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「ほとんど寝てません。疲れたようー」。くも膜下出血で昨年二月に突然、死亡した国立循環器病センター(大阪府吹田市)の看護婦、村上優子さん=当時(二五)=は、携帯電話やパソコンで、友人に悲痛な叫びをメール送信していた。「過労死では」との疑問に病院側は超過勤務命令簿をもとに否定するが、優子さんの両親は過労死を確信し、雇用主にあたる国を相手に損害賠償を求める訴訟を大阪地裁に起こした。後ろ盾になったのは月約八十時間の時間外労働が恒常化していた勤務実態を証明する優子さんのメール記録だった。
≪今日は深夜明けだったんですが、さすがに疲れたーて感じでした。昨日の日勤が忙しくて、帰ったのは22時前でした。寝る時間がほとんどなくってそのまま深夜に突入。始まったときからふらふらでした≫
優子さんは平成九年四月に同センターに採用され、脳神経外科病棟に勤務していた。十三年二月十三日夜、帰宅後に自宅で激しい頭痛に襲われ、三月十日に死亡した。
死亡する約五ヶ月前の十二年十月五日の送信記録で、前日の日勤(午前八時半〜午後五時)が長引き、深夜勤務(午前零時半〜午前九時)にほとんど寝ることなく入っていたことがわかる。しかし、病院側の超過勤務命令簿には超勤はなかったことになっていた。
≪明日は日勤をしてから深夜入りに突入のハードな勤務です。≫
同月十八日の送信記録にも同じ勤務パターンの厳しさを記していた。
≪帰ってきたのは日付が変わって3日の3時。だから3時間くらいしか寝てないの。でも、今日も8時30分から仕事。定時だと、仕事と仕事の間隔は8時間はあるんですが、定時に終われるのは数少ないです。これが3交代の正体ってところでしょうか?≫
十二年九月三日の送信記録では三交代の実態について記載。二日は準夜勤(午後四時半〜午前一時)だったが午前三時まで働き、短時間の睡眠だけで日勤に向かう。二時間の超勤も命令簿に記載はなかった。
≪とりあえず帰ってきました。眠すぎる≫
遅出勤務(午前十一時〜午後七時半)を定時より二時間超過した午後九時半ごろに終えて帰宅したくも膜下出血発症日の十三年二月十三日の送信記録。午後十一時半ごろから突然、激しい頭痛に襲われた。命令簿では一時間しか超勤を認められていなかった。
脳神経外科病棟は瀕死や重症、高齢の患者の生死にかかわることが多く、身体的・精神的な負荷が大きい。そのうえ、不規則な看護業務や看護研究の準備、新人教育など業務実態は過酷だった。
優子さんが亡くなった後、両親が「過労死だったのでは」と問い合わせたが病院側は「超勤は月平均十六時間で特に過労をもたらすものではなかった。休暇の過ごし方が問題では」と文書で回答した。先月三十一日の提訴後も病院側は「訴状がまだ届いていないのでコメントできない」。厚生労働省も「訴状をよく読み対応したい」とコメントしている。
「娘が亡くなった直後は運が悪かったと思っていたが、メールの記録を見て死なずに済んだのではと思うようになった」という母親の加代子さん(五二)は「病院は国の機関でありながらずさん過ぎる。患者さんのために黙って働いてきたのにひど過ぎる」と話し、国が安全配慮義務を怠ったと訴えている。
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