね」と、約束していましたがそれも叶わぬこととなりました。又、妹にも良き相談相手で優しい子でした。家族にとっては何かにつけ思い出し今も深い寂しさの中で一日一日をすごしております。 優子は色々なことをやりたい、チャレンジ精神旺盛で、夢が一杯でした。友人が多く、少ない時間を楽しんでいたようです。両親にとっては、成長を楽しみにしておりましたが生きる希望を失った思いです。
 通常の親は子供の幸せを願って一生懸命働き、成長を楽しみに見守っているはずです。
 若い人たち一人一人が、自分自身を愛し、大切にし、幸せになることで、ご両親も安心と幸せを感じられると思います。どうぞ夢を持ち続け、希望に向かって一歩一歩進んでください。
【 25歳でくも膜下出血!何故人一倍優しい我が子が死ななければ… 】
 最後になりましたが、脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血、25歳の若さで起こる死因としては非常に珍しく、今回の事故は、ストレスと過労が最大の原因ではないかと思っております。今現在も、患者さんのためにと大勢の看護師さん達が自分の時間を犠牲にして働いています。何故、人一倍心の優しい我が子が死ななければならなかったのか?
 日々思うことは、ただただ、無念の思いだけです。
 この悲しみ、苦しみは、私たち家族で充分です。
【 我が子の死を無駄にしてはいけない! 】
 我が子の死を無駄にしてはいけない、我が子が自分自身の身体と引き換えに職場における色々な問題提起をしてくれたと思っております。
 今回すばらしい弁護士さんや支援の方々に巡り会い、支えられ、今日にいたっております。皆様のお力添えを頂きたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
 ご静聴ありがとうございました。