カモシカ・シカによる食害問題

鈴鹿山脈では、ニホンカモシカ(以下、カモシカとする)とニホンジカ(以下、シカとする)による農林業被害がみられる。野洲川上流に位置する甲賀郡土山町では、滋賀県内でも早くから被害が問題化し、捕獲以外の方法で対処してきている。カモシカ食害問題の背景には、1960年代になって密猟も含めたカモシカの捕殺がほぼ無くなったことと、同じ頃から拡大造林政策が進められたことの二つがある。これらの詰果 、広大な幼齢造林地とカモシカの生息域が大きく重なり、捕獲を禁止されたカモシカが幼齢造林地を餌場として増加し、食害が問題化したと考えられている。
 土山町では昭和40年代から食害が目立ち始める。植栽直後から食害を受けたり、造林木が一部消失する造林地も多発する。甲賀郡森林組合長の村上正二氏によると、当時長野県から視察に来たカモシカ被害者同盟の関係者もその被害の激しさに驚いたという。なお、鈴鹿ではカモシカとシカは同所的に生息しており、被害は両者によるものが複合している。カモシカは発見し易いこと。ため糞が証拠とされ易いことなどから、カモシカによる被害が強調されている場合もあると思われる。
 1977年に県による被害調査が行われ、翌年には土山町にカモシカ食害対策協議会が設置され、同時にカモシカ被害者同盟も結成される。
 その後、防護柵の設置や造林面積の縮小に伴い、被害面積は減少しているが、被害は継続している。滋賀県林業統計によると、1990年度の鈴鹿山脈の滋賀県側におけるカモシカ、シカによる被害面積は土山町25ha、永源寺町37.7ha、蒲生町8.4haで、合わせると県内のカモシカ、シカによる被害面積の9割を越える。今でも、一部地域には成林見込みのない造林地が存在し、防除なくして造林するのは困難な状況が続いている。
 シカが成林した造林木の樹皮を剥ぐ被害も発生している。雨乞岳の南西にある清水平では、直径20cm前後のスギに対する樹皮剥離が数年前より進行し.既に枯死木がでている場所もある。

食害対策の実際

1978年の予備的な防除試験の後、1979年からポリネット防除効果調査が滋賀県から日本自然保護協会のカモシカ食害防除学生隊(現在は、かもしかの会関西として独立)への委託で行われ、翌年には数種の防護柵の試験が行われる。そして、1982年より現行の防護柵を用いたカモシカ食害対策5カ年計画が始まる。その後、1987年一1991年に第二次5カ年計面 が実施され、現在は第三次5カ年計画が始まっている。柵総延長は200kmを越える。単価はl,000円/m弱で.設置費のうち国が2/3、県が1/6、町が1/6を負担している。
 防護柵は設置当初の防除効果は高いが、補修を行わないと数年でカモシカやシカが侵入してくる。そのため、食害を完全には防いでいない柵が多い。しかし、食害を軽減させており、林業関係者にその効果が認められている。土山町では防護柵による防除が中心であるが、かもしかの会関西によるポリネット防除試験も継続されている。

これからの森林利用と食害問題

 現在、造林面積は土山町内で午間10〜20haで、ほとんどが再造林である。幼齢造林地が減少するとカモシカやシカの餌環境は大きく変化する。餌環境の悪化により個体数が減少し披害が減るかもしれない。逆に、餌植物の少ない成林した造林地の中に幼齢造林地ができると、そこに被害が集中するかもしれない。今後の防除を考えた時、費用の高い防護柵を個人で負担することは難しく、防護柵がいつまで継続されるかわからない。また、多くの柵を設置することは、森林環境への影響も大きいと思われる。ポリネット防除は効果 は高いが、造林地の面積が広いと実行が難しい。
 森林レクリエーションに対する関心が高まっている。野生動物は多くの人に魅力的な自然要素の一つであり、野生動物をできるだけ残すことが望ましい。林業の変化と森林に対する二一ズの多様化に対応し、食害を防ぎつつカモシカやシカのいる森林を維持することがこれからの課題である。

滋賀県立琵琶湖研究所 所報(第10号)より

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